第7話 涙
「いつから痛めていたんだ?」
黙り込む僕に、ジジが聞いてきた。
「春季大会が終わってしばらくしてから」
ため息交じりに答える。
「監督に伝えていなかったんか?」
僕は首を縦に振った。
「故障したなんて監督に知れたら、治療に専念しろって言われるに決まってる。そして治療の間、練習できなくなる。夏の大会に間に合わなくなってしまう」
「だから隠してたのか……」
責める感じではなく、心配しているような口調だった。
「病院には行ったのかい?」
「隣町の整形外科クリニックに一回。病院で精密検査が必要って言われたんだけど、学校近くの病院にかかると監督にバレると思って、それから行ってない」
「監督は知っていたようだがなあ」
僕は右肘をさすりながら苦笑した。
「よくこうやって右肘を触っていたからかな。監督からは何度か聞かれていたんだ。大丈夫かって。でも、問題ないです、大丈夫ですって答えてた」
春季大会が終わってから、夏の大会でレギュラーになることを目標に、自己練習の量を大幅に増やしていたことが、肘への大きな負担になったのだろう。
練習試合のときは、痛みはまだそれほどひどくはなかったのだけれど、その後は痛みが増していき、最近では投げ込むと激痛が走るようになるまで悪化していた。
やばいとは思いつつも、練習試合で掴んだチャンスをみすみす逃すわけにはいかないと思った僕は、痛みを隠して投げ続けた。
しかし監督は気づいていたのだ。そして、監督は僕をベンチ外にした。
迷いなく、冷酷に、淡々とだ。
チャンスは掴んでいた。
実力では今村に負けていないと、今でも思っている。
だけど僕は肘を痛めた。認めざるを得ない現実だ。
ベンチ外になるのは当然なのに、僕はその現実から目をそらし、監督が僕を選ばなかったことを受け入れることができなかった。
いや違う。受け入れたくなかっただけなのだ。
そのときだった。
テーブルの上の写真に、一粒の水滴が落ちた。
あれっと思ったときにはもう遅かった。
いくつもの水滴が、写真の表面ではじけ飛ぶ。
それが引き金となった。
「本当は……」
僕は、嗚咽混じりの声を出した。
「本当は、もう引退試合のメンバー発表があったんだ」
流れる涙をそのままに、ジジの顔を見ながら真実を告げる。
「僕は、来週の引退試合に出ることになった。夏の大会のメンバーには……選ばれなかった」
ジジが頷いて聞いている。
「選ばれなかった自分が情けなくて、母さんやジジたちに申し訳なくて……、ついメンバー発表が延期になったなんて嘘をついてしまったんだ」
ごめんなさい、と言いながら頭を下げる。
「ジジに一回でもグラウンドでプレーする姿を見せたかった。ジジに甲子園に立つ自分の姿を見せたかった。ジジをこの手で甲子園に連れて行きたかった……。そして――」
止めどなくあふれる涙を拭い、僕は顔を上げた。
「野球の楽しさを教えてくれたジジに、恩返しをしたかった!」
僕がジジにできることなんて、それしかなかったから。けど……。
「……けどだめだった」
ごめん。
本当にごめん。
僕は何度もそう繰り返した。
言葉に詰まりながら、何度も何度も、ごめんと繰り返した。
泣きじゃくる僕を、ジジはずっと見守っていた。
しばらくして、ジジが笑いながら口を開いた。
「なに馬鹿なことを言ってんだ。ジジはな、航太の頑張っている姿をずっと見てきた。小学校のときからずっとだ。それ見るのが楽しくて仕方がなかった。航太はな、ジジの生きがいだったんだよ」
ジジはテーブルに広がっている写真に目を向けた。そこには、ジジから見た僕の姿が写っていた。温かく、優しい視線が感じられる写真だ。
「謝れるようなことは何もない。むしろ礼を言いたいぐらいだ。これまで、ジジを楽しませてくれてありがとな」
カメラを片手に、ずっと僕の試合を追いかけてくれたジジは、そう言ってゆっくりと
その姿を見て僕はまた涙を流した。しかし、この涙はさっき流した悔し涙ではなかった。
結果として、僕はジジたちに公式戦での活躍を見せることはできなかった。
努力してきたことが報われなかった。
報われない努力は、まだ努力とは呼べないというのなら、僕がやってきたことはなんだろうか。
無駄な努力か。
違う。そうじゃない。無駄なんかじゃなかった。
だって、報われたじゃないか。
確かに結果は出なかったけど、ジジが感謝してくれたこと、ありがとうと言ってくれたことで、僕の努力は報われたのだ。
ジジが続ける。
「それにな航太。お前の高校野球は、まだ終わってないだろ。チームを応援するのが航太の新しい役目だ。しっかり応援して、チームを甲子園に連れて行け。ジジとの新しい約束だ」
チームのために。
これまで受け入れられなかったその言葉が、すっと僕の心に入ってきた。
「――分かった。僕の応援でチームを勝たせる。そして決勝も勝って、ジジと一緒に甲子園へ行く。約束するよ」
泣き止んだ僕は、ようやく気持ちの切り替えができたようだった。
「そりゃあ、楽しみだ」
ジジは嬉しそうに微笑んだ。
――続く
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