第3話 運命の舵輪は廻る

 第一主力艦隊は、中央政府のある「水の都」要塞近海に遊弋していた。メビウス艦隊は8月11日に生起した「第21次ウェーク沖海戦」を機に、北太平洋方面へと転戦したと思われ、極寒の12月に海戦が生起することはなかった。

 そして、今は1月4日。

 ウェーク島の制海権を奪還した太平洋統合政府は、次なる目標をハワイの「鍋蓋」の一つであるジョンストン環礁だった。


 メビウス戦争の初期に奪われたジョンストン環礁は、ここ二、三ヶ月の間に奪われたウェーク島とは異なり、極めて堅い。

 久方ぶりにハワイの北方の制海権の完全奪回した(ウェーク島周辺に散在する人工の要塞すべての破壊に成功)太平洋統合政府にとって、始めて「メビウス完全制海権下」にあるジョンストン環礁を奪い返す機会に恵まれたと言える。

 そのために投入される戦力は、生半可なものではなかった。


 戦艦12隻、重巡洋艦6隻、軽巡洋艦6隻、駆逐艦18隻からなる完全編成の主力艦隊をすべて投入し、さらに偵察艦隊として投入される戦艦1隻、重巡洋艦2隻、軽巡洋艦2隻、駆逐艦6隻からなる国防軍艦隊を12個艦隊、航空母艦4隻、重巡洋艦6隻、軽巡洋艦12隻、駆逐艦24隻からなる完全編成の虎の子の空母艦隊を二個艦隊投入することになった。

 これほどの大艦隊を投入するのは、前代未聞と言えた。

 メビウス戦争中最大の海戦と呼ばれた「北太平洋撤退作戦(キスカ島放棄作戦)」にて投入された戦力ですら、この三分の一に過ぎない。


 しかも、これだけではない。


 十三都市誓約同盟──アジア・東洋政府はこの作戦に空母を含む一個艦隊の投入を宣言。さらに、アメリカに存在しているカリフォルニア政府等の各地の抵抗政権もこれにならい、航空部隊を投入する旨を発表している。


 それほどまでに、この作戦への期待は高かった。

 しかし、これは前年12月のインド洋で行われた大規模反抗作戦の失敗の裏返しでもあった。


 愁が鳴瀬からメビウス研究に関する極秘資料を受け取った翌日から行われたこの大規模な作戦は、最初こそ成功したものの、モーリシャス諸島沖海戦でインド洋政府が惨敗を喫したため、予定していた太平洋とインド洋の打通には失敗。

 相変わらずながら、ジャワ島やスマトラ島などの諸島はメビウスの制海権下にあった。


 要は、各国政府は「戦果」を欲していたのだ。


 「軍事は政治の延長、その意見はたしかに結構なんだけどなあ…」


 愁はそう言わざるを得ない。

 最近の政治にはまるっきし期待していない愁が見ても、これはあまりにもひどすぎた。


 「お前さんが見てもそうか…」


 目の前にいるのは、第一主力艦隊司令長官であるジェームズ=ロンバート少将だった。


 「投入する戦力は確かに過去最大ですが、勝算は薄いでしょうね」

 「つい先程、各所の航空艦隊から報告があった。メビウスは北太平洋から我々の勢力圏を迂回し、その規模を保持したままハワイとアメリカ大陸間の海域を抜け、ジョンストン環礁に入った。

 大々的にジョンストン環礁への圧力をかけすぎだ、どう見ても。たぶんに政治的なものが入りすぎている。いくら国民の意思とは言えども、これほど干渉されると…」

 「まるで、神話時代最大の大戦である第二次世界大戦のソ連を見ているようです。政治将校が国民に変わっただけで、あまり代わりはしません」


 我ながら言えて妙なことだと思った。

 政治将校とは、軍についていた共産党の政治党員だ。しかし、もちろんのことながらソ連なので、軍の指導を行うことも少なくなかった。

 軍の指導とは言えども、実際は指揮のようなものだ。


 国民の意思によって軍の行動が制約される辺り、実際政治将校とほとんど変わらない、いや、むしろ軍の民主的統制(シビリアン=コントロール)という手前、断れないのがさらに悪質だ。

 プラスαで、その国民の衆愚化だ。


 「軍人がここまで言っていいのかわからないのだが、最近の政治は余りにも酷い」

 「明白にアジア人を差別する政策を、「多数派だから」という理由で成立させています。いくらなんでも、これでは…」


 ジャックが、人差し指を唇につける。これ以上は言い過ぎだと、示しているのだ。


 「そちらが怒るのもわかる。俺も、これはやりすぎだと思う。それどころか、軍の連中のほとんど全員、お前と同じ考えだ。

 だが、それを主張したところで…」

 「全く下らないことです。もう、30年も前の民族的イデオロギーに支配され、アジア系とヨーロッパ系の対立は悲惨過ぎます。これではまるで、アパルトヘイトをしていた南アフリカと同じではありませんか…」

 「下らない、その通りだ。というか、もう気づいているんじゃないか、皆」


 その通りかもしれない、と愁も思う。


 「…、人は愚かですね。間違いだと知っていながら、改めようとしない。しかも、改める能力もあるのに」

 「仕方ないんだよ。人間ってやつは、間違いを改めることよりも現状維持を図ろうとする。改革を行えば、反動が来る。

 全く、人はいつになったら進化するんだか…」

 「笑えたことではありませんけれどね」


 その現状維持を望む人の性癖が、メビウス戦争初戦での不味い対応に代表される悲惨な負け戦をまねき、さらにヨーロッパとアジアの対立の遠因にすらなっているのだ。


 「どうして、改められないんだろうな…」

 「今さら言っても宣無きことです。それよりも、今後のことを考えるべきでしょう」


 幸いなことに、軍には人種差別的な思想を持つ人は相当少ない。実力至上主義のこの軍の世界では、そのような思想よりも能力主義だ。

 従って、軍内部では人種に絡む問題は生じない。


 たった一つの例外を除いて。


 「作戦は分かっているだろうな」


 そう問いかけてくるジャックの眼を見る。

 やはり、正気のようだ、軍の連中は。


 「…、存外、軍にも差別はあるのですね」

 「どうだろうな、これは差別というよりは区別な気がするが。それに、それは生まれつきの能力によるものだ。血縁主義といわれればそれまでだが、あいにくどの遺伝子がどう作用すればこうなるのか分からない以上は血縁主義に偏らざるをえない」


 愁が、たった18歳という極めて若年で戦艦、ひいては戦隊を指揮できる理由のひとつ。それは、浅野愁というこの男が竜崎家出身であったからだ。


 現在、人は皆、脳外端子という補助コンピューターを脳に埋め込むことを義務とされている。その脳外端子は、普通はあくまでも補助の役割しか果たさない。

 だが、竜崎、鄭、アーベル、ジェファーソンの四家の出身は、その遺伝子の影響で脳外端子と神経系が完全癒着し、まるで脳の機能がそのままもう一つ出来たかのような状態になっている。つまり、人がもう一人いるかのような圧倒的な処理能力を持っている。

 この処理能力は戦場においては圧倒的だ。

 多角的に一人で考えられる量が二倍だからだ。


 当然ながら、覚えも習熟も良好だ。


 単純に二倍とまではいかないが、少なく見積もっても1,6倍にはなっている。しかし、その副作用として、中枢神経系の処理能力がこれほど増し、さらに殆ど同じ脳が二つあるような状態になったことによって、精神病、中でも二重人格になりやすいというものがある。

 特に、15代の発症率は極めて高く、その為に15歳までで軍務を引退する者も若干名いる。


 ところで、このような面倒な、そして有能な人材をどのように教育するのか。答えは簡単だ。

 彼らは小さい頃から戦場に繰り出され(8歳ごろが普通、それまでに座学を叩き込まれている)、その指揮を先輩に当たるその一家の出身から教わる。

 この家の出身のものだけは職業選択の自由がなく、精神病を発症するか、25歳になるか、戦死するまでは軍務につかなければならない。


 その代わりの補償は莫大な退職金だが、いままでこれを受けとることができたものはいない。

 というのも、25歳まで生き残ること自体が希(3分の2は戦死)である上に、その生き残った4分の3は精神病を発病、のこりの僅か12分の1はそのまま軍務を続行してしまい、結果的には受けとる機会がなくなってしまうからだ。


 「血縁主義というか、「名誉あるキャリア」のようなものな気がしますが…」

 「ほう…、まさかローマを例えで使うとは…。お前さんがローマ好きだとは知らなかった」


 名誉あるキャリアというのは、ローマ貴族(プレブス)が経験する、無償でありながら名誉ある職務のことである。つまり、無償であることが当然で、それが「持つ者」つまり「貴族」の義務である、といったようなことだ。

 軍事的に持つ者であるこの四家は、無償でわざわざ国に奉仕すべきだ、といったところだろうか。


 「お前さんの砲戦能力に全てを賭ける、といえば聞こえはいいが…」

 「実際は露払いでしょう、本隊の前の」

 「いつも苦労を掛けてすまない。だが、これは総司令官の命令だから、俺の権限じゃどうしようもない。許してくれ」

 「別に構いませんよ。その代わり、小飼いの第三戦隊は連れていかせてもらいます」

 「わかった」


 愁に下された命令は、ジョンストン環礁の敵砲台の無力化だった。敵砲台を無力化し、こちらに戦いを有利に進めさせる算段なのだろう。

 しかも、本格的衝突の前に少数部隊ですることで、あわよくばジョンストン環礁にいるメビウス艦隊をおびき寄せることができるかもしれない。


 その代わり、愁はメビウス艦隊の動向を機にかけつつ、砲台を無力化し、その上でメビウス艦隊との接触を避けつつおびき寄せねばならない。

 これは苦行だった。


 「やはり、完全編成の方で」

 「ようは、分艦隊として持ったいかせろと」


 了解した、とジャックは答えた。

 ジャックの了解した、はいかなることがあっても行うということで、この了解は十分に信頼できた。


 「さて、食事も終わったことだ。さっさと飯を片付けて、自分の艦に向かえ」

 「はっ、了解しました、司令官」


 ジェームズ=ロンバート第一主力艦隊司令長官にそう言って、飯をとっとと片付ける。そして、そのまま自分の艦である「桜蘭」へと向かった。

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