第15話 魔物襲来
スーパーをグルッと一回りした。
買い物も終盤に差し掛かり、そろそろお会計の時間かな。
「ごっはんー、ごっはんー、ユイナのごっはんー!」
気が早いザトスはユナの作った料理を想像し、超ご機嫌で歌を歌っている。
ほのぼのと癒される笑顔だ。ただ、垂れそうな涎はどうにかして欲しい。
君、乙女でしょ。気を付けなさい。
「ユナはご飯も上手いけど、お菓子作りも上手なんだぞ!」
「どーしてお兄が得意げなの?」
ふはははは。シスコンだからだ! シスコンの兄は妹が褒められたら自分のこと以上に喜び、妹の可愛いくて凄いところは得意げに自慢する生き物であ~る!
どうだザトズ! 我が妹は凄かろう!
「なん……だと!? お菓子、だと!?」
愕然としたザトスさん。ユナの美味しい料理に惑わされてお菓子という概念を忘れていたな?
ふっふっふ。妹のユナ様はお菓子も作れるのだよ。
「作って!」
「えぇ……面倒臭いなぁ。バレンタインデーまで待てない?」
「待てない!」
ユナはザトスのキラキラおねだりビームをペシッとあっさり弾き返し、どうにかしてよ、と無言で訴えてくる。
そう言われてもなぁ。俺だってユナ特製のお菓子が食べたい。なので、ザトスの味方だ。
俺もおねだりビームを撃ってみたら、深いため息によって遮断された。
このまま押し切れば妹の性格上作ってくれるはず!
そう思ったその時、またどこからか警報音が聞こえてきた。
「お姉のスマホじゃない?」
「本当だ。俺たちじゃないな。ザトス、鳴ってるぞ」
「そんなのはどうでもいい! ユイナのお菓子。今はこれだけが重要! 食べたい」
「お姉がスマホを確認したらお菓子作りを考える」
「今すぐ確認します!」
シュパッと目にも止まらぬ速さでスマホを取り出した彼女は、送られてきたメッセージを確認して灰色の目を鋭く尖らせた。
残念美少女とは思えぬ変貌ぶりだ。雰囲気が冷たい。
「ごめん。行かなきゃ。さっきの空震で魔物が発生した」
彼女の言葉が言い終わる前に、俺たちのスマホからもけたたましい警報音が鳴りだした。
『魔物襲来警報』である。近くに魔物が発生したため、付近にいる住民は建物内に避難しなければならない。
スーパーの店内が騒然として緊張感が高まる。
「探索者に怪我人が出たらしい。二人はここで待ってて。私が退治してくるから」
歴戦の探索者の空気を纏ったザトスが悠然と歩いてスーパーの出入り口に向かう。
彼女なら大丈夫だとは思うが、やはり心配だ。
そんな彼女の背中に俺は声を投げかけた。
「ザトス! 気を付けろよ!」
「んっ!」
振り返らずに片手だけをあげるとは……なかなか格好いいじゃないか。惚れ惚れする。
ユナも声を張り上げた。
「お姉! プリンを作ってあげるから頑張ってね!」
その瞬間、バッとザトスは振り返った。
「プリン!? 早急に殲滅してくる!」
純白の閃光と化したザトスは瞬時に消え去った。
ユナの料理……ザトスに効き過ぎじゃなかろうか。やる気スイッチか。
まさかここまでやる気になるとはユナも思っていなかったらしい。ザトスが消え去った場所を呆然と見続けている。
「お兄……」
「なんだ?」
「お兄は私が作ったプリンでどこまで頑張れる?」
「24時間不眠不休でバリバリ動けるぞ」
「私がキスしたら?」
「何でも言うことを聞く!」
「ふーん。そうなんだ」
ユナの表情からは何も読み取ることが出来ない。
妹は一体何を考えているのだろう。キスしたらなんて……。よくそんな発想が出たな。
まあ、どんなことをされてもお兄ちゃんは嬉しい!
例え冷たくじっとりと濡れたジト目を向けられていてもだ。今のように!
「キモい……」
「おいおい。俺がユナにキスしたらどう思う?」
うーん、と悩んだユナは、それはそれは美しい笑顔を浮かべる。
「少なくとも、お兄は一生消えない記憶を植え付けられることになる!」
「
「してくれてもいいんだよ? 一生消えない記憶が代償だけど!」
誘うように艶やかな唇を撫でるその仕草は、大人っぽくて色気があって蠱惑的でエロティックだった。
大人の女性へと足を踏み入れたユナの色香は男をダメにする。
ただでさえ美少女なのに、これに大人の妖艶さが加わったら男ホイホイじゃないか! そんなことはさせんぞ! ユナはどこにも嫁にやらん!
「んっ? 今揺れた?」
「揺れたな」
一瞬、地面や建物が小刻みに揺れた。震度1にも満たないくらいの揺れだ。
あ、今また揺れた。近くにあったペットボトルの中身が小さな波紋を作り出している。
「空間震動じゃ……ないか。警報が鳴ってないから」
「じゃあ地震?」
「地震にしては揺れ方が変じゃないか? また揺れた。地震というよりも近くで道路工事しているというか、何かが暴れているというか……」
俺たちは同時に答えが思い浮かんだ。青ざめた表情で顔を見合わせる。
「魔物との」
「戦闘だな」
「お兄!」
「建物の奥に逃げるぞ!」
この場所で戦闘の揺れが感じるということは、魔物が近くまで迫っているということだ。スーパーの外に出るのは危険。ならばできるだけ安全な場所に避難しなくては。
店の奥には店内にいた客と店員が集まっているようだった。
ホッと安堵したのもつかの間、背後でガラスが割れる音がする。そして、絶望の底へと叩き落とす獣の咆哮が轟く。
『ヂュァァァァアアアアアアアアッ!』
上げかけた悲鳴を飲み込む。
振り返った先に居たのは、毛を逆立てて威嚇する巨大な鼠だった。大きさは猪ほど。涎を垂れ流す口に生えた牙をガチガチと鳴らし、血走った目が俺たちを捉えている。明確な殺意と底無しの食欲を宿らせて――
「ここに魔物が来る……なん……て……あ……あぁ……あ゛ぁっ……!」
飛び交う悲鳴の中、俺の脳裏に燃える血の記憶が蘇る。
瓦礫の山。燃え盛る建物。立ち上る煙。赤い空。
地面が揺れている。立っていられないほどの大きな揺れだ。巨大な何かが街を駆けまわっている。人間という名の餌を求めている。
「あ゛ぁ……あ゛ぁぁああああああああああっ!」
「お兄!? しっかりして! 顔が真っ青だよ!」
まるで深海にいるようだ。少女の声はぼんやりと聞き取れない。遠い過去から響く獣の咆哮によってかき消されて届かない。
魔物の声だけが直接俺の魂を揺さぶる。
『ヂヂヂヂュッ! ヂュォォオオオオオオオ!』
怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い。
魂に刻み付けられた恐怖が俺の身体を支配する。
この後の光景はわかっている。魔物は
そう。あの時のように。
「はぁ……はぁ……はぁ……はぁ……はぁ……!」
息が荒い。肺が上手く機能しない。過呼吸だ。
全身が冷える。手足がしびれて動かない。視界が狭まる。
「はぁ……はぁ……はぁ……はぁ……はぁ……あ゛ぁっ!」
「お……ぃ! に……て! にげ……よ! おに……!」
あぁ……死の女神が俺を揺さぶっている。俺は死ぬのか……。
鼠の魔物が地面を強く蹴りつけて飛び上がった。
全てがスローモーションになる。
着地先は当然俺たちの真上。のしかかり、前足で押さえつけ、鋭い牙で肉を齧り取るのだろう。あんな牙ならあっさりと手足が切断されてしまいそうだ。
魔物が口を歪ませた。ニヤリと笑った気がする。血走った目に歓喜が浮かぶ。
俺は何もできない。ただ立ち尽くして死を待つばかり。
灰色の死が降ってくる――その直前、俺は横殴りの衝撃を受けて地面に強く身体を打ち付けた。
「いい加減にしろー! 起きろお兄!」
怒鳴り声と共に、パシィィンッ、といい音が鳴り響いて、俺の頬に焼けるような痛みを感じた。
「お願いだから正気に戻って――
その懇願をきっかけに、俺の目に現実が、耳に現在の音が、全身に痛みが戻ってくる。
目の前には、泣きながら怒る妹ユナがいた。
床に倒れたのも彼女が俺にタックルしたからだろう。
「悪い。心配かけた」
頭を振って恐怖を振り払う。完全に払しょくすることはできなかったが、もう過去に囚われてはいない。少なくとも今は。
魔物は、俺たちの横を通り過ぎて、勢い余って商品棚に激突したらしい。大量の商品と棚の下敷きになってもがいている。
「うん、心配した! お兄! 逃げるよ!」
「ああ。わかってる……え? あれっ? 足が……」
立ち上がろうとはしている。自分では力を入れているつもりだ。
なのに、足が言うことを聞かない。全く動かないのだ。
生まれたての子鹿のほうがまだ動けている。
「動け! 動けよ俺の足! 動け動け動けぇえええ!」
力いっぱい叩いて足を刺激する。
こんなところで腰を抜かしている場合じゃないんだ! 魔物から逃げるんだろ! 言うことを聞きやがれ!
しかし、いくら叩いても痛いだけ。足に力は入らない。
「動けって言ってんだろ! 動けよ! 動けったら!」
『ヂュォォオオオオオオオッ!』
ちっ! 魔物がそろそろ抜け出しそうだ。あとは引っかかっている頭を抜くだけ。
後十数秒で魔物は近くにいる俺たちに襲い掛かるだろう。
俺は動けない。ならば!
「ユナ! 逃げろ! 俺を置いて逃げろ! 早く!」
「嫌! お兄を置いて行けないよ! 一緒だもん! ずっと一緒に居るもん!」
「我儘を言っている場合か!?」
「お兄の馬鹿! 朴念仁! 唐変木! ニブチン! 童貞野郎!」
「ど、どどどど童貞は今は関係ないだろ!」
思えば朴念仁も唐変木もニブチンも今は全く関係ない言葉だ。
ていうか、ど、どどどどど童貞ちゃうわ! け、経験済みだしー!
今は言い争いをしている時間はない。魔物が迫っているんだ。何とかしてユナを逃がさないと。
しかし、彼女は抱きついて離れようとしない。
「結那!」
怒鳴っても、逆にユナは決意を固くしただけのようだった。
潤んだ綺麗な瞳に決然とした光を宿し、囁くように唇が言葉を紡いだ。
「お兄が悪いんだからね」
俺の胸ぐらを勢いよく掴んだユナは、次の瞬間には唇を重ねてきた。
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