第8話

 



 それは抑揚のない平坦な声だった。

 鈴を転がした様に美しいソプラノは様々な感情が込められていて、しかしその真意を掴むには冷たく、そして硬質だ。



「な、なんだ?」



 太田の前に、三船大和がゆるりと歩み寄る。身長にして百五十強。線はモデル様に細く儚く、肩下まで流れる濡れ羽色の髪は妖しく日光を跳ねていた。


 両者の間に一陣の風が吹く。

 桜色の唇に触れる横髪を、大和は気にも掛けずに太田を見据えていた。



「……」



 突如として目の前に現れた少女を、太田は見定めた。


 ウインドブレーカーに身を包んでいるものの、凡そグラウンドが似合わない見目をしている。見る者が見れば、女優がバラエティでジャージを着込んでいるかのようなアンバランスさを感じることだろう。


 それでいて幼い。

 太田は一年生――四月に二年生へと繰り上がるクラスの担任を受け持っているが、自身のクラスの女生徒達と大和を比べると、未だに残る幼さを感じた。しかしそれと同時に目の前の少女には、その幼さに似合わぬ静けさが同居していた。


 対照的とも言える脂肪をしっかりと蓄えた大柄な太田は、小さな大和が身に纏う確かな存在感に一歩後退っていた。氷の様な冷たさが宿る大和の切れ長の目は、彼の意思を待たずに他者を威圧する気迫を帯びているからだ。


 大和は足元に転がっていた白球を一つ拾い上げて、こう太田に言い放つ。



「俺も勝負、してもいいですか」


「は……?」



 何を言われるかと思って、太田は何を言われたのか理解が追い付かない。隣の久留木に解釈を求める様に視線を動かすも、久留木も困った様に眉を曲げるのみだった。


 大和は困惑する彼らを追撃するように、こう重ねる。淡々と。



「一打席勝負、俺にもやらせてくださいよ先生」


「……? どういうことだ。君も古賀に対して一打席勝負設けたいと言いたいのか」


「そう」



 大和の提案は、所属を問わずその場にいる全ての人間に困惑した空気を齎した。

 教師も、サッカー部も、野球部も『どういうことだ』と隣の誰かに説明を求めたくて視線が左右を揺蕩っている。


 大和はその空気を読まず、さらに太田に畳み掛けた。



「俺が投げて、そこの古賀サン……? に三振取れたらさっきの話帳消しにしてもらっていいですか。野球部がグラウンド使えなくなるってやつ」


「……君はなんなんだ。 見たところ……野球部ではないんだろう? なぜそんなことを言い出す」


「別に。俺もやってみたくなっただけです」


「投げれるのか」


「……リトルやってたので」


「……ふん、しかし勝負はもう決まっとるんだ。その勝負を受けるメリットがどこにある」


「負けたら俺、サッカー部のマネージャーやってもいいですよ」


「なに?」


「それと――」



 へぁ?

 大和に腕を引っ張られた撫子は、そんな腑抜けた声が漏れ出た。



「――小夏先輩も、野球部辞めてサッカー部のマネやりますんで」


「え……!? いやちょっと三船さん待っ……」



 まるで間欠泉から噴き上がった様に、サッカー部が盛り上がった。

 勝負に勝つだけで大和と撫子が手に入る。学年の中でも男子人気筆頭に近い小夏撫子がマネージャーになるという話は、彼らには魅力過ぎた。


 顧問の太田の指示を仰ぐことなく、主将の古賀が受けて立った。



「決まりだな。ようし、もう一打席勝負だ! お前ら! 今日から美人マネが二人も増えるぞ! 俺に感謝しろよ!」


「お、おい古賀……」


「硬い事言うなよ太田センセ。俺がばっちりまた綺麗なホームラン見せてやっからさ」


「う、うぅむ……」



 徐々に流されていく太田に、大和の視線が突き刺さる。



「で? やるの、やらないの?」


















「お、おい……! いいのかこんな事……!」


「全然いいんじゃないですか」


「いや絶対大丈夫じゃない……何もかもが……!」



 右手に野球部から借り受けたグラブを着ける大和に対して、澤野は当たり前だが取り乱していた。詰め寄る澤野に対して然程興味がないのか、小さくも美しい少女はまるで彼と目を合わせない。



「そうだよ! ていうかなんで打たれたら私もサッカー部のマネージャーやることになってるわけ……!?」


「……その時は一緒に頑張りましょうね、小夏先輩」


「も~~~っ!! 一緒にがんばりましょうじゃないよ絶対嫌だからあんな部活のマネージャーとか!!」



 ヒートアップする澤野と撫子をヨソに、大和はグラブの感触を確かめる様にぺしぺしと叩いたり広げたりを繰り返していた。当事者であるにも関わらずまるで他人事であるかのような落ち着きぶりに、逆に澤野と撫子の感覚が狂いそうだった。


 他にも何か言いたげな彼らの頭を抑える様に、大和はつらつらとこう述べる。



「澤野先輩。真ん中、外角低め、内角高めの順に球放るので、ストライクゾーンギリギリにミット構えといてください」


「え?」


「早く片づけたいので、三球で仕留めます。ミットは何があっても動かさんといてください」


「い、いや三船さん。野球はそんな甘いものじゃ――」


「よろしくお願いします」



 大和は澤野の返事を待たない。

 ぺこりと小さく頭を下げると、さっさとマウンドへと歩いていってしまった。



「澤野くん……」



 不安一色過ぎる撫子の声を受け、澤野は遮二無二マスクを被った。不安なのは彼だって同じなのだ。



「ああもう……! リトル経験者だか何だか知らんけど、どうなったって知らないぞ」



 ここまでくればヤケだった。

 ちょこちょことマウンドに上がっていく小さな少女の後ろ姿は歴戦の投手ではなく、始球式を任されたアイドルか女優にしか見えなくて更に澤野の不安を駆り立てた。






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ポニーテールとサブマリン。〜高校球界最高左腕が女の子になったら〜 三上テンセイ @tensei_mikami

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