帰城

「600年ぶりの我が家か。 見慣れているはずの書庫も、流石に随分と懐かしく感じるな」

 分厚い押し扉をこじ開けると、所狭しと本棚の並んだ部屋へと出たアルバ。

 感傷もそこそこに、本棚と一体になった扉を再び閉じて、感慨深い書庫から廊下へと足を向ける。                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                              

「荒らされた形跡はない、か……」


 戦争状態にあったと聞いていたが、書庫と同様、損傷したとか、荒れている様子はない。 確かにホコリはところどころ積もっているが、それでも、思っていたよりはよほど綺麗な状態が保たれている。

 人の気配がしないという一点を除いて、所々改修の跡や装飾の違いはあれど、自身の知るサンエレク城と大きな違いはなかった。

 ライトで周囲を照らしながら、まるで初めて訪れた場所のように、探り探り歩みを進める。

 奇妙な感覚だと、苦笑しながら。

 その後、いくつかの部屋を回っている最中に痛みの少ない適当な服を身繕い、ようやく全裸から解放されて気が楽になったアルバは、ある部屋の前で足を止めた。 


「……ここは、執務室か。 昔はよくサルバと忍び込んで、父上に叱られたな」

 

 音を立てて開く執務室の扉。 その先は、アルバの記憶とは若干、様相に変化がある部屋だった。

 広い部屋の窓際には装飾の施された机といすが置かれており、壁際には棚や絵画が飾られている。

「私がいた頃とかなり違うな。 昔は絵画もなければ、壁も赤ではなく、白かったはずだが……。 模様替えは、代々の使用者か城主に左右されたというところか……ん?」


 ライトで照らされた鍵付きの棚。 しかしそれは開いており、その中に畳んで封蝋までしてある羊皮紙に、アルバは不思議と気を引かれた。


「これは……」 


 手に取って開いてみると、そこには『兄上へ――』から始まる、自分の半身ともいうべき人物から、自分にあてた手紙だった。


『お久しぶりです。 久方ぶりのサンエレクは、兄上にどう映っているでしょうか』


「サルバ……」


『兄上のおかげで、私の代では魔獣の発生がほとんどなく、安定した治世を行うことが出来ました。 そして、私の次を担う子供達も立派に成長し、王として後を任せられる人材に育ちました。 もちろん、兄上がお目覚めになられた際の約束も厳命してありますので、ご心配には及びません』


「約束……ああ、あれか。 まさか、本当に言い伝えようとしていたとは……」


 別れ際に話した時、私が目覚めた際に路銀を持たせてくれるという話だったな。

 そのさり気ないやり取りをサルバが覚えていてくれたことに、アルバは心の内が温かくなる。


『ぜひ、孫たちから兄上が守ってくれた未来の話を聞いてやってください。 そして、どうかいつまでも健やかにお過ごしください。 救国の英雄であるアルバの弟、サルバより」


「お前は――お前の代は、幸せだったのだな」


 例え、今がそうでなくとも、愛する家族、肉親が生きた時代が平和であったというのであれば、スローターとして自身が歩んだ道程にも、意味があったのだとアルバは思った。

 そして、600年越しの再開を手紙という形で果たせたことは、想像以上に自分を歓喜で満たしてくれた。 それは、自然と頬を伝う涙として表れていた。


「……む?」



 その手紙を懐にしまいその場を後にしようとしたとき、棚の中にもう一つの羊皮紙が折り畳まれて置かれていた。

 気になって羊皮紙を開くと、サルバの丁寧な字体とは違う、走り書きをしたかのような文章が記されていた。

『この手紙をお読みになるのが、アルバ様であることを、心から望みます。 私はサンエレクの、もしかしたら、最後の大臣――バルタザール』


「サンエレクの、最後の大臣……」


『もしこれをお読みになっているということは、残念ながら、この手紙を抜き取る必要がなくなったという事なのでしょう。 もうお気づきでしょうが、我がサンアレクは傾城の危機を迎えております」


 その冒頭は、バルタザールが戦争状態にあったサンエレクでこの手紙を書き記していたことを容易に想像させた。


『事は、数年に渡って交戦状態だったソイロックと互いの捕虜を交換するための調印式の日に起こりました。 事態は、一瞬でした』


「交戦……戦争をしていたのは、ソイロックとなのか」


 アルバがスローターとして活動していた時代は、土のエーテルを基盤として成り立っていたソイロックとは友好的に付き合っていたはずだった。 少なくとも、魔獣がはびこっていた時代に、人同士が争っているような余裕はなかった。 どの国も協力し合い、どの国もスローターが魔獣討伐の狩りを行っていた。

 人類が一丸となっていた時代が、アルバの生きていた世界だった。 


『しかも、調印を担当していたソイロックの将校、付き添っていた部下たちも知らなかった事らしく、我々サンエレクの者達と同様、困惑しておりました』


「ふむ、ソイロックの者たちは情報漏洩の徹底、もしくは警戒心を解くための人柱にされたという事か。 何らかの不都合が起きないように、その将校たちにも伏せられていた、と――」


『既にご覧の通り、我がサンエレクは一瞬にして岩塊に覆われ、完全に下界と隔絶されてしまいました。 まさに、アルバ様が安置されていた隔絶の櫃と同じような状況です。 異なる点があるとすれば、閉じ込められた我々の時間は、確実に進んでいくという点です』


「――岩塊に、覆われた?」


 その文章を呼んだ瞬間、現状に起きていることを、アルバは即座に察した。

 なぜ気が付かなかったのか。 この城内にある窓には、月明りすら届いていないことに。


「この暗さは、夜の帳が下りているわけではないのか」


 即座に執務室の窓に飛びつき、表を見渡す。

 本来であれば見えているはずの夜空はそこには無く、ただ、真の暗闇がサンエレク城を飲み込んでいた。

 どこまでも、先の見えない暗闇が……。


「この城を覆うほどの岩壁とは、恐れ入ったな」


 一体、どれだけ強力なエーテルの使い手がいたのか――。

 しかも、一人や二人では、これだけの魔法を使うことは不可能だ。

 少なく見積もっても、200人規模の使い手が城外周辺で待機していたことになる。

 捕虜交換の調印式の日だったとはいえ、不用心極まりないな……。

 

『岩塊が城を覆った後、我々はあらゆる手段を講じて目の前の障害を取り除こうとしましたが、魔法によって構成されたその岩塊は非常に強固であり、突破は困難を極めました』


「雷の魔法を主とするサンエレクの者からしたら、土の魔法相手では、確かに分が悪かったであろうな」


 アルバには魔法は使えない。 しかし、雷のエーテルは土のエーテルとは相性が悪いということは、この世界の人間であればだれでも知っている。 少なくとも、600年前は、子供でさえ知っていることだった。


『加えて、非常時の脱出経路も出口近辺の森に城外と同様の分厚い岩盤が形成され、八方塞がりの状況です。 もはや外部の様子を伺い知ることは困難。 食料の備蓄にも限りがあり、いくら糧食を切り詰めたとしても、来たる未来は、想像の域を出ることはありません。 代々サンエレクにお仕えした私の一族ですが、何のお役にも立てないまま、私のお仕えした代で潰えさせてしまうことの不敬をどうかお許しください』


 走り書きで掛かれていた文面は、ここにきて更に歪み、とても大臣が書いたとは思えない、ミミズが這いまわったような字が書き連ねてあった。

 それだけでも、バルタザールの焦り、恐怖、口惜しさが感じ取るには、十分だった。


「もう、これを書いているときには、限界が来ていたという事か……」


『これから城内は、王がお決めになられた、最後の手段を行う事になっております。 ですが、この手記をアルバ様がお読みになっていたとしたら、その試みは失敗に終わったという事でしょう。 私共は、終ぞ国に様子、ひいては民の事を把握することなく、この城内で朽ちていったという事でございます。 もう、お頼み申し上げることが出来るのは、アルバ様しかおりません。 どうか何卒、我が城が封鎖されてしまった後の我らが国、我らが領民の安否の程をお確かめ頂きたく存じます。 何卒、この国の未来をお頼み申し上げます」


 手紙はそこで終わっていた。

 きっと、この後に手紙にもあった最後の手段というものに立ち合いに行ったのだろう。


「大臣、大儀であったな」


 バルタザールは確かに悔いていたが、国の行く末を憂いてくれていたのは十分すぎるほどに伝わった。 それが、アルバには嬉しかった。


「しかし、大臣もそうだが、いったい城内の者たちはどこに……」


《アルバ、聞こえるかい?》

 

「なんだ、テクノか。 どこにいる?」


 どこからともなく、テクノの声がアルバの耳に突然届いた。 正確には、耳を解してではなく、頭の中で直接響いたという感じだった。


《船の中だよ。 君には、頭の中に直接話しかけているといったところかな。 それと、君が見たもの、聞いたものも共有させてもらってるよ》


「その様なことが……そうか、意識していなかったが、この体は人形、機械だったな。 であれば納得だ」 


《理解が早くて助かるよ。 城内はあらかた調べたのかな?》


「ああ、全てではないが、大体見て回った。 しかし、城内には全くと言っていいほど人の気配がない。 生存者がというわけではなく、死体の一つも見つからないのだ」


《なるほど。 そういうからには、まだ城外には行っていないんだね》


「む、確かにまだ行っていないが……何かあるのか」


《城内に亡骸が一切ないってことは、そういうことだよ》

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