第6話

 


「おいーす。お疲れさーん」



 “彼ら”はぞろぞろと、校舎の方からグラウンドへ続く階段を下ってきた。

 人数にして三十名程度。無論野球部員などではない。



「げ……」



 撫子が頬を引き攣らせたのを大和は横目で見ていた。


 サッカーのユニフォームに身を包んだ彼らは、ズカズカとスパイクでグラウンドまで踏み込んでくる。



「よう澤野」



 軽々けいけいとした口調だった。

 歩み寄るサッカー部主将らしき男は、しっかりと丸められた野球部員の頭と違い、流行を追ったような長髪をしていてしっかりと整髪料で整えられている。好青年という印象が強い澤野と違い、こちらはどこか浮ついた雰囲気が感じられる。


 そんな軽薄な絡みに、澤野は警戒心を高めて対応する。



「……古賀、何の用だ? こっちは練習中なんだが」


「いやさ、悪いんだけどグラウンド使わせてくんね」



 サッカー部主将の古賀は易々と話しかけてはきているが、野球部はこの時間のグラウンドの使用許可をしっかりと得ている。


 澤野は至極当然、首を横へと振った。



「駄目だ。そもそもお前達サッカー部もグラウンドの半分は使えるはずだろう」


「それが手狭でさ、一年にもボール触らせたいんさね」


「それはそっちの都合だろう。俺らだってルールに則ってグラウンドを使ってる」



 毅然とした澤野に対し、古賀は態度を崩さない。



「いやー分かるだろ? こっちゃ県大会常連のエリート部、お前らは万年地区予選一回戦負けのお遊びクラブ。グラウンドもどっちに使われた方が有意義かって分かるもんだろ」


「お前……」



 明らかな挑発。

 不快感を煽る文言に、野球部を率いる主将の澤野は苛立ちを隠しきれなかった。



「お前達にはお遊びに見えてもな、俺達だって本気で野球やってるんだ。グラウンドを使うのに実力なんて関係ない。分かったら帰れ」



 ともすれば澤野に胸倉を掴まれかねない。

 だというのに古賀は軽薄な態度を覆さないばかりか、更に嘲りの言葉を上塗りした。



「おいおいおいおい澤野クン。『実力なんて関係ない』なんて言葉にも流石に限度があるだろ。どこにサッカー部に野球で負ける野球部があるんだ?」


「古賀……今すぐにその口を閉じるんだ。今すぐにな」













「……サッカー部に負けた?」



 行く末をぼんやりと見守っていた大和は、薄らと古賀の言葉を反芻した。

 それに撫子が、苦々しく解説を加える。



「前にも同じような悶着があってね。それでグラウンドの使用権利を賭けて一打席勝負したんだけど……そしたら……その、めちゃくちゃ言いにくいんだけど、あいつにホームラン打たれちゃって」


「ホ……。メンツ丸潰れ、ですね」


「うん……あれ以来サッカー部が増長しちゃって、度々ああやっていちゃもんつけてグラウンド横取りしようとしてくるの」


「それはまぁなんというか……」



 サッカー部も当然悪いが、そんな安い挑発に乗ったばかりか負けた野球部も悪い。

 しかしそもそも澤野が率いているこの野球部がそんな挑発の安請け合いするのか? と大和は思ったが――



「おらァ!! てめっ、うちの澤野センパイにそれ以上失礼働いてみろや!! ぶっ飛ばすぞ!! 俺が相手じゃ!!」



 ――パチンコ頭を真っ赤に茹だらせた江口の登場で、合点がいった。



 撫子が頭痛を覚えたように頭を抱えている。

 おい江口止めろ! と静止の声が飛び、野球部員達が羽交い絞めにするも江口の暴走は止まらない。



「もう一回勝負しろや! 俺が三球で三振に仕留めてやらぁ! そったら二度とグラウンドの敷居跨ぐんじゃねぇぞ!」


「おい江口そこまでにしとけ!」



 にやりと、サッカー部員達の口が半月を描いた。

 まるで思惑通りと言わんばかりに。



「おい聞いたか。もう一回勝負だとよ。それも負けたらもうグラウンド立ち入りできないらしい」



誰にするでもない現場の説明口調に、澤野は慌てて横入りする。



「待て! 俺達はそんな勝負しない! 古賀、お前も江口を煽る様なことを言うなよ……!」


「何をそんなに焦ってるんだか。こっちは以前勝ったとはいえ、そっちの土俵で勝負しようって言ってるんだぜ。お前達の大好きな野球でな」


「……っ」


「俺らは別にやめてもいいけど、ここでやめたら明日以降お前らどんな顔して校舎内歩くつもりだ?」



 古賀はそう言って、クイと顎をしゃくって見せた。

 その先にはバレー部やら柔道部やら……いつの間にか野次馬が校舎の方から彼らの様子を見物していた。察するに、古賀がこれから野球部にちょっかいを出すと言いふらしたのだろう。



「上等だオラぁ!! あいつらの前で赤っ恥かかせてやっからよぉ!! さっさと打席立てや!!!」


「お、おいやめろ江口! さ、澤野部長~……! ど、どうしますか……!!」


「くそ……」



 澤野は歯噛みしながら校舎を見た。

 騒ぎ立てるにつれ、野次馬の規模は更に大きくなっている。



『野球部とサッカー部が野球で勝負するらしい』

『え? そんなの野球部が勝つに決まってるじゃん』

『負けたらグラウンド使えなくなるらしいよ』

『まぁ万年一回戦負けの野球部が使うよりいいよな』

『流石に引き下がったら野球部チキンすぎね?』



 ……引き下がるに、引き下がれない。




「……それに実はさ、この勝負許可取れてんだわ」


「は……? 許可?」










「おう、やっとるな」



 高校生の彼らとは違う、成熟した声。


 現れたのは教師二人だった。

 一方は体育教師然としたジャージを着用している小太りの男。もう一方は枯れ木の様に細く、瓶底の様な眼鏡を掛けている頼りない男だ。



太田おおた…先生に久留木くるき先生!」



 体育教師太田がサッカー部の、数学教師久留木が野球部の顧問だ。大人の彼らなら事態を収拾してくれると、撫子はそう思って胸を撫でおろした。


 しかしあろうことかサッカー部顧問・太田は耳を疑う様なことを言ったのだ。



「久留木先生と話がついてな。うちが野球部にゲームで勝ったらしばらくの間はサッカー部がグラウンドを使わせてもらう」


「ど、どういうことですか!?」



 寝耳に水とはこのことだ。


 撫子が食って掛かる。野球部員が騒めいた。

 太田の発言に理解が及ばない。それは野球部員の誰もが思っていることだった。



「お前達野球部はレクリエーションに毛が生えた様な部活だし、休みが増える分には別にいいだろう? うちのサッカー部は校長や後援会からも期待されとるんだ。サッカー部にコテンパンにされるような野球部にグラウンドを半々で分けているのは勿体なくてな。なんでも以前うちの古賀にホームランを許したそうじゃないか。先にも言ったが、グラウンドの使用権に関しては久留木先生とは話がついている」



 太田は全く悪びれもせずにそう言っている。

 野球部と野球部員を侮った許しがたいセリフだった。


 しかし……。



「久留木先生! どういうことですか!」



 澤野の声には怒気が混じっていた。太田やサッカー部が傲慢な意見を持っていたとしても、それを通す顧問の久留木も大概におかしい。


 久留木は肩を跳ねさせると、おどおどキョドキョドとこう答える。



「い、いやぁ、わ、私もどうかな~と思ったんですけど、お、太田先生がどうしてもと仰られて、そ、そのぉ……」



 フケ溜まりの長い髪をがしゃがしゃと掻きながら、目は様々な場所へと泳いでいた。この久留木という気弱な男は元来、顧問でありながらも顧問らしいことを全くしない男だった。彼にとって顧問とは残業代の出ない厄介な仕事を押し付けられただけに過ぎず、どうにかこうにか誰かに任せられないかという思いで一杯だったのだ。


 そこで太田から、今回の打診を受けたというのが事の顛末だ。

 生徒の意見を尊重せず、自分の休みが増えるのならと快諾してしまっていた。野球部に対して多少の罪悪感は感じていたが、それでも久留木は自分を優先してしまった。



「……汚い大人ばっかり」



 事態を察した大和は、そう呟いていた。

 高校生同士の縄張り争いであればまだ可愛げがあったが、それを大人が容認するどころか推奨するのは流石に彼にも思うところはある。


 弱小とはいえ、野球部にとっては溜まったものではない。


 主将の澤野は震える握り拳を更に強く握り込み、太田に対して低い声で敵意を露わにした。



「勝負に勝てば、今まで通り練習してよいのですね」


「勿論だ。そこは俺なりに温情を掛けたつもりだ。無論ゲームなどせずともグラウンドを明け渡してもらえるのなら嬉しいのだがね」


「とんでもない。我々野球部に野球で勝負を挑んだこと、後悔しますよ」


「後悔することになればサッカー部顧問としては残念だが、体育教師としては生徒の成長を喜ばしく思うよ」



 しゃあしゃあと思いもしないことを発言する太田という男が、澤野は憎くて仕方なかった。そうして犬歯を剥き出しにして金属バットを古賀に押し付けるのだ。



「さっさとバッターボックスに立て。以前の様にはいかない」


「……さいですか」



 古賀と太田は粘質な笑みを浮かべていた。



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