第14話 空震注意報


 その揺れに気づいたのはほんのわずかな人数だった。


 ――カタンッ。


 たったそれだけの小さな一瞬の横揺れ。震度1。

 勘の良い人しか気づけなかった小さな小さな空間震動であった。

 震源地は街のビルとビルの薄暗い隙間。発生したのは長さ1メートルほどの一筋の空間の亀裂。空間裂傷の中では極最小の規模に分類される。

 傷口から滲み出る血液のように、拡張世界から現実世界へと魔力が漏れ出してくる。どんよりと粘着質な異質の力が。

 空間に穿たれた傷は世界の修正力によって瞬く間に治癒された。

 本来ならばこの規模の空間裂傷であるならこれで終息する。

 しかし、今回は珍しい現象が起きた。

 修正の余波による空間の歪みと零れ落ちた僅かな魔力が混ざり合い、凝縮して、灰色のナニカを形作った。

 丸みを帯びた身体。灰色の毛。四本足。赤い瞳。鋭く伸びた牙。髭。細長い尻尾。


『ヂュァアッ……!』


 産み落とされた魔物が現実世界に解き放たれる。



 ▼▼▼



「ったく。だりぃーな」


 男がぶつくさと独り言ちた。髪を茶髪に染めたチャラチャラした男だ。大学生くらいだろうか。首には鎖のようなネックレスを付けている。

 チャラ男の見た目に反して、手に握られているのは細長い鞘。日本刀だ。


「油断するなよ」


 生真面目そうなメガネ男が真剣な表情で欠伸をする友人に注意をする。

 わかってるよ、とチャラ男は再度大欠伸。メガネ男はため息をついた。


「索敵はお前の仕事だ。任せた任せた」

「それはそうだが」

「つーか、震度1程度の空間震動で魔物が発生することはねーっての! 一応、周囲の探索者は魔物がいないか探索することになってるけどよ、帰らねえ? 俺たち必要ねぇだろ」

「協会に位置を補足されてるぞ」

「ちっ! こういう時に位置を把握されんのが面倒くせぇ」


 チャラ男はクルクルとカードを放り投げてはキャッチする。

 名前や生年月日、住所、顔写真、階級、GPS機能も兼ね備えた、探索者であることを証明する世界共通のライセンスカードだ。これ一枚で世界どこでも身分が保証され、銀行振り込みや引き落とし、カード決済まで行える便利アイテムである。

 彼ら二人は探索者であった。チャラ男が前衛でメガネ男が後衛の二人組パーティ。探索者の階級は二人ともD。一人前の探索者と言われるランクである。

 近くで震度1の空間震動が検知されたため、近くにいた探索者に警戒の命令が下ったのだ。たまたま近くでぶらついていた二人もこうして哨戒中。


「空間震動が発生した際の哨戒と魔物の討伐。これは探索者の義務だ。納得して探索者になったんだろう?」

「わかってるけど、休日を邪魔されたらイライラすんだろ! 魔物は出ねぇってのに」

「念のため言っておくが、震度1の空間震動でも魔物は発生するからな」

「へいへい。100分の1くらいの確率だろ? 100回中1回。それを引き当てるのなら宝くじが当たって欲しいぜ」

「それもそう……待て! 何か引っかかったぞ!」


 メガネ男は『探査』の拡張アプリをインストールしていた。

 範囲は自分の周囲、半径50メートルほど。犬や猫など一定以上の大きさの生命体を察知することができる。

 今、彼の探索範囲内に異物が確認された。

 チャラ男が一瞬で警戒して真剣な顔つきに変わる。


「どこだ?」

「方角、北北西。距離45メートル。大きさは70センチほど。動いてはいない」

「なんだぁ? 猪でも迷い込んだか?」

「違う。魔力量が動物じゃない! 魔物だ!」

「おいおい。100分の1を引き当てたのかよ。俺、帰りに宝くじ買って帰るわ」

「軽口叩いて失敗するなよ」

「そんなダセェーことしねぇーよ」


 不敵に笑ったチャラ男は手に持った鞘から刀を抜き放った。銀色の刃が太陽の光に反射してギラリと鋭く光る。

 メガネの男は探索者に与えられた端末機器を操作して探索者協会へ魔物発見の報告と探索者の応援要請、周囲への注意喚起を行う。


「よし。行くぞ」

「おう。小遣いくらい稼げたらいいな!」


 二人は建物と建物の間の細い路地へと足を踏み入れた。


「距離30……25……その角を右……20……」

「おいおい。姿はねぇーぞ」


 視認できる距離に近づいたにもかかわらず、魔物の姿はない。

 一日中日陰のこの場所は薄暗く、肌寒い。じっとりと湿った不快な臭いもする。投げ捨てられた空き缶やゴミが散乱し、吐しゃ物の跡もあるようだ。

 この狭い場所では日本刀を振り回すこともできない。


「魔物は……あのゴミの中だ!」


 廃材やタイヤ、膨れたゴミ袋が高く積み上げられたゴミ山がガサリと動いた。メガネ男の声が合図になったのか、中から何かが這い出してくる。イノシシほどの大きさの灰色の塊だ。


「鼠の魔物が一匹か」

『ヂュゥ~!』


 丸みを帯びた身体、灰色の毛、四本足、赤い瞳、鋭く伸びた牙、髭、細長い尻尾――獰猛な唸り声をあげる鼠型の魔物。変な病気に罹患しているかのように口から涎が垂れて、目はギラついて血走っている。


「下がってろよ」

「わかってるさ」

「後ろは任せた」

「前は任せた」


 いつも通りの掛け合い。チャラ男が日本刀を構えて前に進み出て、メガネ男は後衛に徹するため後ろに下がる。


『ヂュゥア゛アアアアアッ!』


 男たちを警戒して、鼠の魔物が足に力を込めた。今にも地面を踏みしめて飛び掛かって来そう。


「さあ、ろうか!」


 チャラ男も野性的な笑みを浮かべて前に飛び出した。日本刀を鋭く振り下ろす――その直前、


「待て! ゴミ山から魔物の反応が消えていない! 一匹じゃない! 魔物は――二匹だ!」


 ゴミ山から飛び出すもう一つの影。ずっと潜んでいたもう一匹の鼠が攻撃動作に移った男に襲い掛かった。不意打ちをチャラ男は避けられない。


「クソッ!」

『ヂュァアアッ!』

「この野郎っ! 離れろ! ……ぐっ!」


 飛びついた鼠の魔物がチャラ男の腕に鋭い牙を突き立てた。そして、ハンバーグを噛み切るくらいの容易さで、男の腕を肩口から喰い千切る。


「ガァァアアアアアアアアアア!」


 飛び散る鮮血。絶叫が街に木霊した。


「離れろ!」

『ヂュアッ!?』

『ヂュァァアアアアアア!』


 メガネ男が魔法を放ち、魔物をけん制。負傷した相棒を何とか助け出す。


「無事か!」

「ぐっ! これが無事に見えるかよ……片腕を喰われたんだぞ」


 激痛と失血で顔色が悪い。止血しなくては命に関わる。

 幸いにも魔物が襲い掛からないのは、喰い千切った腕に群がって貪るのに夢中だからだ。今ならば逃げ出すことも可能だろう。


「生きていれば何とかなる! 逃げるぞ」

「ちっ! ちくしょう!」


 魔物を刺激しないよう静かに、でも最速の動きでその場から離れる。

 負傷したチャラ男に肩を貸し、魔物が追ってこないかメガネ男が振り返った瞬間、彼は予想外の光景に目を見開いた。


「おいおい……大きくなってないか?」


 腕の骨を噛み砕く二匹の魔物は体長1メートルほどにまで成長していた。明らかに大きくなっている。

 探索者という一般人よりも魔力が濃い人間の肉という餌を喰った鼠の魔物は、種族の成長限界に達した。食欲が満たされた生物の次の行動は当然これだろう。


 ――繁殖。


 この鼠の魔物の繁殖に交尾は必要ない。ブルリと灰色の身体が震えたかと思うと、身体が左右真っ二つに分かれた。体長が半分に縮んだ50センチほどの鼠の魔物が2匹。


「分裂しただと!? しかもまた分裂するのか!?」


 分裂した2匹がさらに分裂して25センチほどの鼠が計4匹に。

 成長限界に達したのは1匹ではない。もう1匹いる。その個体も分裂を繰り返し、同じく4匹に増えている。

 2匹だった魔物が今では8匹である。

 鼠算式に自らの複製を作り出して増殖する――それがこの鼠の魔物の能力だった。

 小さくなった魔物は四方八方に散らばっていく。

 本能の赴くまま、更なる餌を求めて――



 ▼▼▼



Karaage唐揚げにするか, or Tatsutaage竜田揚げにするか : that is the questionそれが問題だ. 『ハムレット』より。ウィリアム・シェイクスピア」

「ハムレットは名前だけしか知らんが、シェイクスピアは絶対に唐揚げと竜田揚げで迷っているのではないと俺でもわかる……どっちにする?」

「よし! ハムカッツにする!」

「ハムカッツ!? ハムカツだろ! ここにきて第三の選択肢とか、絶対にハムレットに影響されたな」

「美味しければ正義なのだ! 正義は必ず勝つ!」


 もう訳が分からん。力説されても俺はどう反応すればいいのやら。

 そんな俺らに呆れた様子で呼び掛けるユナ。


「冷凍食品は最後だよ、お二人さん。解けちゃうからね」

「はーい」

「俺はザトスの子守をしてただけなのに……」


 なぜザトスと一緒にされなくてはならないんだ。

 スーパーにやって来た彼女は、落ち着きのない小さい子供のようにはしゃいであっちへ行ったりこっちへ行ったりフラフラ。

 俺は手綱を握っている保護者の気分だったのだが……。

 不服そうな表情に気づいたユナが言う。


「私からしたらどっちもどっち。保護者は私! ほら、お兄もお姉も行くよー」

「何買う? カレー食べたい! 親子丼もいい!」

「お兄は?」

「……タコライス」

「っ!? タコライス! トビト最高! 食べたい!」

「はいはい。じゃあ材料を買いに行きましょうねー」

「うん!」


 ……保護者はユナで決定だな。痛感した。言い方とか誘い方とか態度がまるで母親。何とも言えない貫禄がある。

 母性が溢れていると言えばいいのだろうか? 雰囲気的に。

 ユナは良い母親になりそうだ。

 俺は数歩遅れて美少女二人の後を追う。

 店内に警報音で溢れかえったのはその時のことだった。


 ビー! ビー! ビー!


「んっ? 結那!」


 聞くだけで警戒を掻き立てる警報音の出所は、スマートフォンや携帯、タブレット端末である。

 慌てて妹の安全を確保しスマホを確認すると、メッセージが受信されていた。


『空震注意報』


 近くで空間震動が発生したため、対象地域にいた人全員に避難準備を促すメッセージだった。

 震度は1。魔物が発生する確率は物凄く低い。

 俺はホッと安堵する。これくらいの揺れなら大丈夫だろう。この辺りは全く揺れていないし。空震注意報ならばよくあることだ。

 周囲の買い物客も緊張が解けて買い物に戻る。


「お兄、震度1だってね」

「だな」

「そろそろ離れてくれない? 公共の場だから」

「む? おぉ。ごめんごめん」


 無意識でユナを抱きしめていたようだ。名残惜しいが妹から離れる。

 まあ、ユナも嫌がっているわけではなさそうだし、発言から公共の場では無かったら離れなくていいということにならないか?

 ユナはブラコンだったのか……知ってた!


「お姉は何もしなくていいの? 探索者の義務があるんじゃない?」

「注意報なら何もしなくていい。万が一に備えて戦闘準備を整えておくだけ。警報だったら近くの探索者は見回りをしなきゃいけない。私の端末には出動命令は来てない。よって、お買い物続行!」

「ふーん。そうなんだ」

「いくら日本で空間震動が多いからといって、震度1なら余程のことが無い限り魔物は発生しない。だから安心して!」

「フラグ立ったりして」

「おいコラ! それもフラグだ!」


 あ、ごめ~ん、と舌を出して謝るユナ。可愛い。我が妹は世界一だ!

 しっかし、嫌な予感がするなぁ。魔物が発生しないといいけど。


「ザトス。魔物って人を襲うよな?」

「もちろん。この世界は拡張世界よりも魔力濃度が低い。当然、魔物の力も弱まる。だからこそ、魔物は魔力が濃いものを襲う。つまり人間を」

「魔力が多い人ほど狙われるってことか」

「そう。この辺りで一番魔力が多いのは私! 襲われるなら私なの! どやぁ!」


 そこはドヤ顔をするところだろうか?

 自慢できるところではあるが、その分魔物に襲われるんだぞ。

 そう思ったところで俺は思い出した。彼女、ザトスは数百メートル級の魔物を楽々倒す実力の持ち主ということを。

 震度1程度で発生した魔物ならば彼女の敵ではない。むしろ、危険なのはザトスの近くにいる俺たちだ。戦闘に巻き込まれる可能性が高い。


「だいじょーぶ! 魔物が襲ってきても私が倒す! バナナボートに乗ったつもりでいて!」

「……ユナ、どう思う?」

「泥船よりはマシなんじゃない?」


 確かにそうだが……不安しかない!



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