第7話

 ずいぶん長いこと、アシルにしがみついていたオフィーリアは我に返り勢いよく体を離したけれど、また馬車が大きく揺れて元通りになってしまった。

「気にしなくていいよ、俺に体を預けて」

 耳元で聞こえた声にドキリとして、アシルの上着をぎゅっと握る。

「その態勢はきついだろうからこっちへ座って」

 向かいに座っていたせいで前屈みになりながらオフィーリアはアシルの腕にしがみついていた。

 優しく言う彼は紳士的で城にいた時よりも気にかけてくれているようだった。それに、いつの間にか敬語も取れて、これが本当の彼なのだろうかとオフィーリアは揺れる馬車の中で思った。    

 早く馬を走らせているようでガラガラと車輪の音が聞こえてくる。

 アシルの隣へ、少し距離を置いて座りなおした。胸の中にいたオフィーリアが離れてしまい残念そうな顔をしたアシルに彼女は気づかず話しかけた。

「あの…さっきの鳥は何だったのですか? オーバンが笛を吹いたら、いきなり現れましたけれど」

「あれは呼び笛と言って、代々彼の家が所有しているものの一つだ。驚かせてしまって申し訳ない」

「いえ、あんなに沢山の鳥は初めて見ました」

「何匹呼んだのか知らないが、あれだけの数を操れるのは彼一人だけだ」

「ほかにも操れる方がいるのですか? それも数まで選べるなんて」

「あぁ、王家の人間は操れるし、魔法に長けているものも多くいる。ただ大群を呼び寄せるには才がないとダメらしいが、オーバンはそれに長けているらしい」

「ではアシル様も?」

「そうだね、一応使うことはできるが、俺のは…オーバンのように目に見えてわかるようなすごいものではないよ」

 引っかかる物言いにオフィーリアは首をかしげたが、それ以上アシルは何も言わず言いたくないのだろうということを悟る。

「俺のことは、おいおい話していくとしよう。それよりも今は、早くフェルズへ急がねばならない」

 アシルはこめかみを押さえて、はあと息をついた。そんなアシルの様子を見てオフィーリアは馬車の外を覗いた。

 数が少なくなっていると思いきや、最初見た時と同じか、あるいは鳥の数はどんどん増えている気がする。空まで覆い尽くすようなそれらに、オフィーリアはパチパチと瞬きをした。

「まだ…鳥が」

「あぁ、そうだよ。まだ賊を撒けていないらしい」

 窓の外も見ずにこめかみを押さえてるアシルを、オフィーリアは怪訝に思った。どうして、わかったのだろう。馬車を走らせているから鳥たちの羽ばたきは、馬の蹄の音や車輪の音でかき消されるはずなのに。

「普通の賊とは違うとおっしゃっていましたが、それと関係があるのですか?」

「あぁ普通の賊というのは金目の物だけを襲ってくるが、今日のは違う」

「違う?」

「根本的に狙っているものが違うんだ。俺の憶測でしかないが、彼らはたぶん私かオフィーリアを狙ってきている。さっきもオーバンめがけて矢を放たれただろう? あれはこの馬車を狙ったものだった」

 黒く深い瞳に見つめられ、オフィーリアは戸惑う。

「私はフェルズの民に歓迎されてないんでしょうか、」

「いや、そんなはずはない。フェルズについたらすぐ快く迎えてくれるから何も心配することはないよ」

 賊のことを民と表現したオフィーリアをアシルは可愛らしいと思う。が、アシル自身は賊をよくは思っていなかった。反帝国主義の集まりで王家や家族、国民だって奴らの餌になるのだから低俗な身として、地を這い回っていれば良いとさえ思う。

「あなたは民というんだね、賊のことを」

「いけませんか…? 彼らも何か事情があってそうしてるのではないかと思うんです」

 自ら望んで賊になったわけではないと、そう言いたいのだろうか。しかし、人生というものは選択肢がそこらじゅうに溢れている。いつでも選ぶのは自分自身であり、自分の選択で出来事があっという間に変わってしまう。

「望んでなったわけではないと?」

「私個人の考え方ですけれど」

「その考えも一理あるとは思うが、相手は賊だ」

「まあ何かあるだろうな…」

「今この瞬間、彼らにはまたとない絶好の機会なんでしょうね。きっと」

 確かに考えてみれば、婚約を控えた王女を乗せたフェルズの馬車が賊に襲われ、王女が亡き者になったらウェルヴァインの民、国は激怒し取り返しがつかなくなるだろう。外交も結んでいたのも強制的に遮断され、二度と国境さえくぐることができなくなってしまう。

 それに王太子も乗っているのだから絶好のチャンスだと捉えるのは賊にしてみれば当たり前ではないか? 目の前に大きな鴨がいるのだ。目障りで仕方がなく、今の王政のうちに消してしまえば一石二鳥と考えるだろう。

「彼らを撒けさえすれば、もしくは諦めてくれさえすればなにも問題ないのだが…そう上手くはいかない」

「難しいですね」

「そうだね…。オーバンや騎士隊が何とか撒いてくれることを願うしかないな」

 馬車にアシル一人だけならば、オーバンらと合流し応戦できるが。いかんせん、そばには大事な何よりも変えがたい存在であるオフィーリアがいた。オフィーリアをこの場に一人置いて外で戦うなど無理な話だ。その頭に浮かんだ案に首を振って、またアシルは思案する。

<…シル……アシル殿下>

 その時、アシルの心に語りかける声が響いた。むろんアシルだけに聞こえる声であったからオフィーリアには聞こえず、驚きも身じろぎもしていない。

 魔術が使える者なら誰しもビュラスを使うことができた。ビュラス。それは古代から魔道士たちの間で発明された心の会話であった。ビュラスを飛ばしたものが指定しない限り、他のものは入ってこれない異空間である。

<進展はあったか?>

<撒けたかと…。もうすぐレイバンに着きます>

<そうか。ご苦労だった、オフィーリアを早く休ませたい>

<承知いたしました。ただ、気がかりなことがあります。この森に入ってから、彼らは追ってくるのを止め、各自散り散りになっていきました>

<この森に何かあるということか? 妙に引っかかるな…>

<森に…いや、森ではないかもしれません。レイバンに近づいたのがわかったので散った、そうとも考えられます。もしかしたら、フェルズへ行くのかどうか見届けていたとか…そういうことでしょうか?>

<どちらもあり得るな。誰かに追わせているのか?>

<使役している鳩を三羽飛ばせております、人は誰も送っておりません。誰か向かわせた方がよろしかったですか>

<いや、その対応で十分だ。何かあった後では遅い、状況が変わったらまた報告を頼むオーバン>

<御意>

 ビュラスが終わると、馬車の外を覆いつくしていた鳥の群れは徐々に空へと舞い上がり羽ばたいて行った。

 アシルは馬車のカーテンを手でよけ、青々と茂っている森をその瞳に映した。

「どうやら、オーバンたちが賊を撒けたようだ」


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