もしも長い夢の一部だったら。

 朧気な記憶となって、ぬるい空気に溶けてしまえるのなら。


 ぐずぐずの顔のまま、電車で彼と撮った写真をひとつずつ消していく。一枚一枚、心の内には留めておこう。データよりも曖昧な思い出として、残しておこう。

 小学生の頃もらった修学旅行土産のキーホルダー、家の鍵に付けていた。高校入試前日にもらった彼のお下がりの腕時計、大事に毎日使っていた。去年の誕生日にもらったボールペン、いつもペンケースの中に入れて持ち歩いていた。


 貴方と一緒に過ごした時間。

 貴方が贈ってくれたモノ。


 日常に溶け込むように、カオルちゃん、貴方の存在は俺にとって当たり前になっていた。

 直ぐに忘れるなんてできないよ。全部全部、貴方を消し去ることなんてできないよ。


 思い当たる手元にあったタカラモノたちを、最寄り駅のゴミ箱に捨てた。


 くしゃりと呆気なく底に落ちる。

 小さな穴から中を覗いても、暗くて見えやしないけれど、さっきまで、この一瞬までは輝いていたモノだったんだ。


 忘れたくない。

 貴方をまだ想い続けたい。


 改札前のゴミ箱の隣に蹲って声を上げて泣いた。

 帰宅ラッシュの数多の足音に、俺の泣き声は紛れるだろうか。

 香水の甘い匂い。タバコのツンとした香り。

 涙を拭った袖口は、大好きな彼の匂いが染み付いたままだった。


 すきよ。大好きよ。


 視界が霞む中、貴方の連絡先を消す。


 貴方の存在をデータの海に葬っても、脳裏にこびりついて離れやしない。

 090から始まる貴方の番号。耳の奥で反響する着信音。


 忘れられない。

 忘れたくない。


 貴方を想った年数が、人生の中でちっぽけに思えるような日が来たのなら。俺は貴方を思い出す時間なんて来ないのだろうか。


 馬鹿な所業だってわかってる。

 それでもいてもたってもいられない。

 後悔なんて後からするものだ。これ以上失うものなんてない。想いを伝えられなかったことより惨めな出来事、二度と来るとは思えない。

 胸の痛みを傷で上書きしたっていいじゃない。


 駅前の薬局でピアッサーを買って、薄暗い公衆トイレの鏡に向かって穴を空ける。


 バチン。バチン。


 焼けるような痛み。

 貴方と同じ場所に。

 それぞれの耳朶に二箇所、左軟骨に一箇所。


 ゴールドのフープピアスも、ストレートバールも輝いてはないけれど、少しだけ貴方と一緒になれた気がした。


 鏡を見る度、貴方の姿を反芻したい。

 耳に触れる度、貴方にゆっくり縛られたい。


 朧月が覗いても、俺は貴方の言葉は飲み込まない。

 春が来る度、二度と巡り会わない貴方を誰に重ねるんだろう。


 きっとこれは春の夢。

 曖昧な姿も、この傷だけは貴方を想った事実を証明してよ。

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朧月が覗く前に 佐藤令都 @soosoo

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