幻想と分析 もしくは戯言

宮沢賢治は好きじゃなかったんです。


賢治の詩集を読んではみたものの、

中身が全くわからない。

別段、語彙や知識の話で

解決できることなのだけれど。


まとわりついてくるような

センチメンタルを感じない。


僕にはその受け口がない。

ノスタルジアと舞踏するだけ。

その先の、計略的な詩情と、

奥ゆかしき紐のつながりなどは

僕にとっては遠き世界だ。

違う世界だ。

崖底のようなところだ。


だから、宮沢賢治は好きじゃなかった。

そう思うんです。


僕はいつまでも

ディレッタンティストでしかいられない。

だからちょっとでも僕より、

僕より高尚なおこないをするならば、

それは僕より勤勉であることの

違いない証明になるのです。


(僕はそもそも

ディレッタンティストですら

ないのかもしれませんが!)


賢治がディレッタンティストなら

僕は詩よりも以前のところに

僕の欠陥を認めるほかないのです。


結局、僕はほんものの文藝家にはなれません。

東大も落第できません。

だって、入れないんですもの。

僕はその門まで歩くことすら

ままならないんですもの。


例えば、ほら、

あの子がであるならば。

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