第7話

 




「小夏、野球部のマネなんて辞めてうちに来いよ」


「絶対、嫌」



 ぐるりぐるりと肩を回し、古賀は思いついた様に撫子にちょっかいを掛けた。


 しかし撫子は嫌悪感を隠そうともしない。

 しっしと追い払う様なジェスチャーを交えるも、古賀は気にも留めずに隣にいる大和に興味を示した。



「その子、もしかして新しいマネ? 可愛いじゃん」


「……候補。この子は見学。ちょっかい出さないで……ってちょっと!」



 古賀は撫子の忠告を待たず、大和の前に立ち塞がる。



「君名前は?」


「……三船」


「違う違う、下の名前」



 大和は『なんだこいつ』と言いたげに苦々しく表情を変えると、ツイと顔を背けた。しかし古賀は顔を背けた方向へと回り込む。



「こんな野球部のマネージャーなんてやめときなって。なぁ、もしさ、この勝負に俺が勝ったらサッカー部にきてよ。悪いようにはしないからさ」



 ――しつこい。


 いい加減大和が苛立ちを覚えたところで、古賀の肩を分厚い手が叩いた。



「その辺にしとけ。早くバッターボックスに立てよ」


「……おー怖」



 澤野の警告に古賀は肩をすくめると、悠々と澤野の横を過ぎていく。その背中を射殺さんばかりに、澤野は睨みつけた。



「すまないな三船さん。見ての通り古賀は昔からああいう奴だ。不快にさせてすまない」


「いえ……俺は気にしてないですけど、それより先輩は勝負に集中した方がいいんじゃないですか」


「それもそうだな……折角三船さんが見学に来てくれてるのに、実質部活停止にされちゃ立つ瀬がないからな……」


「一応、応援はしておきます。なんか、むかつくんであの人達」


「ありがとう。ぶっ飛ばしてくる」



 澤野はそう言ってキャッチャーマスクを被ると、ミットを力強く叩いた。
















「一打席勝負。古賀が塁に出なけりゃ野球部おれらの勝ち。お前が塁に出たらお前の勝ちだ。いいな?」


「もちろん」



 古賀は鼻歌を交えながら頷いた。

 ぐるぐるとバットを回しながらバッターボックスに立つ様は、テレビ中継で見た野球選手の物真似なのだろう。



「後悔するなよ」



 澤野の声が、低くくぐもった。

 野球はプロ選手をして打率三割――つまり十回攻撃のチャンスがあって三回成功すれば良い成績と言われる世界だ。つまり単純計算でバッターが出塁できる成功率は三十パーセント。


 北見坂高校野球部のエースピッチャーたる江口も怠けていた訳ではない。

 以前古賀にホームランを許した時からメキメキと力を蓄えてきたのだ。弱小とはいえ伊達に野球部ではない。校内随一と言われる古賀の運動神経をもってしても、江口の投球はそう捕まえられるはずがない。


 澤野は右手で小さくサインを出すと、ミットを構えた。














 ……白球がアーチを描いた。


 快音を従えたそれは、綺麗な曲線だった。

 白球は外野手の頭上を悠々と飛び越えていき、ネットフェンスへと突き刺さる。


 誰が見てもホームランだと言える程の、清々しい快打だった。



 ヒュウ、と古賀の唇から陽気な笛が吹かれる。

 サッカー部員達は野球部員達の心情など推し量ることなく大盛り上がりだ。



「そんな……」


「あーあー……」



 なんとも呆気ない決着だった。

 緊張と力みで本来の力を出せなかった江口の手からすっぽ抜けたボールは打ってくださいと言わんばかりのコースに放たれ、それを古賀が目ざとくつけ込む形でホームランを許してしまった。


 古賀という男は天才だった。

 スポーツ万能という文字を人に起こした様な人間と言って差し支えない。バレー、バスケット、柔道など、体育の実習ではどれも経験者と見紛うばかりの好成績を残すほどに卓越したセンスを持って生まれた男だった。


 ストレス発散にバッティングセンターに足を運んでいる天才こがにとって非才えぐちのごっつぁんボールをフェンスに運ぶことなど雑作ではなかった。



「う、うぅ………っ」



 マウンド上の江口は絶望に歪んでいた。

 何より彼に苦痛を与えているのは自責の念。そして素人相手にこれで二度も本塁打を許したことになる屈辱……。


 アーチを見送った澤野は呆然と立ち尽くしていた。

 呆然と、ただ呆然と、だ。


 青ざめる撫子を横目に、流石に大和も気の毒に思った。

 自分が野球に打ち込んでいた頃、同じように練習環境を取り上げられることを考えれば彼女らの心情たるや想像に難くない。しかし大和にとってみれば結局は他人事。彼岸の火事を眺めている程度の感情しか沸いてはこなかった。



「よく飛んだなぁ! いやよくやった古賀! 久留木先生、約束は守ってもらいますよ!」



 喜色を隠しもしない。

 大口を開けて笑う太田は、愛想笑いを浮かべる久留木の背をバシバシと打った。


 どれだけ強引だろうが破綻していようが約束は約束。

 この瞬間、北見坂高校野球部は練習中止を余儀なくされたのだ。



「……ちょ、ちょっと待ってください!」



 沈黙を破って真っ先に飛び出したのは誰あろう撫子だ。



「こ、こんなの流石に無茶苦茶です! 勝負とは言っても、流石に一部活動の練習場所を取り上げるのは……!」



 悲痛に満ちた訴えだった。

 今にも泣き出しそうな撫子に、しかし太田は狼狽えない。



「小夏、これは決まったことなんだ。彼らは正々堂々と戦って、敗れた。それも君達の得意とする野球で」


「で、でも……」


「それに肝心要の久留木先生にだって許諾は得ているんだ。野球部の彼らだって勝負に応じた。これ以上は見苦しいぞ小夏」


「ぐ……」



 勝ち誇る太田は機嫌をよくしたのか、饒舌に語りだした。



「所詮野球なんて、サッカーと比べたらこんなものなんだわな」


「……え?」 


「いくら日本で支配的な競技とは言え、所詮野球なんて蓋を開ければほぼほぼレクリエーションみたいなもんだ。プロも見てみろ、守備のポジション如何ではガムをくちゃくちゃ噛みながら三、四回バッターボックスに立って棒切れ振り回してるだけで成立してるだろう。そんなスポーツ他のどこにもない。野球なんていうのはな、サッカー部がお遊びでやれるくらいにはどうしようもない欠陥スポーツなんだよ」


「欠陥ですって……!」


「そうだ。そんな欠陥スポーツで甲子園行きのチケットどころか一回戦越すのもひぃひぃ言ってる弱小レクリエーションクラブにグラウンドを使わせておくのは勿体ない。北見坂高校の繁栄の為、グラウンドはサッカー部に明け渡して君達は勉強にでも励みなさい。その方が余程生産的だ。ねぇ久留木先生?」


「いやーはは……ま、まぁそういう見方も一理あるかと……」



 自論を、さも教鞭を振るっているかの様な口振りで展開する太田に撫子は我慢がならなかった。自分の大好きな野球部を、そして自分の大好きな野球という競技をこれ以上なじられるのは、もう耐えがたい。


 撫子の頬を涙が一筋伝う。

 悲しいのではない。ただただ、悔しくて、悔しくて……。


 太田はそれに気づいていない。



「それより小夏どうだ? 今サッカー部はマネージャーが足りてなくてな。良ければこんな部活よりうちのサッカー部に――」








 ――ちょっといいですか?








 大和が、沈黙を破った。





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