11月9日

1

 僕は四谷先生に呼び出され、教員室に向かった。僕の普段通っているキャンパスと、先生の教員室のあるキャンパスが別々だったから移動が面倒だった。


「配属先決まったの?」


 部屋に入るなり、先生は言った。


「まだ二年生ですよ。」


 近況報告のために先生は僕をわざわざ呼んだのだろうか。だとしたら迷惑な話である。先生は教養講座で僕のいつもいるキャンパスに来ることはよくあるし、何なら食堂で見かけることもある。そこで話そうと思えば話せるのだ。


「僕の頃は二年で配属されたけどな。」

「そんなわけないじゃないですか。」


 そう言っても先生はピンと来ていないようだった。博覧強記と言われる四谷先生も興味のないことについてはさっぱりだった。

 ガチャリとドアが開いて一人の男が入ってきた。男は大学生というには年かさだった。


「お久しぶりです、四谷先生。三…」

「…ヶ月ぶりだね。」


 先生は彼の言葉を切って言った。彼はそう言われて明らかにたじろいでいた。


「今日は二人でお話がしたいのですが。」


 彼は平静を装って話を続けていたが、黒目が泳いでいるのが僕でもわかった。


「彼にもいてもらった方がいいだろう。夷島についてきたんだから。」


 男は二の句が継げず、ばつの悪い顔をして黙っていた。


「先生、この人は。」

「太田君。教え子だよ。卒業後警察庁に就職した。」


 今日はラフな格好をしていたから言われるまで気づかなかったが、彼が夷島の港で先生に気づいていた黒服だということがわかった。

 太田という男はおそらく、私用で会いに来たと装っていたに違いない。だが、先生は彼の存在を夷島の港ですでに気づいていたのだろう。

 先生は太田さんに大判の茶封筒を渡した。


「これを読んで、文句があるなら連絡ちょうだいよ。」


 太田さんは封筒を受け取ると先生をチラと見てから、封筒を開けて中身を取り出した。中には紙束が入っていた。恐らく先生の論文だろう。彼は紙束に目を通していた。

 先生は奥へ行って何やらガチャガチャと音を立てていた。


「君たちもこっちへ来なさいよ。せっかく書いた論文なんだ。腰を入れて読んでほしいな。コーヒーも入れるからさ。」


 奥から先生の声が聞こえた。続けて水音やコンロのつまみを回すカチッという音がした。


 テーブルには湯気の立ったコーヒーが3つ置いてあった。太田さんはまだ論文に目を落としていた。


「熊沢君を捨て駒にする必要はあったの。」

「それに関しては我々の落ち度です。」


 太田さんは顔を上げずにぶっきらぼうに答えた。先生はそれ以上何も言わなかった。


 しばらくしてようやく太田さんが顔を上げた。彼は驚いた表情で先生を見ていた。


「どう?」


 先生は得意げに笑みを浮かべていた。


「占領期に米軍が行った民俗調査の誤りを指摘して、再調査を呼びかける論文なんだけど。」

「何も言うことはありません。」


 太田さんは紙束を茶封筒に入れて、先生に差し出した。


「あげるよ。原本はパソコンに入れてあるから。」

「そうですか。誤解してほしくないのは、これは検閲ではありません。どちらかと言えば『検疫』に近い。」

「わかってるよ。僕も命が惜しいから君たちに協力したわけだよ。」

「ご理解いただけて良かったです。最後に、有名なネットロアですが、『マッケンジー一族の呪い』って知ってますか。」

「あいにくインターネットには暗いんだ。飯出君知ってる?」


 先生は僕の方を見た。


「ええ、知ってますよ。」

「それはよかった。それじゃあ先生今日はこれで。」


 そう言って太田さんはそそくさと帰ってしまった。


「それで、その呪いって何なの?」


 先生は興味深そうに聞いてきた。


「『ケネディ家の呪い』に似た話しですよ。アメリカのマッケンジー工業の創業者一族は皆原因不明の寄生虫病で死んでるっていう噂です。どこまで本当か知りませんけどね。」


 僕は答えたが、先生は急に興味を失ってのか、つまらなそうにコーヒーを飲み干した。僕は結局「マッケンジー一族の呪い」の説明のためだけに呼ばれたのだろうか。


 あれから3か月が経とうとしていたが、熊沢さんはまだ見つかっていなかった。警察が来ていたにもかかわらず、夷島での一連の不審死は一切報道されなかった。

 先生や熊沢さんが「巨大人面イモムシ」を見たと言ったあたりから、僕も「常世神」が存在するという前提で行動してきたが、考えてみれば夷島で島民の奇妙な祭祀を目の当たりにはしたものの、「常世神」は見ていなかったし、それどころか説明のつかない不思議な体験は一切していない。


 夷島で僕が実際に見たなかで一番不思議だったのは、波止場で先生と旅館の女将さんが我を忘れて唇を重ね合わせていたことだった。二人はいつの間にデキていたのだろうか。


「コーヒー、もう一杯どう?」


僕のカップを覗き込んで先生が聞いてきた。


「大丈夫です。それよりーー」


山上神社で熊沢さん頼まれたことをまだ先生に言っていなかった。夷島での一件でわかったのは、太田さんの属する組織はうまく機能していないということだ。黒服たちに任せっきりにするのではなく、僕たちも行動する必要があるのだ。


〈完〉

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流された神の島 厠谷化月 @Kawayatani

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