第32話 後日譚⑤ ある伝説の終焉

2人の英雄が故国より追われて幾許いくばくかの時が過ぎき、リリアとホホヅキもスオウ(鬼人オーガの郷)になくてはならない存在となりました。


2人の英雄―――彼女達の故国とはヒト族の国『サライ』、ヒト族はその数の多さでは他の種属を圧倒してはいましたが能力的には小鬼ゴブリン達と“いい勝負”―――(これは個人戦では比較的能力の高い者達は苦ではありませんが、それでも集団になると町や村、下手をすると国一つが滅ぼされてしまう…と言った意味) その故国を、ヒト族離れした能力を知られ邪険に扱われた事でかつてPTを組んでいた鬼人族オーガのニルヴァーナを頼りスオウへと落ち着く事になったのです。

当初彼女達がスオウへと来たときにはあまり歓迎はされていませんでしたが、彼女達が培ってきた技術…これは戦闘方面ではなくどちらかと言えば文化的な面(*詳細は前話参照)―――を持ち込んだお蔭で溶け込み易くなりました、それからと言うものはリリアは持ち前の武を活かしニルヴァーナや他の者達と“狩り”や“戦闘行為”(これは国境くにざかいでの『防衛線』)に従事し、ホホヅキは元来の職業である神職に就き“祈祷”や“お祓い”等で生計を立てていたのです。


これは―――そんな彼女達に…ようやくひと時の安らぎが訪れたかと思われた時に起こった出来事。


         * * * * * * * * * *


その日ニルヴァーナとリリアは定例となった業務をこなしていました。


「なあ…聞いたかニル、オルガさん家がよ…」

「ああ―――聞いている、真に残念な事だ…」


ここ最近、彼女達―――と言うか彼女達ばかりではなく他の鬼人オーガ達も頭を悩ませていた事がありました、しかもその悩みとは『手に負えない魔獣の出現』とか『度々国境を脅かす隣国』だとか…ではなく、にわかに流行はやりだした“ある病”―――しかも新種の流行病はやりやまいだったので既存の治療法では対処出来ない…そして対処法も確立していなかったので感染率、致死率共に飛躍的に伸びていたのです。(*この『度々国境を脅かす隣国』と言うのは『サライ』であったり『ネガ・バウム』だったりする)

しかも悪い事に“強い”“弱い”の種属区別なく蔓延はびこる…今リリアがニルヴァーナに語り掛けたのもその病に罹患かかり亡くなってしまった一家のものでした。


「それにしてもさあ、あんなに屈強で身体の丈夫そうなオルガさんが…骨に皮がくっついたみたいに痩せ細っちまうなんて……。」

「ああ―――(……。)」


リリアが話題に上げたのはここスオウでも体格の良さで言えば郷でも一・二を争う鬼人族オーガの男性、その筋肉はまるで鋼の鎧を思わせる程のものでしたが、その流行病はやりやまい罹患かかった途端精気が―――生気が失われて行くようだった…しかもスオウでも一・二を争う肉体も日を追うごとに痩せ細って行き、最期には“骨と皮だけ”と言う表現が最も似つかわしくなっていた…それに、この頃にはまだ『流行病はやりやまい』と言うのは民衆の間ではそう浸透しているものではなく、『いずれ時機が来れば自然消滅するもの』としか解釈していなかったのです。

それがこの度のこの流行病はやりやまいは中々しぶとかった、週単位や月単位では収まる気配すらみせず放っておけば放っておくだけ被害は拡散していった、その結果判った事と言えばこの流行病はやりやまいは『感染症』だと言う事が判り、そうした処置―――つまり『隔離』する事が推奨されたのです。(*参考として、この世界でも『感染症』の概念は存在していた。 それはまた“牛”や“豚”“鶏”等の『家畜類』が罹患かかる病がそうであり、概ねそうした家畜は隔離した後に全(殺)処分するのが習わしだったようである)


しかし―――例え隔離した処で根本的な解決策無くしては収まらせる事は出来はしない、『ならば』と一念発起したニルヴァーナは『盟友』である魔王の下を訪れ…


「サリバン―――『盟友』はいるか。」

「ニルヴァーナ様…例え親しき仲であるあなた様でさえも事前予約アポなしと言うのは―――」

「火急の要件だ、ゆえに事前予約しなかったのは悪いとは思っている、しかしこればかりは…」

「(…)残念ですが主上は今この城にはおられません。」

「なに?魔王が魔王城に居ずにどこにいると言うのだ。」


ニルヴァーナは現在自分の郷で起こり始めている事を相談する為に魔王カルブンクリスの下を訪れていました、そこで魔王の『侍従長』を務める黒豹人族のサリバンに掛け合った処、無常にも魔王城に居ない事を知らされた…だからこそ思うのです、この魔界の―――魔界の王たる『魔王もの』が居城に居ずにどこに居るのかと、けれどサリバンは返事を返したのです『事前予約アポなしに』―――と。 そして侍従長の口から知らされる…現在の魔王の所在を。


        * * * * * * * * * *


その場所とは〖聖霊〗の主要都市『シャングリラ』…そう、『神仙族』の本拠地―――この地はさきの内乱で前魔王により徹底的に叩かれたところではありましたが、現在に於いては復興も順調に進みかつての姿を取り戻しつつもあったのです、ではなぜカルブンクリスは…今代の魔王である者はこの地を訪れていたのか、そこにはやはり自分ではないにしても前代の魔王がしてしまった事の謝罪をする為…?いや実は―――そうではなく、彼女自身の神仙族の知己を訪ねていたのです。 するとならばやはり…その知己とは『竜吉公主』?確かに竜吉公主とは自分が前政権転覆の為に反旗を翻した折に協力し合った間柄ではありましたが、残念ながらカルブンクリスが会っていたのは竜吉公主ではなかったのです。 では、一体―――“誰”?


「以前は『那咤』の開発の折には大変お世話になりました、その謝礼がいささか遅くなってしまったのは私自身の不徳の致すところ―――」

「止めときなよ、似合わないったらありゃしない。 大体技術屋の私らが何も“そんな事『開発』等の手伝い”で謝礼をするのもあったもんじゃないだろう、私はねただあんたから持ち込まれた『図面』に興味を抱いた―――だからこそ手を貸したに過ぎないのさ、まあそこんところは公主なんぞに言わせてみりゃ『変態』の何者でもないんだろうけれどね。」


そう―――カルブンクリスが訪れたのは、〖聖霊〗一…いや魔界一と言っても差し支えない頭脳の持ち主、時には〖聖霊〗の【狂気の科学者マッド・サイエンティスト】として知られている『太乙真人』だったのです。

それに、そう…カルブンクリスは太乙真人の言うように、過去に協力してくれた事への―――と、するならば、ならば彼女が訪れた真意は?


「それより…話しなよ、目的を―――この私以上に『変態』的な頭脳を持ってるあんただ、何か協力させたくて私の下を訪れたんだろう?」

「はは―――これは面映ゆいと言った処だね、私ですら一目置く『天才』殿にそうまで褒められるとは…とまあ冗談はさておいて、あなたも耳にはしていると思う。」

「(…)ああ―――『流行病はやりやまい』だろう、“新型”の。 〖聖霊うち〗の処でも被害は出ててねえ、まあ神仙族うちらの被害までは出ちゃあいないんだがその眷属ともなるとね…。」

「エヴァグリムやネガ・バウム―――サライやスオウまでその被害は拡散されていると聞いている、まあそのお蔭で戦闘行為が中断されたのは皮肉の何者でもないけれどね。」

「戦争を止めさせたのは流行病はやりやまいかい―――そりゃまたなんともな皮肉だねえ。」

「ただ、私はこれを黙って見過ごしているわけにはいかない、ここで何らかの対策を練らなければ私は未来に於いて史上最も暗愚な君主として知られていくだろう。」


ある“話し”として喩えられている―――人類史上最も殺したのは、『戦争』ではなく『疫病』だと…

ただその流行病はやりやまい所為おかげで戦闘行為が中断させられたのは真に以て皮肉の限りではないのですが―――


「それ…で?今度は何に協力をさせようってかい、ああその前に言っておくけれどね私は科学者であって医者じゃないんだよ。」

「さすがにそこは知っているさ、何も私も出来ない事を求めているわけではない…求めているわけではないが―――それでもあなたに出来る事を求めに来ているのだよ。」

「(…)判った、“医学そのこと”に関しちゃからっきしな私だが、現状を打破する為の一助になるならば手を貸そうじゃないか。」


実はすでにカルブンクリスは各地からのこの流行病はやりやまいの実害報告を受けていました、そして今その解決策の為に太乙真人の下を訪れていた…けれど太乙真人も言うように彼女は科学者であっても医者ではない、だから病の治療法を聞くためにと訪れたわけではない…ではカルブンクリスは太乙真人に何を以て協力させようとしていたのか。


「実はあなたには“これ”を作って欲しい。」

「―――“これ”は?」

「『顕微鏡』と言う…とつおうのレンズの組み合わせにより微細なモノを見えやすくする器具だ。」

「“微細”なモノ?」

「私達の肉眼では視えないモノ…『細菌』や『病原菌』―――更にはそれよりも極小な『ウイルス』…とかね。」


そう、今回カルブンクリスが太乙真人の下に足を運ばせたのは、ある器具―――『顕微鏡』を造らせる為だったのです、その為に詳しい…実に詳細な『設計図』を太乙真人に披露してみせた、すると哀しき技術屋の性と言うべきか、瞳を輝かせて喰い付いてきた―――しかし…?


「あんたからの『依頼』―――としては受けよう…しかしあんた、この流行病はやりやまいの事を知っているみたいだねえ?」

「『知っている』―――いや『知っている』…ただ決断を下すのは尚早はやい―――とまではしている…だからこその『顕微鏡それ』なんだよ。」

「この私だって『細菌』や『病原菌』の事までは知っている…けれど『ウイルス』ってのは初めて聞くよね。」

「そうした概念がなかったからねこの魔界せかいでは―――元から無い訳だから過去に照らし合そうとしても出てくるわけがない。」

「(うん?)それじゃ何かい―――異世界からもたらされたのだと…」

「そちらの推論の方が納得するには易いだろう、ただこの事はまだおおやけには広めたくはない―――」

「(うん?)どう言う事だい―――それは…おおやけにしちゃまずいって事は……」


カルブンクリスは『知っていた』―――自身の知識にある“モノ”と程よく似通った今回の流行病


は私の推論だ―――私は今件と程よく似通った病状のモノを知っている…そして今まで私に報告されてきている情報、『恐ろしく感染率が高くその致死率は実に9割を超える、最初は流行性感冒を思わせる症状が続くがやがて1週間もしない内に高熱を発する、それも40度近い高熱だ、そして身体の末端―――主に手足の先から壊死を起こし、やがて身体には『死斑』と呼ばれる“痣”とも“紋”ともつかないモノで覆いつくされ―――最期に遺体は黒く変色している』と言う…。」

「な―――なんなんだい…その病……」

「先程、言ったね―――私は…『流行病はやりやまいのお蔭で戦闘行為が中断になった』と、そしてこうも言った…『全く以て皮肉だ』と―――太乙真人、私はね知っているのだよ皮肉ではない現実を、とある次元世界せかいのある時代に於いてその世界全人口の半数と言われている約1億人もの生命がある病によって奪われた…法定伝染病一類感染症5号またの名を『黒死病ペスト』とそう呼ばれている。」


この、恐ろしげなる説明を聞いただけで太乙真人は息を呑みました、そして知ることになった…この魔界の全人口は約2億5千万、その実に半分もの尊き生命を奪った病魔の名を、しかしその病状を詳しく語れるのなら対応策も知っているのではないかと…


「なあ―――魔王さん?あんたそこまで詳しく知っているなら当然対応策たる治療法も知っているんだよねえ?」

『知っている』―――とまではしておこうか。」

「何なんだい、その言い方…随分と奥歯にモノが挟まった言い方をするじゃないか。」

「私が知っているのは最悪の病魔とされるものだ、しかし今回見つかった病状モノと一緒にするのは好ましくない。」

「なるほどねえ―――けれどしかし“万が一”の事が起こったらどうするんだい、最悪を前にただ手を拱いていろってか。」

「そんな事を言っているわけではない、だが私の推論の確度を高めるためにあなたに『顕微鏡の製造それ』を依頼したんだ、ただ…私もこのまま手をこまねいているつもりはない、けれど……」


やはり、この最悪の病魔への対策法は知っていた―――けれども言葉尻は重たい、つまりは知ってはいるが必要不可欠なものが足らない…そうも感じたのです、けれど太乙真人は医者ではない、今はカルブンクリスから言われたとおりに顕微鏡なるものを作成するしかないのです。


         * * * * * * * * * *


そして当のカルブンクリスは―――


「(太乙真人の前でああは言ったが、私の推測は九分九厘だとしている―――ただ…がなければ手も足も“ない”と同じ事、この魔界にも同じようなものがあれば幸いなのだが……)」


やはり知っていた―――黒死病の治療法、しかしこの病魔へ対応するには必要不可欠なものがありました、けれど現在までそうした研究に関しては耳にもしていない状態…だからこそ太乙真人の前でも言葉を濁すしかなかったのです。


そうした時に気分転換の為に久々に魔王の業務に戻った所、ある一枚の書類が目に入った…

「(!)これは―――そうか…そう言えば彼女は元々サライの出身、そして現在ではニルの郷里スオウへと移住していると聞く、そしてスオウは魔界でも有数の銘酒の産地…こんな処を見落としているだなんて―――けれども安心もしていられない、確かに『味噌』や『酒』等の発酵物には“アレ”を使用する事はあるけれど性質としては全くの別物だ、喜び勇むのはいいとしても言葉通り『喜び』にならなければいいが…」


その一枚の書類とは、スオウでの『神宮味噌』の専売特許申請でした、そう…今現在ではその生産地をサライからスオウへと移している高級食材『神宮味噌』をスオウの専売制にする為にホホヅキが魔王に申請したもの―――ただこれは10年前のモノであり、カルブンクリスにしてみれば今回有効打になるかもしれない事を過去に許可した事など忘れてしまっていたのです、けれど思い立ったが『吉日』―――それに自分が直接動くとなると仰々しくなるのでここは…


「何か―――ご用件でも?」

「そう言う厳しい顔をしないでもらえないかな、まあ事前通告なしに訪れたのは悪かったと思っているよ。」

「(はあ…)あなた分別ふんべつわきまをなさらない方だと思っていたのですが―――これは少し考えを改めるべきですかね。」


ホホヅキが“塩”対応をしているワケとは―――今回定例となる『神宮味噌』の取引の商隊の中に大層なご身分の人物魔王がいた事、しかも事前通告もなしに懐かしの顔を見てしまっては開いた口も塞がらなかったようで―――しかし、…なのですが。


「それで?お忍びで私の八幡神社に訪れたのは如何いかなる理由なので。」

「うん…実はホホヅキのところでは『ぬか』を扱うよね、それに神宮味噌をサライではなくスオウで作れるようにした…それにはここの醸造元にある『こうじ』を使用しなければならない、君達の様に『発酵』に携わる者達は『かび』の事についても詳しいものと思ってね。」

「なるほど…しかし『かび』ですか、なんともまた変なモノに目を付けたみたいですが…それが今回のお忍びと何の関係があると?」

「はっきりした事を言ってしまえばこれは“賭け”なんだよ、私が求めているモノが果たしてここにあるモノと同じモノか―――ホホヅキ、君は『菌糸を伸ばして成長する放線菌』の事は存じているだろうか、図説で明らかにするとこの様なモノなんだが…」

「は、あ…それでしたらあるにはありますが―――それにしても『青黴アオカビ』に何の用向きが?」


幸いにもカルブンクリスの“賭け”は当たりと出た、『菌糸を伸ばして成長する放線菌』こそが彼女が強く求めたモノ、そして求めたモノが“ある”と判ったからかカルブンクリスはホホヅキ所要の『青黴アオカビ』を求め対価を支払おうとしました。


「別に―――金銭での取引をせずとも知らずの仲ではないあなたですから…それよりも知りたいものです、そうまでして求める価値があるのかと。」

「“ある”―――ホホヅキもここ最近で流行っている病の事は知っているだろう、その病の“劇的”とまではいわないが解決にはなるかと思ってね。」

「あの病を治療する方法があると?けれどその為に『青黴アオカビ』が必要…私には全く判りませんがせめてもの一助になると言うのならお譲り致しますよ。」

「それは助かる、しかしこれには時間が必要でね…何とか間に合わせるようにはするけど、君達―――ホホズキにリリア、それとあとニルも気を付けるよう言っておいてくれ。」


“劇的”までとは言わないけれどに良くく“モノ”の原材料は手に入った、しかし青黴アオカビから“あるモノ”―――『抗生物質』でもあるペニシリンを精製するには時間を要する事をカルブンクリスは知っていた為、(今の処は)健康大丈夫な仲間達に気を使う一言を残してその場を去ったのでした。


        ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


しかし―――そこから事態は思わぬ展開に…


そう、恐れていた事態―――カルブンクリスが独自の製法でペニシリンの精製に入ってから1週間も経たない内に…

(*『独自の製法』とは言葉の綾で、この医科学があまり発達していない魔界に於いては必要な器具もなかったため、どうにか似たような器具で精製するしか方法はなかったようである)


「どうした?ニル―――」

「判らぬ…ただどうも5日も前から気怠けだるくてな……」

「うわっ?!お前、熱があるじゃないか、どうして体調が好くない時にこんな事を……」

「以前にも発熱した事はある、しかし問題はなかった―――それだけだ。」

「以前て…そんなの微熱だったじゃないか、けど今は手で触れただけでも熱があると判るくらいだぞ。」


それは、ある日の狩りをしていた日―――普段は体調の不調を訴えない者が歩くのも辛そうにしていた、その理由を聞くと珍しくも倦怠感がすると言う、そうしたワケで一緒にいたリリアが額に手を当てて確かめてみると触れただけで高熱を発生させている事が判ったのです、しかもニルヴァーナ自身がうそぶくのにはこうした発熱を発生させた時でも平気だったと―――けれどそこはリリアも平熱よりはやや高い微熱だったからだと言ったのですが、そう言うがニルヴァーナは立っているのも辛そうにし片膝をついて苦しそうにしたのです、それを見てリリアはさすがにまずいと思い、苦しむニルヴァーナを背負ってスオウへ戻ったのです。


そしてその日は自宅で養生するようにさせたのですが―――3日経った頃…


「よーうニルさんや―――具合はどう…おい?ニル!」


今日はどんな具合かと伺ってみた処、静かに寝ていた…………いや?それにしては呼吸いきをしていない?! そう感じたリリアはすぐに横臥しているニルヴァーナの側により呼吸いきを確かめた処―――


「(呼吸いきはしている…けど恐ろしく細い、一見死んじまったかと思ったが……)」


呼吸いきはしているものの驚くほど細かった―――そこまでは安堵したものだったのですが、次第にリリアはニルヴァーナの身体の方に視線を移したのです、すると…


「(こっ―――これは?!…あの時のオルガの身体にあったモノと!)」


首筋から胸元辺りまで…以前見た鬼人オーガの男性の身体にあったモノと同じモノ―――“痣”とも“紋”ともつかない様なモノが浮かんでいたのです。


けれどそれがこの病魔の特徴―――敗血症からによる『死斑』…


(*敗血症とは、感染症に対する制御不能な生体反応に起因する生命を脅かすような臓器障害の事、主にショック障害や多臓器不全等を伴い、昏睡・手足の壊死・全身が黒い痣だらけになる事がある、しかもこの『死斑』が浮かぶ頃には末期の症状だとも言われている。)


元来は自分と同じ“肌色”をしていたものが―――徐々に“黒色”に浸食されている…しかも無二の友は1週間も前は健康的だったのに、今はもう死に床に就いている……?


「おい、ニル!しっかりしろ―――おい、おい!」

「(……)リリア―――か…すまない……私は  ここ…までの―――」


「主殿!ご無事ですか!」

「ノエル―――お前どうしてここに…」

「私はギルドのマスターをしているのですよ、ですから情報は様々な処から舞い込んできます、それに主殿が病の床に就かれたのを2日前知りました…知ったから里の秘伝の薬を持ってくるようにと―――それで先程届いたので私自らが届けに来たのです。」

「そいつは助かる、だったら早急に飲ませてやってくれ。」


奇蹟的に意識が戻ったか、そこで二・三やり取りを交わしたのですがリリアにしてみればどうする事も出来ませんでした、そんな処に現在ではマナカクリムでギルドマスターの地位に就いているかつての仲間―――ノエルが忍の里秘伝の薬を持ってきてくれたのです、これで一安心…と思ったのですが?


「(な、なぜ?)飲んでください主殿!口には苦いでしょうが効き目としては―――」


いくら口に含ませ呑ませようとしてもそこから先にいなせない―――代わりに苦しく咳き込むのみ…折角の秘伝の薬も摂取できなければ無駄なものと成るのです。


そして―――…


「みんな…すまぬ―――思えば良き旅であった…角のない私を見込み、そしてついてきてくれたお前達に…感謝の言葉さえない……だが無念だ、ああ無念だ……本来ならば私が、盟友の行く末を見守ら…なけ れ……」


まさしく末期の言葉と言うべきか―――それきりニルヴァーナの呼吸いきは止まっていました。


前代魔王圧政の時代を覆し、どうにか皆が平和に暮らせるようにと思い立った今代の魔王をよく支えた者、武によって盟友に及ぼうとする“闇”を切り払って来た武辺の者は、強き者にではなく病によりその生涯を閉じてしまったのです。


         * * * * * * * * * *


そして皆が―――郷の者や仲間内が偉大なる英雄の早逝に哀しむ中、突然…


「死んで―――しまったのか…ニルヴァーナ。」


「魔王さん―――あんたなんで…何で今更!」

「止めて下さいリリア!」

「うるさいノエル…!私は許せない―――あんたの盟友が苦しんでるって時に、一度たりとて顔を見せに来た事があるのか?それをなんだって…死んだ後に現れたって遅いんだよ!」

「待って下さいリリア、言いたい事は判りますが盟主様は何もしなかったわけではないんですよ!」

「な…に?なんだ、どう言う事だ―――」


「現在―――この魔界で蔓延はびこっている病の事は知っていると思う、その解決策までにはならないまでも対応策を打っていた、『黒死病』…ある次元世界せかいに於いては世界の全人口の約半数に当たる1億人を葬って来た恐るべき病魔だ、私もなんとか被害を抑えるために特効薬の精製をしていたものだったが―――何故だ…なぜ私より丈夫な君が先に逝ってしまったのだ!ニルヴァーナ!」


偉大なる英雄の亡骸の前に集う者達の前に姿を見せたのは魔王カルブンクリスでした、けれど遅かった―――そこをリリアの恨み節が炸裂したものでしたが、魔王城のお膝元であるマナカクリムにいたノエルはここ最近魔王が何に没頭しているのかを知っていました。 それがペニシリンを含む抗生物質の精製―――これによって『解決』とまではいかなくても『対策』にはなる、だから1日でも早く完成を急いだものでしたが、結果を見れば……だからこそ悔しかった―――いきどおろしかった、一番救わねばならない者を見棄ててしまった…故に恨めしかったのです、自分が。


けれど今嘆いた処で亡くなった者は還ってはこない、今自分がすべきことは現状をどうにかしないといけない。


「ニルの事を、今深く考えるのはよそう―――それよりも君だ、リリア。」

「え?私…が?」

「ああ、ニルがこの病を発生させた時一番近くにいたのは君だと言う事は聞いているし何よりニルを背負ってここまで帰って来たとも聞いている、恐らくだが君も保菌者ホルダーなんだよ。」

「え…でも1週間くらいしか経ってやしないぜ?」

「この病の潜伏期間は大凡おおよそ1週間前後…何の処置もなくしていれば恐らく明日か明後日辺りには同じ症状が発生はっしょうされていたかもしれない。 それにこの病を媒介する者もいるんだ、それが齧歯げっし類―――ネズミやウサギやリスなどだ。」


「(1週間…)まさか―――?!」

「何か知っているのか、リリア。」

「ああ…心当たりがな、そう言えばニルが体調の不調を訴える1週間くらい前に『オオネズミの退治』を受けていたんだよ、それにあいつらしくもなく反撃にあってひっかき傷が…な。」

「なんてことだ…そこから潜伏期間を考慮したら罹患するのは目にみえていたと言う事じゃないか、取り敢えずの処は判ったがまずは君自身だ、それからあとホホヅキを含む郷の者全員に処置を施す。」


今回のニルヴァーナの死因の大因おおもとは『黒死病』ではありましたが、ニルヴァーナが鬼人族オーガと言う事に起因していた事もあったようです、それというのも対外の評判通りに鬼人族オーガと言うのは屈強で頑丈、病らしき病に罹患かかってこなかったという前例も往々にしてある―――だからこそ発熱程度では問題ないとはしていたのですが、そうした健康的な種属ならではの障害が一代の英雄の生命を奪ったと言っても過言ではなかったのです。




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