第31話 後日譚④ 魔法の水

くだんの『小鬼ゴブリン討伐』よりしばらく経った頃、ニルヴァーナの処に居候していたリリアとホホヅキはそれぞれの生活の為に別々に居を構えました。


「それにしても意外であったな、ホホヅキは絶対そなたと一緒に暮らしたいと強く願うと思ったのに。」 「ま、そりゃあいつにはあいつなりの暮らし方があるからな、最低限自分の事は自分でしなけりゃならないって事は判ってるんだろう。」


意外とも思われたのですが、この度リリアとホホヅキは……ここが重要だったのです。 それに今のニルヴァーナのげんにもある様にホホヅキなら絶対にリリアと一緒に暮らしたいと強く願うだろうと思っていた…けれど、ホホヅキも(一応)分別のつく年頃なのですから我が儘を言っていられない―――と思うようになり、このスオウで一人で生活を営もうと努力はしていたのです。

それはそうと―――以前ニルヴァーナの手前で啖呵を切っていたリリアでしたが、では彼女はどうやってこのスオウで生活を営んで行こうと?


「ん~?まあ色々考えはしたんだが―――ここは一つあんた達に喜ばれる事をしようとな。」 「それが…以前言っていた『割烹おりょうり』とどう言った関係があると?」 「だってニルは冒険者やってるんだろ、それにあの討伐戦に参加した時かなりな冒険者がいる事を知った、ならさその腹はどうやって満たしてきたんだ。」 「一応…スオウには食堂もあるのだが?」 「ああ、私も何度か利用した事があるから知ってるよ、ギルド所轄のな。 で?美味かったかそこの飯。」 「ま…まあーーー喰えない事はないが、その一軒しか知らぬからなあ。」 「正直に言わせてもらうと、とてもじゃないが美味いとは言い難い…それに、ヤル気ってのは何で出てくるか知ってるか。」 「つまり…何か?そなたが言いたいのは―――」 「“一つ”には美味い飯…依頼をこなして腹を空かせた冒険者がありつく飯が美味ければ美味いほどにヤル気は出てくる。 なあ―――ニル、私達が一緒に行動をしていた時、飯の当番は大体ノエルがしてくれていたよな。」 「ああ、短時間で滋養のつくものを食わせてもらった、それにノエルは食材を現地調達などで賄えていたから荷物も嵩張る事も無く…」 「あれを見て、私の出番はないと思ったよ。 それほどあいつ《ノエル》の忍飯は洗練されていた…けれど今はあいつ《ノエル》はいない、そこで考えを廻らせたのさ、私の『花嫁修業昔取った杵柄』今活かさなくてどうするってな。」 「(…)随分と豪語するものだな、なのだとしたら私も気にはなって来た。 いつになるかは知らんが期待はさせて貰おう。」


そこで以前話題に出した『割烹おりょうり』…確かにここスオウに食事を提供している『食堂』はあったのですが、その味はお世辞にも美味しいと言えたモノではなかったようです。 けれど冒険者にとってはそれにありつくより外はなかった…依頼によりくたくたになるまで動かせた身体―――果たして帰宅して食事を作る気になれるものか、答えは既に出ていた…だから例えお世辞には美味いとは言えないながらも一軒しかないギルド経営の食堂を利用するより外はなかったのです。

それにどこか自信に溢れていた…自分と一緒に行動をしていた時には料理の“り”の字の欠片もなかった者が―――けれどそれはその仲間さえ納得させられる腕の持ち主がいたから何も自分からしゃしゃり出る事をしなかっただけだったのです。


         * * * * * * * * * * 


それから幾何いくばくかが経ち―――けれど一向に仲間が店を出すなどの噂も聞かないから様子をうかがってみると…


「(な―――)何をしているのだ?そなたは…」 「ああニルか、もう少しばかり待っててくれないかな、他の食材とかは用意出来たんだがのがまだなんでね。」 「(『肝心』?)とは行っても私から見たら今すぐにでも店を出して構わないと思うんだが?」 「だあーから言ってるだろ?って…だけど目玉が完成しないんじゃ出したくても出せれないと言った処さ。」 「言っておることがサッパリなんだが?」 「だろうな、それにはスオウにはない…けれどサライにはある―――ま、もうちょっとの辛抱だ待っててくれよ。」


リリアの言うように外装や内装も整えられており、色々な献立を記した木札に仕込みの終わった品が一揃えとしてあった―――なのに、開店に踏み切らない…一体何故かと問うた結果が『肝心なモノがまだ』…と言う事だった、リリアにしてみれば妙な事を言うものだと思ったニルヴァーナの視界の片隅には、何の用途で置かれているか判らない大甕が3つ…それ以外は変だとは思いませんでしたが―――


「なあ…リリア?あの大甕は一体何なんだ。」 「が私のとっておき―――あれの仕込みが終わるまでもうしばらく時間がかかるんだよ。」 「(仕込み…)一体何を用意しているのだ、私としては非常に気になる。」 「まさかあんたまでも興味を持っちゃうなんてなあーーーいいけど、だぞ、。」 「ほう…私と言う事は私以外の誰かが興味を持ったとでも。」 「まあね、今回私がする事のある意味での商売敵…ギルドの食堂のおばちゃんさ。」 「ふむ…どれ―――拝見。 (うん?)これは…“水”?“液体”?それにしては僅かながら臭いがあるが―――この臭いはひょっとすると…」 「鼻が利くなあ~そうさ、その“液体”の底には天日干しした小魚がまるのまま沈めてある…まだ完成品じゃあないんだから気を付けてくれよ。」


その店の中で一際異彩を放つ謎の大甕3つ―――果たしてその中には天日干しした小魚…いわゆる『煮干し』を水に浸した“液体”がありました。 そう、リリアがひたすら待っていたのはこの“液体”の『完成』―――つまり今の時点ではまだ『完成』はしていない…だから『完成』をするまで待っていたのです。 それにある意味では今回リリアが出店する食堂の商売敵…ギルドの食堂に務める女店員が快く思わない訳はない―――だから敵状視察に来たと言うのですが、その時にもリリアはこの大甕に近づかない事を条件に開店前の店の状態を見せていたのです。(そこを考えると今回ニルヴァーナにこの液体を『見せた』と言うのは、それだけ彼女を信頼している証しでもあるし、リリアなりの心意気も伺えると言えよう)


        * * * * * * * * * *


一方その頃ホホヅキは―――


彼女はリリアとニルヴァーナとの会話をつぶさに聞いていました、それによると幼馴染みは近々食事処を開くと言う―――しかも、リリアの作ろうとするものもある程度断定できました。 それに、そう…リリアとホホヅキの郷里は一緒、しかも彼女達は幼馴染……とくれば、つまるところホホヅキは知っているのですリリアが作ろうとしている“魔法うの水”を、それにホホヅキは幼馴染のよしみからか当然の如く知っていた―――ならばと彼女自身一念発起するのもまた無理もない話し。

幼馴染みの“魔法の水”の事を知っている自分としては、かの逸品に華を添えたいとも思ってもいた…それにここスオウは鬼人の郷―――ここには幾つもの銘酒がある事も知っていました。 そう…今ホホヅキがおとなっているのは、そうした『杜氏とうじ』―――


「ごめんくださいませ。」 「うん?どうした嬢ちゃんここに何しに来たんだ。」 「あの、よろしければ『こうじ』を少しばかり分けて貰えばと…」 「『こうじ』……ねえーーーなあ嬢ちゃん、あんたこうじが儂ら杜氏とうじにとっちゃどれだけ大切なものか…」 「ええ、判っておりますとも。 好き酒造りはこうじを生命より大切にする―――それに酒の善し悪しを決めるのもこうじの機嫌次第である事も。」 「そこまで判ってるのなら―――」 「ですが、私の方でもが重要なのです、その善し悪しが“出来”に関わって参りますので―――」


杜氏とうじに於いて酒造りに欠かせないこうじを分けて欲しいと若き女性から申し出て来た、されどこうじ杜氏とうじにしてみればまさしくの生命線―――そうおいそれと分ける事など出来はしない、その事は若き女性も判っていたみたい…だったけれども、女性の方もこうしじがないと“出来”に関わってくると言ったのです。


そして告げられた単語―――その短い一言に杜氏とうじは発する…


「まさか―――あんた、サライ出身の…」


そして頷く女性…すると杜氏は『持って行きな』と一すくいのこうじを分けたのでした。


そこからまたしばらく時間は進み、リリアの方からニルヴァーナに、ある“お誘い”がありました。 その話しによると例の“液体”が完成したのだと言う―――そこで期待に胸を膨らませてリリアが開くと言う食事処に顔を出せば…そこにいたのは自分だけではなく、スオウのギルドマスターや数名の冒険者、ホホヅキに杜氏とうじ―――更には…


「『ギルド食堂』の女将…リリアよ大丈夫なのか。」 「何を言ってんだ、こっちは準備は万端仕上げを見て御覧じろだ。 さあてお集まりの皆さん、本日は私の食事処の開店前を祝ってほんの心ばかりの“おもてなし”だ、遠慮なく召し上がってくれ。」

「それよりあんた、聞いたところによると小魚を天日干ししたのを使ってるって話しだよねえ。 ―――って、まさか…」 「ああおばちゃんか、そう言う事さ…“尾”も“かしら”も“内臓わた”も残っている…。」 「それがどう言う事か判ってるんだろうねえ?ちゃんとした下処理もせずに臭みや苦み…エグみのあるものを使うって事がさ。」


「(そういう事か…私は料理の事は全く判らない、判らないからリリアのしている事が正しいと思って来たが―――だがギルド食堂の女将がそう言うのなら…まずいのではないのか?)」


その例の“液体”を試飲する時、ギルド食堂の女将からの鋭い指摘がありました。 そう彼女もギルド食堂に勤務してから50年以上も経っているからリリアがしたことを判っているのです、小魚を天日干ししたところで魚本来の生臭さやエグみはと言う事を、でもそこを―――


「確かにおばちゃんの言い分はもっともだ、だけど客ってのは店から供されたモノは甘んじて受けるのも客としての作法―――違うかい。」


そんな事など先刻承知とでも言うように、まるで挑発めいた言葉を発した―――そこで客として招かれた、ギルド食堂の女将を筆頭とする者達はその“液体”を呑み干した―――


       「「「「!」」」」      「「「!?」」」


「な、なんだい―――は…これが小魚をまるのまま使ったってのかい?“かしら”はともかく“内臓わた”を抜かないと呑めたもんじゃないって言うのに―――」 「いや、それどころかこれが魚から取ったものだって?飲んでも何杯でもイケるぜ…」 「そ、それに―――だよ、その小魚まるのままの“煮干し”とやらを火にかけて…」


「火に、かけちゃいないよ―――」


「(え?)でも火にかけずにどうやって―――」 「確かに私のこしらえたものは“かしら”や“内臓わた”は抜かない、ただ丁寧に埃を取って水に浸して冷暗所に置いておく必要がある、そうしたら琥珀色をした綺麗なモノになるからその上澄みだけを丁寧に別の器に取って、そこで初めて火にかけ煮え玉が湧いて来たら“塩”やウスクチ醤油“を足す―――ただ液体を移した器は絶対に揺らさないよう細心の注意を払わなくちゃならない…まかり間違えて掻き混ぜたりした日なんぞにはその時までかけて来た時間や苦労が一瞬で泡沫の様に消えてしまう。 なら、そこまで気を遣うんなら『どうして“かしら”や“内臓わた”を抜けば』って話しになるよね?じゃ…一つ聞くけどさ、おばちゃんとこでも高級魚は扱うよね―――その時、“尾”“かしら”付きはどう扱う?」 「そ、そりゃあ―――余すことなく使うさ、特に“かしら”なんざ一番味が濃くて美味しい所なんだからさ。」 「だったら小魚も同じ“魚”―――て事にならない?それに下処理…抜いた“かしら”や“内臓わた”はどうする、恐らく畑の肥しか猫のエサだろう?私にしてみればそんな勿体ないことは出来やしない―――確かに、下処理するのも立派な手間隙だろうさ、けれど厳しい師匠の躾のお蔭で『なるべく無駄遣いをしない』事を徹底的に仕込まれたのさ。」


「そなたの厳しい師匠とは―――以前聞いた事のあるそなたの父の事か。」


「いや―――確かに剣の師匠はお父さんさ、けど『割烹こっち』の師匠は私のお母さん…名を、『アリサ』と言う。」 「なあるほど、その名前…道理でね。」 「女将は知っているのか。」 「知ってるも何もヒト族に於いてその人あり―――と言われたほどの食の変態さね。 その娘っ子がまさかこのスオウに来ただなんて、勝てない喧嘩を吹っかけちまったもんさね。」


恐らくは、食前に出す乾いた咽喉を潤す為に出されるお茶やお水の代わりに出されたとしても何文句一つない味―――その“魔法の水”こそはヒト族の食文化に伝わる『お出汁』というものだったのです。 それを知り、ギルド食堂の女将も納得はしたのですが…


「さて、リリアの供したのは済みましたね。 ならば今度は私の番―――リリアのお出汁に付け加えるようですか…をどうぞ。」 「(ん?)なんだこの濁り水…香りはどこか豆を彷彿とさせるような?」 「本来なれば、野菜や色々な具材を入れるのですが…まあこの度はでどうぞ―――」


       「「「!」」」       「「「!!」」」


「こ…っ、―――?!」 「驚いたか、まあ儂もこの嬢ちゃんの出自を知った時にゃ魂消たまげたもんだったぜ、ああそうさ…サライでも極一部しか知らない『神宮味噌』、ここスオウでも僅かに流通しちゃあいるが―――」 「なんだって!?高級品が…」 「ああ、だから『魂消たまげた』って言ったろう?儂ら庶民の口にゃまずありつけない、ここの領主だって新年の祝いだとかそう言った特別な日でしか口にしたこのない幻の食材よ。」 「そ―――それがにあるって事は…まさかあんた、命より大事なこうじを?!」 「ああ、だけどな女将、こうじは儂らにとっても秘中の秘―――それが他国の秘中の秘になるってんなら、そんなお安いものは吹っ飛んじまったよ。」


『神宮味噌』とは、サライでも一部の職業―――神社に務める神官職が拵えているとされている高級食材(調味料)でした。 大豆や麦、米を材料にしてそれらを発酵させる為に必要な“こうじ”―――こうして『ぬか』は造られそこから味噌が仕立てあげられる…しかもスオウの銘酒を造る醸造元である杜氏とうじと同様その造り方は秘伝中の秘伝であり、その一族でしか伝わらない…からこその高級食材でもあったのです。 それがこの度よりスオウでも造られるともなれば積極的に協力し合わない手は、ない―――こうしてスオウの出身ではないリリアとホホヅキは無事スオウに受け入れられたのでした。


          * * * * * * * * * * 

 

「それにしても以外ではあったな、まさかそなたに剣以外でも才能があったとは。 しかし、これほどの腕であればノエルとも―――」 「言いたい事は判るよ、けど私のは手間隙は物凄くかかるもんさ、それに依頼や戦時中にはとにかく手早くそれなりに食えて栄養になるものを―――となった時、お腹空かせて指の一本も動かせられない時どっちを選択する?」 「む…むむむうーーーそ、それは究極の選択だな。」 「おいおい究極の選択―――だなんて大袈裟な、けどだから思ったものさ、手間暇のかかる私の『割烹』と、手早く頂けるノエルの『忍飯』どちらがってね。」

「それに自慢ではありませんが、私の神宮味噌も携帯用としても用いられますしね、第一味噌には滋養強壮にもなりますし。」

「ふうむ…ならば尚の事サライはそなたらを流出させたのは痛いのではないのか。」 「さあて知らないねそんな政治的な事は、そう言う事を判ってるんだったら私たちをいじめなきゃ良かった―――これに尽きるだろ。」


ニルヴァーナの言うように2人のサライの食文化の流出は殊の外痛かった、その一番に割りを食っていたのは『神宮味噌』であり、長らくの間生産もサライ限定だったものがスオウでも生産されるようになり、その希少価値としての高級さは薄まってしまったのです。




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