第8話 見送りの時間

 ジジと一緒に寮の玄関までやってきた。


「本当に駅まで送らなくていいんか?」

「ああ、大丈夫だ。迷わず行けるさ」

 じゃあな、と言って歩き出すジジに、後ろから声を掛ける。

「来週の引退試合、観に来てくれるんだろ?」

 ジジが立ち止まり、振り返った。

「当たり前だ。特等席で観戦するわ」

 ジジが再び歩き出す。僕はジジの背中が見えなくなるまで見送った。


 突然の来訪に最初は驚いたけど、ベンチ外になったことや母さんたちに嘘のラインをしてしまったことなどで精神的に辛い状況に陥っていた僕にとって、このタイミングでジジが来てくれて本当に良かったと、今となってはそう思う。

 しばらく立っていた僕は、両腕を上げ、大きく伸びをした。


   ※※※


 コミュニティールームに戻り、テーブルに出しっぱなしになっていた写真を片付けていたとき、後ろから声をかけられた。

 振り返ると渋谷監督が立っていた。条件反射で直立不動になる。

「楽にしていい。玄関でお前を見かけたから様子を見に来ただけだ」

 監督はいつも部員のことを注意深く見ているし、気にしている。だからこそ、僕の故障にもすぐに気がついたのだろう。


「監督、故障のこと、正直に伝えていなくてすみませんでした」

 怒られるかもしれないと思ったけど、僕はけじめとして伝えた。

 監督は頷き、

「まずは検査を受けろ。話はそれからだ」と淡々と答えた。


 監督がテーブルの写真に目をやる。

「いい写真だな」

「はい、祖父が撮ってくれた写真です。あの、監督。祖父を案内していただき、ありがとうございました」

 僕が頭を下げるのを、監督はいぶかしげに見ていた。

「なんのことだ?」

「いえ、さっき監督が僕の部屋を尋ねてきて、お客さんが来てるって言っていたじゃないですか。そのお客さんが、僕の祖父なんです」

 監督が腕組みをして首をかしげる。

「私は誰も案内していないぞ。ただ、その封筒が学校あてに届いたから、寮に届けるついでにお前に手渡しただけだ」

 監督が茶色の封筒を指差す。そこには切手が貼られており、宛先として学校の住所と名前が書かれていた。裏を返すと、実家の住所と祖父の名前がある。癖のある筆跡で、ジジが書いたものだとすぐに分かった。

 ジジから手渡されたとき、こんな文字は書かれていなかったように思う。


「午後から学校に来いよ」と言い残し、監督が去っていった。

 僕は、封筒を見ながら考える。

 この封筒は、ジジの古いバックから出てきたものだ。そしてそのジジは、監督が寮に連れてきたはず。なのに、監督の言葉はそれを否定している。

 どうなっているんだと考えていたそのとき、パンツの後ろポケットに入れていたスマホに着信があった。


 画面に母さんの名前が表示されていたのですぐに出る。

「もしもし……」

 母さんの声がかすれていることに、すぐには気づかなかった。

「もしもし、母さん。ちょうど良かった。こっちから電話しようと思っていたところだったんだ」

「……」

「ついさっき、ジジが帰ったよ。本人が大丈夫だって言うから駅まで見送りはしなかったけど、いいよな?」

「……」

「もしもーし。こっちの声、聞こえてる?」


 母さんの反応がないので、電波が悪いのかなと思っていたところ、電話の向こうからすすり泣く声が聞こえてきた。


「なに、どうしたのさ」

 びっくりして問い質すと、母さんがようやく口を開いた。


「……ジジが、死んじゃった」


「なんだって?」

「だから、ジジが亡くなったのよ」

 あまりに突拍子もない話だったので、理解するのに時間がかかった。


「冗談はやめてよ。ジジとは五分前まで一緒にいたんだ。死んじゃったなんてそんなこと――」

「本当なの。本当なのよ」

 母さんの泣き声が続く。


 見送ったジジの後ろ姿を思い出す。駅まで見送らなくていいかと聞いたとき、大丈夫だとジジは答えた。それが大丈夫じゃなかったとしたら――。


「駅までの間に倒れたとか、事故に遭ったとか、そういうこと?」

 僕は焦って声が大きくなった。

 もしそうだったとしたら後悔してもしきれない。駅まで一緒について行っていれば、ジジは助かったかもしれないのだ。


「違う。そういうことじゃなくって」

「じゃあ何があったのさ」

 状況が分からず、だんだんイライラしてきた。


 電話口からは、母さんがふうと大きく息をつく様子が聞こえてくる。

「ねえ航太。冷静に聞いて欲しいんだけど」

「うん」

「実はここ最近、ジジの具合が悪くなっていたの。最悪の結果になるかもしれないから航太にも容態は知らせた方がいいと思っていたんだけど、ジジが航太には伝えないでほしいって言うから連絡していなかったのよ。航太はいま大事なときだから、自分のことで心配掛けたくないって。ほら、航太はおじいちゃん子だったし、父さんのときのように、野球に影響が出るのを気にしたんじゃないかしら」

 認知症気味だということは以前に聞いていたけど、具合が悪くなっていたなんてことは、いま母さんから聞いて初めて知った。


 ただ、これが本当なら疑問が生じる。

 最悪な結果になるかもしれないほど身体の容態が悪い中、どうやって僕を尋ねてくることができたのか。

 コミュニティールームでジジと話をしていて、だいぶ年をとったなとは感じたけど、具合悪そうには見えなかった。これはいったいどういうことなのだろうか。


 僕の疑問に答えるように、母さんが話し始める。

「ジジはね、昨日の夜、家で倒れたの。すぐに救急車で病院に行ったんだけど回復しなくて、それからずっと意識不明になっていたのよ」

「え? 昨日の夜?」

 そんな馬鹿な。昨日の夜に倒れていたっていうのなら、さっきまで会っていた人物はいったい誰なんだ。


「朝、航太から電話が掛かってきたとき、母さんとババは病院でジジに付き添っていたところだった。ジジとの約束はあったけど、さすがにそんなこと言ってられないと思ったから、ジジの容態を航太に伝えようとしたの。そしたらジジが航太のところに行ってるって聞いたものだからびっくりしちゃって、慌ててババを電話口に呼んだのよ。

 ババにはすぐに分かったみたい。ジジが航太に会いに行ったんだなって。ジジは航太のことが大好きだったし、心配していたからね。水を差してはいけないと思って、本当のことを伝えないことにしたらしいわ。

 電話を切ったあと、母さんとババはね、ベッドに横になっているジジを見ながら話していたんだよ。あの二人、いまごろどんな会話をしているんだろうねって」


 まさか、とは思った。

 母さんの話を信じるなら、僕が会っていたジジは幽霊、いやまだ死んでいないから生き霊ということになるのだろう。

 とてもじゃないが、信じがたいし、信じたくない話だった。

 ただ、母さんが嘘をついているとは思えないし、ジジを案内していないという渋谷監督の発言も併せて考えれば、母さんの話を信じるしかなかった。


「そして、さっきだよ。先生が来て、死亡確認していった。たぶん航太がジジを見送ったぐらいの時間だと思うよ。ジジも航太と話すことができて安心したんじゃないのかい」

 驚かなかったと言えば嘘になる。けれど、不思議と怖いとは思わなかった。

 それより、会いに来てくれたことがすごく嬉しかった。

 僕は、テーブルの上の写真を眺めながらジジとの最後の会話を思い出し、

「そうだね。すごく安心していたよ」と答えた。


 引退試合のメンバー発表を前に、ジジは孫のことが心配でならなかったのだと思う。

 ジジは、自分が見てきた僕の姿を伝えたくて、これまでに撮った写真を送ってきてくれたのだろう。きっと楽しんで野球をする気持ちを思い出して欲しかったのだ。


 母さんが「あ、ちょっと待って、ババが代わりたいって」と言った。すぐにババが電話に出る。

「もしもし、航太かい」

「ああ、そうだよ」

「航太、ありがとね。最後に、ジジの相手をしてくれて、本当にありがとね」

 泣いているババの声を聞いて、僕もまた涙が溢れてきた。

「ババ、すぐに帰るから待っててくれよ。ジジと最後にどんな話をしたか、聞かせてあげるからさ」

 ババは泣き笑いのような感じで、「待ってるよ」と言ってくれた。


――続く(次回最終話)

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