江戸切子の日
~ 七月五日(月) 江戸切子の日 ~
※
家の中一杯に宝物があふれてること。
テスト初日を終えて。
恒例の、自業自得という四文字を顔に書いて歩くこいつは。
金曜日から延々と。
折角の重要参考人を逃がした罪について。
ねちねち俺を非難し続けていられたのも一教科目の試験が始まるまでのこと。
以降はずっと。
「先生。どうか見捨てないで下さい……」
「それはもういいから」
現金なことに。
俺に媚を売り続けているんだが。
……推理クイズ初級編。
諸君はなにか、違和感に気付いただろうか。
「どうか、明日の対策を愚かなわたくしめに教えてください……」
「もし本気でそう思うんなら、テスト中に見捨てるなとか呟き続けるのやめてくれませんかね?」
そう。
オウムを逃がした件について非難してたのは。
一教科目の試験が始まるまで。
試験が始まったその時から。
助けろ見捨てるなとしゃべり続けてる。
そのせいで。
カンニングの疑いありと判断されて。
俺だけ掃除用具入れの中で立ったままテスト受けさせられたんだが。
懐中電灯、口に咥えながらの試験は本気でハードだった。
……さすがに今日から三日くらいは。
真面目に勉強してくれることだろう。
そう思いながらの帰り道。
俺は秋乃を伴って。
勉強のお供を確保すべく。
馴染みの駄菓子屋に来てみたんだが。
「……お? ここでよく会うな、少女」
駄菓子屋で会うのは何度目になるだろう。
TPOという点で首をひねる、まるで春姫ちゃんのようなドレスに身を包んだおしゃまな子が。
おもちゃ棚の前でしゃがみ込んだまま。
ぷいっと俺から顔を背けた。
「やだ、なにかちら、そのつかいふるされたじょうとうく。なんぱするなら、もっとせんすのいいことばでおとといいらしてくださるかちら?」
「相変わらず容赦ねえやつだな。いつになったら口説き落とせるのやら」
子供にとって、知らないお兄さんの顔なんて似たり寄ったり。
俺のこと、ほんとに覚えてないらしく。
初見のナンパ男から距離をとるため。
しゃがんだままずりずりと三歩分横に逃げる。
でも、そんなおしゃまちゃんは。
棚をきょろきょろ見渡すと。
なにかを探しているんだろうか。
元の場所まで戻って来た。
「……脈。有るかも……、ね?」
「ないない。どうしてそう思った」
「追われたら逃げて、逃げたら戻って同じ距離をキープ。それが恋のテクニック」
「なるほど、それでこんなにもドキドキしたわけか」
離れた分戻ってみせて。
男をその気にさせて。
自分を追いかけさせる小学校低学年なんて。
末恐ろしいわ。
呆れた推理を披露した名探偵は。
おしゃまちゃんの隣にしゃがんで、一緒に棚を見つめ始めたが。
お前、おもちゃ買うんじゃねえぞ?
勉強にならなくなるからな。
……たまに顔を見せた日の光。
窓から差し込む、梅雨時には貴重な恵みを独り占め。
店の婆さんは、小さな椅子とテーブルを店の真ん中に出来た陽だまりに据えて。
呑気に優雅に、背中一杯で日向ぼっこを楽しみながら二人を見つめていたが。
「な~~~~~~~~ん……………………。ぬくい~~~~~。のお~~~~」
いつものごとく、信じがたいほどゆっくりとした喋り声を残しながら。
いつものごとく、信じがたいほど素早い動きで立ち上がると。
居間への段差へ跳び箱の要領で両手をついて。
しゅぱっと正座の姿勢でのれんの向こうへ滑り込む。
「何度見ても慣れねえな、あのギャップ」
子供が驚いて泣き出すこともあるんだ。
ちょっとは年相応にゆっくり動け。
それに、なんたる不用心。
客がいるのに。
店を空けるな。
……まあ、この二人が。
悪いことするわけねえけどな。
「お、おじょうさん?」
「あら、あなた。あたちとおはなししたいの? いいわよ?」
「なにかお目当てのおもちゃがあるのですか?」
「ええ。あおいびーだまをみていたのよ? こうきなあたちにふさわしいとおもわない?」
「…………ビー玉?」
まるでおままごと。
ずっと見つめていたい無邪気な世界がゆっくりと過ぎていくのは。
呑気な会話に聞き耳を立てた時計の針が。
くすくすと笑ってまるきり先へ進まないせい。
アジサイのフレームの中に。
肩を寄せてしゃがむ二人の女性という微笑ましい水彩画。
でも。
そのうち一人が、困り顔を俺に向けてきた。
……なんだよ。
言いたいことあるなら、ジェスチャーじゃなくて口で言え。
お前が指差す、一つ隣りの棚に何があるってんだ。
そっちにあるのは低額のおもちゃばかり。
ロウセキとかカンシャク玉とか。
プラスチックのアクセサリーとかビー玉とか。
スーパーボールくじもあるけど。
ためしに引いてみようかな?
俺は、わたわたする秋乃の意図を汲み取れず。
雑多なおもちゃを眺めていたんだが。
そんな時、ばあちゃんが麦茶のボトルを抱えて日向の席に戻ってくると。
椅子から俺を見上げながら。
一言呟く。
「…………あげ~~~~~~~~、ね」
「いらねえよ」
そして口をモゴモゴさせながら。
両手でボトルを掴むと。
危なっかしく江戸切子のグラスに注いで。
再び俺を見上げて来た。
「……………………有料」
「だからいらねえっての」
笑っているのかいないのか。
まるで分からんしわくちゃな顔が。
『あ』の字を長く伸ばし始めたから。
ああそうかいとか言う気なんだろう。
そんな呑気な時間に。
いつまでも浸っていたいと感じていた俺の視界の端に。
にわかに不穏な動き。
秋乃が、カバンからハンチングを取り出して。
頭にきゅっとセットする。
「なにかあったのか?」
「逆……。見つからない……」
何のことだ?
俺は一瞬眉根に皺を寄せることになったんだが。
おしゃまちゃんの一言を聞いて大体把握。
そして思わず苦笑いだ。
「あのね? なんでか、なくなったの。こちらにあたちがかおうとしてたあおいびーだまがあったのだけど」
なんだ、そんなことか。
ここは所長の出る幕なんかない。
助手の俺が。
華麗に探してみせようじゃ…………、ない……、か?
「あれ?」
「じ、事件……」
秋乃が躍っていた理由。
やっと把握。
さっきから、おしゃまちゃんが言ってたビー玉。
そっちの棚に、有るはずがない。
ビー玉と勘違いするようなおもちゃも見当たらないし。
他に、青く光るものがあるとしたら……。
「ああ、なるほど」
見つけたよ、青いビー玉。
そして、そいつが消えたわけも。
俺は、婆さんのテーブルから。
江戸切子を取り上げて一気にあおる。
そして元の位置に置いて。
角度を調節してやれば……。
「あら、こんなところにあったのね? ほんとうにすてき」
棚に貼られた、『ビー玉はどれでも十円』という張り紙。
そこに影を落とした青い光は。
お日様と婆さんが作った、子供にしか見えない宝石だ。
「きれい~~~~~~~~、かい……?」
「ええ。きれいよ」
「そう~~~~~~、かい~~~~~~」
「あら、あたちとしたことが。びーだまだいを、おしはらいしないとね?」
おしゃまちゃんは、婆さんのテーブルに十円玉を置くと。
真夏のソフトクリームみてえにとろけ切った顔した秋乃の隣へ舞い戻る。
ああ、そうだな。
俺もニヤニヤ顔が止められねえ。
「ははっ。婆さんの作ったビー玉、俺も堪能したから代金払うわ」
そしておしゃまちゃんの置いた十円の隣に。
秋乃の分と合わせて二十円置くと。
婆さんは。
ふるふると首を振って。
こんな魔法をかけた魔女らしく。
素敵な言葉で、夢の物語を締めくくった。
「お茶は百円」
「うはははははははははははは!!!」
梅雨の合間に出来た小さな陽だまりは。
俺たちの世界の全てを暖めてくれた。
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