佃煮の日


 ~ 六月二十九日(火) 佃煮の日 ~

 ※内弁慶うちべんけい外地蔵そとじぞう

  家の中では威張るけど、外では大人しい人。




 図書館でテスト勉強してからの帰り道。

 でも。


 何かよそ事に夢中になっている時。

 勉強させるのがほんとに大変なこいつ。


 舞浜まいはま秋乃あきの


 飴色のサラサラストレート髪の上にハンチングを乗せて。


「彼は、何かを隠しているのかも……」

「心から申し訳なさそうに謝ってる人に対して失礼だろうが」


 薄暗い路地を塞ぐ黄色い帽子のおじさんにさえ。

 疑心暗鬼の目を向ける。


「お前、図書館でも謎探しばっかして。成績落ちても知らねえぞ?」

「この先に、何か……」

「あの先には回る寿司屋と、メニューに餃子とビール以外何も書いてない変な店しかねえ」

「じゃあ、なにか大変なものが入った餃子?」

「たっぷり入った白菜とニラにも疑いの目を向けるか」

「じゃあ、お寿司の方?」

「寿司……、か」


 そうだな。

 そっちには若干なにかの作為を感じなくはない。


 勉強で遅くなるって。

 晩飯は済ませて帰るって電話したら。


 親父のヤツ、舞浜母と春姫ちゃんと凜々花とで寿司食って来るとか言い出しやがった。


「まあ、俺たちがいると料金が倍になるからやむなしか」

「立哉君、三人前も食べるの?」

「さすがにそれを否定したら男じゃねえとは思うけどもよ」


 くるくる回っているのが楽しいと。

 皿を積むのが楽しいと。


 俺が叱るまで永遠に食い続けて。

 二度と回転ずしに連れて来るまいと親父に言わせたくせに。

 

 でも。

 そうだな。


「……いつか、誕生日の時にでも連れてってやるか」

「回転ずし?」

「回ってねえ方だよ。……なんだその万馬券破り捨ててるおっさんみてえな顔」

「回ってる方がいい……」

「変な子!!!」


 小さな子供かお前。

 どうなってんの一体?


「……まあいいか。じゃあ、テストでいい点取ったら連れて行ってやるよ、回転ずし」

「ほんと……!?」


 急に、ぴょこんと俺の前に飛び出して。

 下から俺の顔を嬉しそうに望み込んだ美人さん。


 可愛いじゃねえか。

 任せとけよ、それくらい。


「す、すごい財力……」

「いや? 俺が優れてるのは交渉力」

「……ん?」

「親父を騙してもう一度回転ずしに連れて行かせれば…………? あれ?」


 なんだよ、急に膨れてつかつか歩き出して。


 俺、なんか変なこと言った?


 秋乃のことは、よく分かってるつもり。

 でも、まったく分からんと思うこともよくある。


 自分の中で二律背反。

 今の反応はさっぱりだ。


 俺は、頭を掻きながら。

 やたら早足になった秋乃の背中を追って歩いたんだが。


 このまままっすぐ行くと。

 食い物屋が無くなっちまう。


「おい、そろそろ店決めろよ」

「んと…………。じゃあ、ここがいい」


 すると即断即決。

 足を止めた秋乃が指差す一軒。


 電車の中じゃ。

 中華か蕎麦がいいって言ってたけど。


 さてさて、なに屋を選んだのかな?


「…………なに屋だこれ?」


 横開きの扉が客を寄せ付けない。

 古びた赤暖簾に白文字で『食堂』とだけ書かれた大時代的な食い物屋。


 食品サンプルどころか。

 メニューすらどこにもない。


「何でここセレクトしたし」


 俺の表情なんかお構いなし。

 秋乃は、欠片の躊躇もなく扉を開くと。


 先に入っていたお客さん。

 新聞読んでるおっさんの横を通り過ぎて。


 奥のテーブルで携帯いじってるおばさん。

 その隣の、四人掛けの席。


 ちょっと油っぽいテーブルに据えられた。

 今にも壊れそうな丸椅子に腰かけた。


「……この柔軟剤の香り、好き」

「なんのこっちゃ」


 言われてみれば。

 どこからか、ほのかに香りはするが。


 まあ、それよりもだ。


 今時、珍しいまでのボロ食堂。

 でも、そういう店ならではの光景が。


 秋乃の好奇心をくすぐったようだ。


 こいつは、切れ長の目を丸く開いて。

 縦に五枚、横に三十枚ほど。

 ずらりと並んだ短冊の海を行ったり来たりさせていた。


「すご……。知らない料理が半分以上……」

「選びきれんな」


 キッチンには親父さん一人。

 フロアには誰もいねえ。


 料理も出てくるの遅そうだ。

 のんびり行こう。


 俺は、セルフで水を汲んで。

 よれよれになったマンガが並ぶ棚を見て苦笑いしながら席へ戻ると。


「た、立哉君。味のたたきって、なあに?」


 妙な質問でお帰りなさいされた。


「味じゃなくて、鯵だろ?」


 イントネーションがもの知らずまる出し。

 呆れながら、秋乃が指差す方を見れば。


「……ほんとに味のたたきって書いてある」


 ああ、なるほど。

 創作メニューがウリのタイプの店か。


 何が叩きにされてるのか。

 常連さんしか知らないやつ。


「じゃあ、チキン南蛮トライは?」

「知らん」

「それなら、パワーボム丼は?」

「知らん」

「じゃあ、さとうさんスペシャルは?」

「全部、親父さんに聞かなきゃわからんやつ」


 せめて説明書けよと思わなくもないが。

 あんな小さなところに書かれても読めねえか。


 そういうチャレンジメニューじゃなく。

 一般的なの食おうぜ、秋乃。


「じゃあ、かつのわかれは?」

「知ら…………? いや、それなら知ってた」


 教えて教えてと。

 身を乗り出してくる秋乃。


 こいつのこういう子供っぽさ。

 素直に可愛いと思うし。


 こいつの知らない事を。

 教えてあげるのが楽しい俺がいる。


 よし、それじゃ、俺のありあまる知識を。

 ご披露してやろうじゃねえの。


「わかれってのはな? かつ丼の上だけ、ご飯に乗せずに皿に盛ってるやつ」

「へえ! さすが立哉君。物知り」

「ふふん。もっと褒めろ」

「なんで別にするの?」

「…………知らん」


 ちょっと。


 気分よく終わらせろよな?


 そんな意地悪女は。

 わかれをセレクトしたから。


 自分の生姜焼き定食と一緒におっさんへ注文した後。

 待つこと三分。


「……ん?」

「すごい……。ほんとに別々……」


 秋乃と俺の前に。

 やたらと早く注文の品が出て来た。



 あれ?

 先にお客さん二人いるのに。


 二人とも。

 食い終わってるのかな?



「い、いただきます……」

「ん? おお。食おうか」


 そして、秋乃が一口頬張って。

 美味しさに微笑むと。


 珍しく、ガツガツと。

 それなり豪快にかきこんでいく。


 ……おお。

 いい食いっぷり。


 俺もつられて。

 生姜焼き一枚丸ごと食った後。

 丼からご飯をがっつり口に放り込む。


 おお、なんという男メシ。

 濃い目の味付けでご飯が進むこと。


 そんな勢いで。

 半分ほど食い進んだところで。


 耳に入って来たのは。

 軽快な電子音。


 オーブンを開ける音がその後に続くと。

 親父さんは、女性にラザニアのような物を出して。



 その後。

 男性の席に、かつのわかれを出した。



「……あれ?」

「ふ、不思議……、ね?」

「そうじゃなくて。これ、まずいだろ」

「ううん? 美味しいよ?」

「は?」

「真っ黒なのに美味しい。小さいお魚」

「お前ねえ」


 付け合わせの佃煮の話じゃねえ。

 お前だって目にしてるだろうに。

 おっさんが先に頼んでたんだぞ、そのカツ。


 これはいわゆる順番間違い。

 めし屋じゃ、一番不快に感じる案件だ。


 でも。


 新聞を畳んだおっさんは。

 俺たちをにらむでもなく。

 店の親父に文句を言うでもなく箸を割る。


 ……うーん。

 一言、謝った方がいいのかな?


「……これ、ゆっくり味わっていい?」

「いや、それよりもだな」

「真っ黒。でも、ところどころの飴色がキラキラ光って素敵。シェフを呼ぶべき?」

「迷惑だ」


 それにさ。

 シェフって顔か、あれが。


「こほん。こちらのお料理は、何というものかしら?」

「料理名? 佃煮に料理名なんてねえ」

「では、わたくしが素敵な名前を付けてさしあげてよ?」

「なに様なんだお前は」

「ブラックゴールドフィッシュ」

「でめきんになっとる」


 やれやれ。

 ホントもの知らずだな。


 でも折角美味しく食べてんだ。

 叱るのは後にしとこう。


 ケンカしてたり、叱ってたり。

 そんな声が聞こえたら。

 飯がまずくなる。


 ……そして、宣言通り。

 たった五匹分の小魚を。

 じっくりゆっくり味わうグルメセレブのせいで。


 後から料理を出された二人が先に立ち上がったんだが。


「……ああ、さすがに謝っとくか」

「え? なんで?」

「なんでって。お前と同じ料理頼んだのに、後から彼のとこに出て来たから」

「…………同時に出したから、じゃないの?」


 は?


 同時って。


 なに??


 眉根を寄せる俺をよそに。

 美味しそうに最後の佃煮を齧る秋乃。


 そんなこいつの背中越しに見えた光景が。

 俺に、この店で起こった事の全てを教えてくれた。



 ……店の親父がレジに入ると。

 財布を開いたのは女性だけ。


 そして二人で店の扉を開くと。

 なにやら口喧嘩を始めながら出て行った。



「なんと。二人客だったのか」

「うん。……素敵なマナーのご夫婦」

「どういうことよ」

「食堂でケンカしてたら、周りの方に迷惑だから」


 ……おお、なるほど。

 事情は分かった。


 二人が店に配慮したことも理解できたし。

 店の親父が二人へ同時に料理を出したってことも分かった。


 でも。


「何であの二人が夫婦だって分かったんだよ」


 俺の質問に。

 名探偵は、にっこり微笑む。


 そして、食事中だってのにハンチングを頭に乗せると。


「……柔軟剤が、一緒だったからだよ、助手くん」


 そう言って。

 物語の幕を閉じた。



 ……やれやれ。

 お前にかかったら。

 確かに俺はまだまだ助手みたいだな。

 

 俺は、またも勝負に負けたことを悟りながら。


「ほれ。ブラックゴールドフィッシュ」


 自分の分の佃煮を。

 勝者へ進呈してあげた。



「……そんなに気に入った?」

「それはもう」

「どんくらい?」

「一度飲み込んだのを出してまた味わいたいほど」

「うはははははははははははは!!! ほんとにデメキンになっとる!!!」



 そして、俺は。

 飲食店で大爆笑というマナー違反について。


 くどくどと咎められ続けることになった。

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