#11 いざ、映画の都へ

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シャロンの勇気ある告白により、ルービンの「過去」を知ったキース。彼は新作の監修としてルービンを迎えるプランを白紙に戻し、シャロンの起用を決める。


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 ロスに戻って数日が経ち、キースは次回作の準備を再開していた。

 とはいえ、それは見かけだけのことで、頭のなかはつねにルービンの一件で占められている。探偵からの報告を今か今かと待ちわび、作業にもろくに身が入らなかった。

 これではいつになってもシャロンに連絡できないじゃないか。

 苛立ちのあまり、キースは手にしていた脚本の第一稿をデスクにたたきつけた。そして立ち上がると、窓辺へ行って見るともなく外を眺めた。

 シャロンが口にした「別世界」という言葉がよみがえってくる。ハリウッドスターや富裕者の街、ビバリーヒルズ。シャロンの言う別世界。「またの名を成り上がりの巣窟そうくつ。僕がそうであるように」キースはつぶやき、自嘲するように小さく笑った。「だが、それのどこが悪い?」

 すると、前庭の車寄せにメルセデスの黒いクーペが停まるのが見えた。フィッシュだ。

 キースはデスクにつき、フィッシュが来るのを待った。

 ドアのノックがしたかと思うと、すぐにドアが開いた。

「待たせたな、キース」フィッシュの手には茶色のマニラ封筒が握られている。「やはりクロだった。とんでもない男だよ、ルービンってやつは」

 キースは封筒を受けると、すぐに開封して報告書を取り出した。そこには犠牲となった女子学生の名前と受けた「被害内容」が列記されていた。

 書類をじっくり読んでいるキースに、フィッシュが言った。

「パワハラにセクハラのオンパレードだ。これだけのことをしておきながら、安穏と権威づらしていられるのが不思議なくらいだよ」

 シャロンの告白を思い出し、キースは怒りに震えた。

「卑劣なやり方で口を封じるんだ。泣き寝入りをするしかないのさ」

「何か知ってるのか」

「ああ。話すことはできないが」

 これで肚は決まった。あとは、ひそかに練っていたプランを実行に移すのみ。

「で、ルービンをどうする?」

 デスクに両手をついてまえのめりになっているフィッシュを、キースは見上げた。

「フィッシュ、僕の仕事はなんだ?」

「は? 映画監督に決まってるだろう。それがどうした」

 キースはにやっとしたが、その目は笑っていなかった。


       *


 ライバル店の影響は一時的なものにすぎなかった。キースの口コミがさっそく功を奏したのかどうかは不明だったが、〈リンジーズ&ガーデン〉はあの大仕事を請ける以前よりも忙しくなっている。シャロンとリンジーはピザレストランで夕食を済ませ、ほろ酔い気分でアパートに戻った。

「あたしはこれで十分満足よ」リンジーがソファに身を投げ出して言った。「がんばって働いて、ピザ食べて、ビール飲んで」

「そうね」シャロンが深く考えずにうわっつらな返事をする。

「『そうね』じゃないの!」

「えっ、何? ごめん、よく聞いてなかった」

 リンジーに顔を向けると、真顔がじっと見返してくる。

「あたしはこれで十分。でも、シャロンは選ばれたんだよ。そのネックレスが何よりの証拠」

 シャロンは無意識にブラウンダイヤのヘッドに手をやった。日に何度、そうしているかわからない。

「なんで連絡しないのよ?」とリンジー。

「キースがまた連絡するって言ったから。それに一般人じゃないし、いつ電話したら迷惑にならないのか、わからないもの」

「メールがあるじゃない」

「アドレスは交換してないわ」

 リンジーはちょっとだけ黙り込んだが、意地悪そうな目つきで口を開いた。

「今ごろ、あのステファニー・リーヴァがキースと電話で話してるかもね」

 シャロンは動揺しかけたものの、キースの言葉がたちまち心の揺れを抑え込んだ。

「彼女はただの友達よ。友達と電話で話したからって、どうだっていうの?」

 しばしの沈黙。

「ある調査によれば」リンジーが落ち着いた口調で攻撃を再開した。「女が連れの男を『ただの友達』と人に紹介した場合、その男に恋愛感情を抱いている確率は三パーセントにも満たない。かたや、男が連れの女性をさして『ただの友達』と紹介した場合、恋愛感情もしくは下心を抱いている確率は八十パーセントに達する」

「それ、どこの調査?」

「リンジー・コンクリン男女研究所」

「ふざけるのはやめてよ」

 リンジーは両の手のひらをさっとかざすと、ソファにきちんと座り直した。

「あたしの経験上、あながちウソでもないんだけどね。まあ、それはともかく、動き出したら押さなきゃダメよ。相手が映画監督だろうが大統領だろうが関係ない。無理してでも勢いをつけることが大事なんだから」

 それはわからないでもない。でも、私はキースの言葉を信じたい。

 そのとき、シャロンのスマートフォンが鳴った。

「キースだわ」


       *


「シャロンか」

 この声。あれから数日しか経ってないのに、すごく久しぶりに聞いた感じがする。

「すぐにも電話したかったんだが、ちょっと事情があってね。元気かい?」

「ええ。あなたは? キース」

「元気すぎて、体のなかからエネルギーが噴き出しそうなくらいさ」

 テンションの高さが声から伝わってくる。いったい、どうしたんだろう? 仕事に戻った映画監督というのは、こんなふうになるんだろうか。

「ところでシャロン、きみにこっちに来てほしい」

「えっ?」

 いきなり何? 声を聞いただけで胸が高鳴っているというのに、あなたはいきなり来いと言うの?

「ルービンを切ることにした。その代わりをきみに務めてほしいんだ。いや、代わりというのは正確じゃないな。きみの力を借りたい」

 私の力?

「くわしいことはいずれ話すが、次回作は植物の惑星が舞台だ。セットを組んだり背景のCGをつくったりするには、事前に惑星のイメージを固めておく必要がある。当初はルービンの助言を仰ぎながら美術デザイナーに考えてもらう予定だったが、それはもうない。で、きみの手がけたコンテナガーデンを見たとき、ピンと来るものがあった。あのセンスが映画に活かせるんじゃないかとね。しかも、きみは大学院で植物学を研究していた。知識もアートセンスも備えたきみ以上に、適役はいない」

 シャロンの心が躍った。つまり、しばらくのあいだキースといっしょにいられるということだ。仕事としても、とてもおもしろいにちがいない。でも……。

 探るような表情を浮かべているリンジーと目が合った。

「そう言ってもらえるのは、すごくうれしい。でも、私がロスに行ってしまったら、リンジーがひとりに――」

 自分の名前を出され、リンジーが「何? あたしがどうしたの」と言いながら近寄ってくる。

 シャロンは送話口を手で押さえ、「キースがロスに来てほしいって」と告げる。するとリンジーは即座にシャロンの手からスマートフォンを奪い取った。

「もしもし、ベイカーさん? リンジー・コンクリンです。こんにちは。すいません、いったん切りますね。すぐかけ直します」

 リンジーはまくしたてるようにしゃべると、画面をタップして電話を切った。

「ちょっと、何するの」

 リンジーは真顔でシャロンを見た。

「キースがあなたに来てほしいと言った理由は?」

「私に映画の美術デザインを手伝ってほしいって」

 それだけ聞けば、リンジーには十分だった。細かいことはどうでもいい。

「だったら、行けばいい。というか、行かないでどうするの。さっきも言ったでしょ。動き出したら勢いをつけなきゃダメだって。理由はどうあれ、せっかくキースが動かそうとしてるんだから、あなたも手を貸さないと。そうやって、ふたりでどんどん動かしていくの」

「お店はどうするの? それでなくても忙しいのに」

「どうにでもなるって。別にシャロンがいなくてもいいってわけじゃないよ。あなたにしかできないことがあるし、大切な戦力だから。でも、それはそれ。人手が足りなかったら、アルバイトでも雇うからさ」

「リンジー……」

 ふたりはしっかりと抱き合った。リンジーはポンポンと二度、シャロンの背中をたたき、やさしく言葉をかけた。

「あなたは選ばれたの。それに応えなきゃね」

 リンジーはシャロンから離れると、電話をかけ直した。

「あ、ベイカーさん。シャロンと代わりますね」

 シャロンはスマートフォンを受け取ると、きっぱりと言った。

「私、ロスに行きます」

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