第6話

 馬車の中だというのにしゃんと背筋を伸ばして、窓の外を見つめているアシルにオフィーリアは早く自国へ帰りたいのだろうかと思った。一カ月もウェルヴァインに滞在していたのだから、気持ちが逸っているのかもしれない。

 こちらを向いたアシルと目が合った。見ていたことがばれて、オフィーリアは少し頬を赤くする。庭園でされたことを思い出す。

「…どうかした?」

「いえ、ただ…ずっと窓の外を見ていたので、自国に早くお帰りになりたいのかと」

 思っていたことを素直に口に出すと、ふふっと笑われた。嫌な気はしなかった。

「そうだな、それもあるけれど。フェルズに到着したら、あなたをどこを最初に案内しようかとかいろいろ考えていたんだ」

 楽しそうに微笑まれてオフィーリアは複雑な心境になった。

 庭園で会ったときから、アシルの向けられる好意は手に取るように分かった。オフィーリアには好意を持ってくれている異性が周りにはいなく、ダンスの誘いや、お茶の誘い、手紙などをもらっただけで兄や父が大騒ぎし、湧いて出てくる虫を片っ端から叩き潰すように排除していたので、そこまで免疫がなかったのだった。

 他の国へ行くのはこれが初めてだったので、オフィーリアはわくわくもしていたし楽しみでもあったが、それ以上にアシルの視線や言葉にどぎまぎしていて、対応の仕方がわからなかった。わからなかったからこそ、わからないなりに考えて理解しようとしていたオフィーリアは勤勉といっても過言ではない。

 ウェルヴァインにてアシルと共に貴族や商人、様々な人種に挨拶をしていたせいか気兼ねなくオフィーリアは話せるようになっていた。

「フェルズ帝国には殿下のお好きな場所はございますか?」

「そうだな…書斎が気に入っているかな。広く静かで誰も寄ってこないし、それに口うるさいものもいないので」

「書斎ですか、読書がお好きなんですね」

「あぁ、昔から物語が好きでよく読んでいたんだ。オーバンには本の虫と言われたことがあるよ」

 それだけ本が好きなのだろうということがオフィーリアにわかった。

 本と言えば、父の書斎に入るときいつも恐々と扉を開けていた。書斎には何人もの文官がああでもないこうでもないと意見を出し合い、話をしていたのを覚えている。鍵がかかっていることもあり、入りたいときに入れず、あまりいい思い出がない。

「自由に出入りができたのですね」

「まあ、もう私の父上は隠居するからと言って書斎の鍵を俺に預けてくれているし、自分の書斎って言っても過言ではないかな。書斎を自由に仕えるから、帝王学が嫌になるとそこに籠ってやり過ごしたり、いろんな悪さに使ってた」

 あぁ今はそんな子供じみたことはしないよといたずら顔で言われ、オフィーリアは

笑った。

「悪さっていえば、私も庭園にそれを使ったことがあります。あそこは広かったでしょう? なので目くらましにちょうどよかったんです。私も、勉強から逃げていた時期がありました。同じですね」

 と、その時、馬車ががたんと大きく揺れ、二人は態勢を崩した。

「大丈夫?」

「えぇ、私は。殿下は」

「大事はない、馬車の車輪に石でも当たったのか?」

 馬車がだんだんと速度を緩め、停止した。何かが起こったことは明確で、二人は顔色を変えた。

 遠くから騎馬のかけてくる蹄の音がし、こちらの馬車へ近づいてくる足音があたりに響いた。

 薄いレースのカーテンをよけて外をのぞくと、アシルの家臣であるオーバンが息を荒くして立っていた。馬車の窓を開けて、アシルは聞く。

「どうした」

「何者かに囲まれており、騎士たちには警戒態勢を取らせており、何かあれば戦闘の許可を出しております」

「賊か?」

「そう思われます。積み荷を狙っての行動だと」

 一瞬、アシルはオフィーリアを見、オーバンに向き直る。

「安全な道を選んだのにな…」

「賊に安全もないです。豪華な馬車があれば、すぐにでも搔っ攫うでしょう。

 最初先頭の馬車が煙玉を食らい、足止めをされていました。すぐ応戦をいたしましたが。どうも、ただの賊ではないような気がしてなりません」

 オーバンがそう言った矢先、茂みの向こうから矢が飛んで来て、剣でそれを薙ぎ払った。オフィーリアはびくりと肩を震わせ、後ずさる。そんな様子に、もたもたしているわけにはいかないことをアシルは自覚する。

「囲まれているな、それにこの馬車を狙っているようだ」

「狙いは殿下か、姫か。考えたくもありませんが」

 ちらりとアシルの後ろにいるオフィーリアに目をやり、オーバンは握っている剣の柄に力を入れた。そして懐から銀の小さな飾りのような笛を取り出し、彼は勢いよくそれを吹いた。ピーっと甲高く澄んだ音がこだまし、一斉に鳥が飛び立ち渦を巻いて林をぐるぐると旋回した。大群の鳥。それらが、賊の目をくらまし馬車を視界から隠してくれた。

「でかした、オーバン」

 頷き返し彼は自分の馬へとまたがった。そしてまた二度、笛を短く吹き駆けて行った。と同時にアシルもまた馬車の窓をしめ、気合を入れるように息を吐き出した。

「俺につかまっておいで、オフィーリア」

 聞き返そうとするやいな、馬車は先ほどよりもすごいスピードで走りだし、オフィーリアは前のめりになってアシルへ抱き着いた。馬車のカーテンが揺れる先でまだ鳥たちがばたばたと翼をはためかせていた。すごい数の黒い鳥だが、不思議と怖いとは感じず、激しく揺れる馬車に鼓動が高鳴っていた。

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