#12 ハリウッド仕掛けのリベンジ

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裏で何が進行しているかを知らないルービンは、キースが手配したファーストクラスでロスに到着した。同じころ、シャロンもまたロスに着き、キースに出迎えられる。「さて、ショーの始まりだ」。キースの目が鋭く光る。


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 六時間のフライトがこんなにも快適だとは。

 ロサンゼルス空港のロビーを歩きながら、ルービンは口笛でも吹きたくなるのを必死にこらえていた。過去にも人に招待されたことは何度かあったが、ファーストクラスを用意されたのはこれが初めて。そのことが、ルービンの虚栄心を大いにくすぐった。

 あの映画監督、よくわかっているじゃないか。私の地位も、私の扱い方も。くだらん映画を監修したところでなんの実績にもならないが、まあ、最低限のことはしてやってもいいだろう。もしかしたら、高級ホテルのスイートを手配しているかもしれない。さらに気を利かせて、女優の卵を紹介してくれるとか。

 ロビーを出ると、「ルービン教授!」と声をかけられた。メルセデスの黒のクーペのそばで、スーツ姿の男が手を振っている。

 おや、リムジンではないのか。これは減点だな。

「ベイカー監督からお連れするように言われました。どうぞ」

 ルービンは開けられたドアから乗り込んだ。助手席とはいただけない。だが、Eクラスのメルセデスなら、まあよしとしよう。

「シートベルトをお忘れなく」運転席に収まった男がサングラスをかけた。そして、停車スペースからゆっくり車を出したかと思うと、アクセルを強く踏んで一気に加速する。前方を走っていた車がたちまち目前に迫り、今度は急ブレーキをかけた。

 急発進と急停車で胃が大きく揺さぶられ、ルービンは胸がむかついた。

「おいおい、危ないじゃないか」

「これは失礼。でも、ご心配には及びませんよ。これが私の仕事ですから」

 メルセデスは空港の敷地から出ると、タイヤをきしらせてふたたび急加速した。

 

 同じころ、シャロンはプライベートジェットでロスのヴァン・ナイズ空港に到着した。

「シャロン、よく来てくれた」

「キース」

 それ以上の言葉が思い浮かばず、シャロンはただぎこちなく微笑む。キースは腕を彼女の体にまわし、軽くハグした。

「着いたばかりで悪いが、これからちょっと付き合ってもらうよ」

 すぐに体を離されてしまい、シャロンは少しがっかりした。私は何を期待してたんだろう。熱い抱擁、それともキス? 

 キースにうながされ、大型SUVの後部席に乗り込んだ。フロントガラス越しに、キースが目のまえに停まったバンの運転席に向かって何やら話しているのが見える。やがて右手を上げて「出せ」という合図をする。すると、二台の似たようなバンがほぼ同時に走り出した。

 キースが小走りで戻ってきて、シャロンのとなりに滑り込んだ。

「何か問題でも?」シャロンはたずねた。

「いや、そうじゃない」キースはスマートフォンを取り出して何度かタップする。「向こうも動き出したか」

 そしてギラッとしたような笑みを見せ、シャロンに言った。

「ショーの始まりだ」


       *


 ルービンを乗せたメルセデスはセンチュリー・フリーウェイを東に走ったあと、左に折れてハーバー・フリーウェイを北上していた。

「ベイカー監督の邸宅はビバリーヒルズだと聞いている。標識を見るかぎり、この道はダウンタウンに向かっているんだが」

「せっかくロスまでお越しいただいたんですから、街の中心地をご案内しようと思いまして」

「そういうことなら、お任せしよう」

 ルービンはサングラスをした男の横顔を見た。お抱え運転手というものはもうちょっと品があるのかと思ったが、この男はスーツこそ着ているものの、顔つきはどこか粗野な感じがする。東部と西海岸とでは、街も人間もこうも雰囲気が異なるものなのか。

 車はやがて通行量の少ない道へと入っていった。と、メルセデスの脇を一台のバンが猛然と追い抜いていき、道を遮るように車体を斜めにして急停車した。

「危ない!」

 ルービンが叫び声を上げたのとほぼ同時に、運転手は素早くハンドルを左右に切ってバンを交わした。タイヤがきしり、車体は激しく左右に振れ、横からの重力にルービンの胃は悲鳴を上げた。

 と、今度は数十メートル先の脇道から新たなバンが飛び出してきて、ふたたび行く手を遮る。ドライバーが急ブレーキを踏みながらハンドルを鋭く右に切ると、メルセデスはキィーッと音を立てながら時計まわりに九十度回転し、飛び出してきた車と横並びに停まった。

「ううぅ」ルービンはたまらず震えまじりのうめき声を漏らした。縮み上がっていた体がだらりとする。

 先ほど避けたバンがゆっくりと近づいてきて停止した。メルセデスは二台の車に挟まれる格好になった。バンの左右のドアが開き、若い白人の男がふたり姿を現した。ひとりがメルセデスの助手席の窓をたたき、「開けろ」と怒鳴る。ルービンが怯えながらロックを解除すると、男は勢いよくドアを開けた。

「降りろ、早く!」

 おどおどしながらルービンが車外へ出ると、背中に銃を突きつけられ、歩くよう命じられた。銃口に押されるようにバンへ誘導されると、後部のスライドドアが開いた。

「乗れ」

 ルービンは抵抗するすべも気力もないまま、車内に入り込んだ。

 

 走り去る二台のバンを、運転手はメルセデスの運転席から眺めていた。サングラスを外し、ふうっと大きなため息をつく。そして、スーツの内ポケットから携帯電話を取り出し、親指を素早く動かして耳にあてがった。

「第一段階、無事終了」


       *


 どのくらい走っただろうか。バンが停まってスライドドアが開けられ、ルービンは降りるよう命じられた。そこは倉庫のような建物の内部で、SUVが一台停まっており、その周囲に数名の男が立っていた。いかにもガラが悪そうな感じだった。

 さきほど銃を突きつけた男が車から降り、近寄ってくる。

「そこに座れ」

 銃でうながされ、ルービンはなす術なく腰を下ろした。銃を持った男が何やら合図すると、立っていた男たちがルービンの両腕を背もたれのうしろにまわし、手錠をかけた。

「さて、ルービン教授。あんた、おれの妹に何してくれた?」

 妹だと? こんなやくざな男の妹など私が知るはずがない。

「なんの話かまったくわからないんだが。だいたい、きみたちは何者なんだ。いきなりこんな真似をして」

 男はじっとルービンをにらみつけた。と、自分が乗ってきた車のほうを見やり、手招きするような手振りをした。車の後部ドアが開き、若い女が姿を見せた。

「ネル・ミラー。おれの妹」

 ルービンはハッとした。この娘は学部の四年生じゃないか。

「もう一度聞く。おれの妹に何してくれた?」

 ルービンが女子学生に顔を向けると、非難するような視線にぶつかった。そんな目で私を見るんじゃない。

「私は彼女の指導教官だ。卒論の指導をしている。だからなんだと言うんだね」

 女子学生が突然、声を上げて泣き始めた。男がルービンに銃口を向ける。

「このにおよんでしらばっくれるつもりか」

「落ち着きたまえ」ルービンは恐怖のあまり吐き気がこみ上げるのをこらえながら、続けた。「私と彼女は教授と学生であるまえに男と女だ。しかもふたりとも大人なんだよ。ある種の関係になったとしても、それのどこが悪いんだ?」

 カチリ。男が銃の撃鉄を起こす。

「なかなか口を割らない人間はあんたが初めてじゃない。だが、決壊寸前のダムとおなじで、ちょっとしたきっかけで一気にあふれ出るんだよ。ちょっとだけ痛い目に遭わせれば」

 男はかがんでルービンと目線を合わせた。手にした銃をゆっくりとふたりの視線のあいだにかざす。「もっともこいつの場合、注射針を刺されるのとはわけがちがうがね」

 かつて味わったことのない恐怖に、ルービンは全身の震えを抑えることができない。

 そのとき、ふたりの右手のほうで「ガチャン」という大きな音がした。男が銃をかまえたまま、サッとそちらに体を向ける。その動きで、指先が力んだ。爆音とともに銃が暴発し、その先に立っていた男の右手が吹き飛ぶ。「ぎゃあ!」という奇声が響いた。

 ついにルービンの心のダムが決壊した。

「わかった、話すからその銃をしまってくれ」

 告白はとめどがなかった。ネル・ミラーへのセクハラはもちろん、過去に女子学生に与えたセクハラやパワハラを次から次へと吐露していった。

 そのなかには、シャロンに対する非道な振る舞いも含まれていた。


       *


「カット!」

 ルービンがすべてを話し終えたとき、大きな声が響きわたった。

 SUVのドアが開き、キースが姿を現す。続いて、険しい顔つきのシャロンも。

「な、なんだ、これは?」ルービンは口をあんぐりと開けたまま固まった。 

 キースはその問いかけを無視し、ネル・ミラーのもとへ歩み寄る。

「つらい役まわりを引き受けてくれてありがとう。きみの勇気のおかげだよ」

 シャロンもネルの耳もとで二言三言ささやき、ぎゅっと抱きしめた。

「みんなもご苦労だった。撤収の準備を始めてくれ」

 俳優やスタッフたちはハイタッチをして歓声を上げた。手を吹き飛ばされた男は特殊メイクを外し、傷ひとつない本物の手を曲げたり伸ばしたりしている。キースは気心の知れた仕事仲間たちを満足そうに見やったあと、ようやくルービンのもとへ近づいた。

「あなたにはもうひと仕事残っている。シャロンに直接、謝罪してもらおう」

 キースが手招きすると、シャロンはルービンのもとへ歩み寄った。その表情は依然として険しいままだ。にらみつけると、ルービンは視線を反らした。

「教授を信じていたのに……あなたはこれ以上ないひどいやり方で裏切りました。私はあなたを憎んでいます、心から」

 ルービンは顔を伏せたまま、歯を食いしばっていた。

「さあ、謝罪したまえ」キースが強い口調でうながした。

「すまなかった」

「聞こえないな、教授。大学でもそんな小声で授業をしているのかね」

 さらなる侮辱に耐えかねたのか、ルービンは顔を上げてシャロンを見つめた。

「私が悪かった。許してくれ」

 シャロンはさげすむようにルービンを見返した。

「謝罪の言葉は受け入れます。でも、許したとは思わないで。ほかの子たちもきっと同じ気持ちよ。あなたは一生癒えないような傷を負わせたの。わかってるの!」

 怒りに震えるシャロンの肩を、キースは慰めるように抱いた。

「外してやれ」キースの指示に、スタッフがルービンの手錠を外した。ルービンは手首をさすりながら立ち上がると、乱れた服装を正した。

「あなたの告白はすべてビデオカメラに収めさせてもらった。いつでも動画サイトに投稿できることをお忘れなく」

 キースの言葉に、ルービンが厳しい視線を返した。その顔には、どこか居直ったような表情が浮かんでいる。キースはジャケットの内ポケットから白い封筒を取り出し、ルービンに差し出した。

「帰りの航空券が入っている。エコノミーで恐縮だが、今回の出演料だ」

 ルービンは一瞬躊躇ちゅうちょしたような様子を見せたが、苦々しげにそれを受け取った。

「こんな馬鹿げたことをして。ハリウッドの人間は洗練というものを知らないから困る。すべてが野蛮だ。きみも、あの運転手も」

「あなたの口から洗練という言葉を聞かされるとはね」キースは笑った。「それから彼は運転手じゃない。優秀なスタントマンだよ」

 ルービンはきつい目つきでキースをにらんだまま、封筒を内ポケットに入れた。

「きみたちとちがって、私はスマートな人間だ。よく覚えておきたまえ」

 ルービンはそう言い残し、建物の外へと歩いていく。その背中に向かって、キースは言った。

「もうお分かりだと思うが、ルービン教授。あなたはクビだ」

       

 ルービンの姿が見えなくなると、キースはシャロンに顔を向けた。

「大丈夫かい?」

「ええ、もう落ち着いたわ。これでひとつ心の区切りがついた気がする。こんな大がかりなことをしてくれて、本当にありがとう」

「僕らしいだろう」キースが笑った。

「そうね。でも、ちょっとやりすぎなような気がして」

「いや、あの男はそれだけひどいことをしたんだ。本来なら、法の裁きを受けてしかるべきなんだが」

「でも裁判沙汰になったら、被害にあった女の子たちがまたつらい思いをすることになる」

「そういうことだ」

 ふたりはしばらく黙り込んだ。キースが空気を変えようと陽気に言った。

「それにしても、みんないい仕事をしてくれた。真に迫っていただろう? 僕たちの手にかかれば、ユニバーサルスタジオのトラムツアーなんか目じゃない」

 シャロンはようやく心からの笑みを見せることができた。やっぱりキースは特別な人だ。こんなにも私のことを想ってくれるなんて。絶対にいい仕事をしてあげよう。それに、リンジーが言ったように、私たちの関係をもっともっとまえに動かさなければ。キースといっしょに。

「さあ、行こうか。今夜はいいレストランを予約してあるんだ」

 いいレストラン? きっとまた、けたちがいの高級店にちがいない。どうしよう、普段着しか持ってきてないのに……。

 困惑したような表情をしているシャロンを見て、キースは笑った。

「きみはわかりやすいな。ドレスコードを気にしているんだろう。大丈夫、ちゃんと考えてある」

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