第13話 戦闘態勢


 朝の朝食時、ご飯を食べていたユナがふと顔を上げた。


「あ、お兄。今日の放課後時間ある?」

「あるぞー。なんか用事かー?」

「うん。今日、午後から先生たちの集会? 会議? があるみたいじゃん。午前中授業だからスーパーに寄って帰ろうかな、と」

「俺は荷物持ちってわけね。りょーかい。任せてくれ」

「頼んだー」


 これくらいしか役に立てないからな。それに、ユナからのお願いは全てのことにおいて最優先される。

 その時、普段は食事に夢中で一心不乱に食べ続けるザトスが会話に割り込んできた。


「お買い物……ついて行ったら食べたいもののリクエストできる?」

「いつもユナは俺の食べたいものを訊いてくるぞ」

「私はお兄のために料理を作っているからね。食べて欲しい人の要望をできるだけ叶えるのが料理人! まあ、凝ったものは作らないけどね。面倒だから」


 俺のために……ユナは女神だ。慈愛の女神がここにいるぞ!

 取り敢えず拝んどこ。ありがたやぁ~ありがたやぁ~。

 話を聞いていたザトスは、ガタンと椅子から立ち上がった。愕然とした表情をしている。


「……私も行く」

「え? 買い物にか?」

「そう! 絶対行く! そして、ユナにリクエストする!」

「お兄優先だけどね。お姉は二番目に優先します」

「それでもいい! お金も出す! だから、ついて行く!」


 灰色の瞳をキラッキラさせている。子犬を連想させて思わずナデナデしてたくなる。

 俺は断るつもりはない。断る理由もないし。判断はユナに任せる。


「お兄と二人きりじゃないけど……まあいいか。今日は三人でお買い物しよー」

「やった! あれも食べたい! あれでもいい! 悩む!」

「お姉、今は目の前の食事に集中して。じゃないと、お兄と私で食べ尽くすよ?」

「それはダメ! これは私の分!」


 ふしゃー、と威嚇して自分の分の朝食を守り出すザトス。

 そんなに威嚇しなくても盗らないから。安心して食べてください。




 ▼▼▼



 放課後。午前中授業だったので、生徒たちの顔色は明るい。

 期末テストも終わっている。午後からは自由の時間。教室のあちこちで遊ぶ約束が飛び交っている。学校全体が浮ついた雰囲気だ。

 俺もその中の一人。


「なんか嬉しそうね、空島君」

「ああ、炬燵こたつさんか」

「返却され始めたテストの結果が良かったのかしら?」


 薄く笑みを浮かべた大人っぽい美少女が俺の机に軽く腰掛けて腕を組んだ。実に絵になるポーズだ。とても似合っている。

 炬燵さんは今日もクールビューティ。


「それもある。今までに取ったことが無い点数で毎回夢を見ているみたいだよ」

「ふーん? なら、もしかしたら私よりも順位が上かもしれないわね」

「それだと嬉しいなぁ」

「ふぇっ!? そ、それって、空島君は私に命令したいということ!? ど、どんな命令なのかしら」


 命令って……そう言えばそんな賭けもしていたなぁ。すっかり忘れていた。

 賭け事なんてそもそもしないし、テスト結果が予想以上に良かったため、他のことを考える余裕がなかったのだ。

 実は密かに先生に確認してしまったほど。自分でも信じられない点数だったから。

 点数は間違いなどではなく、高得点を取ったことに先生も驚いていた。褒めてくれてこっそりとお菓子もくれた。いい先生たちだ。


「ただ単純に欲が出てね。炬燵さんに勝ちたいなって」

「そうなの。ふふっ。私に勝てると良いわね」

「うわぁー自信満々だ。炬燵さんは格好いいなぁ。くっ! テスト前に賭けを持ち出されていたら……」

「今回負けても大丈夫よ。勝負は何回も出来るのだから」


 それって、二学期のテストでも勝負をするということだろうか。

 なら俺にも勝機はある。次のテストではこの自信満々な美少女を打ち負かしたい。


「それで、その……空島君」


 黒いストッキングで覆われた太ももをモジモジと擦り合わせ始める炬燵さん。魅惑の美脚に思わず視線が吸い寄せられる。エロい。


「今日はもう放課後よね。もし時間が――」



「失礼しまーす! 飛兎先輩はいらっしゃいますかー!」



 炬燵さんの声を遮るように、教室中に明るい声が響き渡った。とても聞き覚えのある声だ。俺が間違えるはずのない声。

 一瞬静まり返った教室は、突如、動揺に似た騒めきが爆発的に広がった。


『おいあれ。一年の』

『一年の中で最も可愛いと評判の後輩ではないか!?』

『『踏まれたい女子ランキング』の2位。冷たい目をして踏んでください!』

『くっ! 心の傷が……フラれた時のことを思い出す……ぐはっ!』

『結那ちゃんだっけ? なんで私たちの教室に?』


 興味の眼差しを全く気にせず、ユナは俺を見つけて顔をほころばせる。


「あ、いたいたー! 探しましたよ、せ~んぱい!」


 駆け寄ってきたユナが俺の腕に抱きつく。

 後輩キャラを演じている妹……ありだ。とても良い。新鮮で可愛い! 録画して永久保存したい!


『飛兎先輩って、空島君のことっ!? 付き合ってるの!? きゃー!』

『空島……なんだと!? 炬燵さんと仲睦まじく喋っているではないか! 貴様いつの間に!?』

『あらあら。三角関係? 修羅場? ドロドロの昼ドラが始まるのねぇ~! 時間的にもちょうど頃合いよ~!』

『『踏まれたい女子ランキング』の1位と2位の夢の競演!? 二人で僕を踏んでください!』

『空島ぁ~! 羨ま死ね!』

『空島ぁ~! 地獄へ落ちろ!』

『空島ぁ~! もげろ! 爆ぜろ! 去勢しろー!』

『空島ぁ~! 師匠って呼んでもいいっすか!? ぜひ俺っちに美少女にモテるコツを教えてください!』


 言いたい放題だな。特に男子! 嫉妬と殺意を隠そうともしない。女子たちは修羅場を期待して目を輝かせているし。

 ウチのクラスは変人しかいないのだろうか。

 腕に抱きついているユナは、炬燵さんを警戒している?


「あら。空島君の妹さんじゃない。初めまして。私はお兄さんのクラスメイトの炬燵緋炉こたつひいろよ」

「あ、なんだ。知ってたんだ。初めまして、先輩。お兄の妹の空島結那です。お兄がいつもお世話になってます」


 妹!? 兄!? とクラスメイトの驚愕の声が上がった。

 俺たちが兄妹だってことを知らなかった人が多かったようだ。積極的に言いふらすことでもなかったし、顔も似てないからそんなもんか。

 クラスメイトの興味が一気になくなっていく。三角関係の修羅場を期待していたからだろう。片方が妹だったら修羅場は起きない。

 一部の男子は『妹さんを紹介してください! 俺たち親友だろ?』と声をかけてくるが。よし、顔は覚えた。今度オハナシしよう。あと、踏んで欲しいと言った奴も!


「可愛らしい妹さんね。なんだか子猫みたい」

「そういう先輩は狐みたいですよね! モフモフ尻尾が良く似合いそうです!」


 二人ともニコニコ笑顔。なのに一瞬バチッと火花が散ったのは俺の見間違いだろうか。


「今日はどうしたのかしら? わざわざお兄さんの教室まで来るなんて」

「この後、一緒に帰る予定だったんです。途中でお買い物もして。ただ、待ち合わせを決めていなかったので、お兄が動き回るよりも先に捕まえに来たというわけです」

「俺は勝手に逃げ出す小動物か」

「確かにそんな顔をしているわね」

「炬燵さん!? そんな顔ってどんな顔!?」


 冗談にもほどがあるぞ! 繊細な心が傷ついた。

 ふふっ、と悪戯っぽく微笑んだ炬燵さんは、焦らすように艶めかしい美脚を組み替えた。その仕草の美しいこと。

 男心がくすぐられる。傷ついた心が一瞬で癒されてしまった。


「お兄。そろそろ行くよ。これ以上待たせたらこの学校がどうなるかわからないから」

「ユナ、どういう意味だ……?」

「ついてくればわかる! 先輩、すみませんがお兄を返してもらいますね」

「ええ。今日のところはお返しするわ。空島君またね。妹さんも」

「失礼しまーす!」

「炬燵さん、また明日! って、ユナ、引っ張るな。こける!」


 俺は手を振る炬燵さんに見送られ、ユナに引きずられながら教室を出た。

 行き交う生徒たちの視線を集めている。美少女で有名な一年生に引っ張られている普通の男子学生。一体どんな関係だ、と訝しんでいるのが丸わかりだ。

 靴を履き替え、ユナと並んで歩く。

 同じ高校になってから初めてだ。

 お互いに何となく恥ずかしくて学校では他人のふりをしていることが多かったから。


「で、どういうことなんだ?」

「あれを見れば説明しなくてもわかると思うよ、お兄」

「あれ? ……なるほど」


 ユナが指差した先は高校の正門だった。

 下校時間で賑わうはずの正門は、空気が軋むような緊張感に包まれていた。

 黒いフードを着た人物が正門のど真ん中に陣取っている。美しい唇は勇ましく引き結ばれ、灰色の瞳は眼光が鋭い。フードから純白の髪がサラリと零れた。そして、彼女の全身から放たれる凄絶な威圧感。小柄な体が異様に大きく感じる。まるで歴戦の猛者。

 生徒たちは顔を青くして、門の端っこを息を殺しながら出ていく。美少女なのに誰も近づこうとしない。否、近づけないのだ。

 腰を抜かしている人もいる。


「ユイナ、トビト。遅かったね」

「よっすー、お姉」

「ザトス……なんで戦闘態勢を整えてるんだ?」


 服もいつもの『愛人』Tシャツではなく、黒いゴシックな戦闘服だ。今から魔物と戦います、と言わんばかりの服装。放つ剣呑な雰囲気も。


「だってスーパーでお買い物をするんでしょ?」

「だからなんで?」

「私にとってスーパーは拡張世界以上の戦場。準備を整えるのは当たり前。ご飯!」

「ご飯、じゃねぇーよ! お客さんが怯えるわ! 営業妨害で訴えられるぞ!」

「ふっ。覚悟が足りない。気を抜いたら死ぬ。それが戦場スーパー


 普通のスーパーは気を抜いても死なないっての。むしろ気を抜いて気楽に買い物をすることができるのがスーパーだ。

 ザトスはどこかの軍事施設と間違えていないか?

 このままの状態で街を歩かせるわけにはいかない。街が屍累々で地獄絵図になる。車のドライバーにまで影響したら大惨事だ。

 どうしようかと悩んでいると、ここは任せて、とユナが可愛くウィンクした。


「お姉、そんなに肩肘を張ってたら疲れない? リラックスして食べるご飯が一番美味しいと私は思うんだけど」

「……私もそう思う」

「なら、買い物中にリラックスしてたら――」

「―― 一番美味しいものが思い浮かぶ。なるほど! ユイナ、いいことを言う!」


 冷え冷えとしていた空気が一変する。

 ポフン、とザトスが可愛らしい音を立てて姿が小さくなることを想像してしまった。それくらい別人に豹変する。

 いつものダラダラモードのポワポワザトス。残念美少女へと早変わり。


「お兄! お姉! お買い物に行くぞー!」

「おー!」


 音頭を取ったユナが俺の右腕に。可愛らしく拳を天へと突きあげたザトスが俺の左腕に。両腕を掴まれた俺は、少女二人によってスーパーへ連行され始めた。


「お、おぅ……」


 両手に花状態。左右に美少女を侍らせるのはとても気分が良かったのだが、それ以上に道行く人の視線が物凄く冷たくて痛かった。


















<おまけ>


空島兄妹がいなくなった後の教室に佇む炬燵緋炉の内心。


(空島君を誘えなかったぁー! 今日は勇気を出そうと思ってたのに……仕方がないわよね。妹さんとお買い物なんだもの。というか、妹さん! とても可愛かったわ! 近くで見るとさらに! でもでも、私、言葉を間違えたかも。可愛らしい子猫だと私は思ったのだけど、その時の妹さんの顔ったら……もしかして、猫派じゃなくて犬派だった!? やっちゃった私!? 妹さん、猫が嫌いなの!? 犬が好きなの!? くっ! リサーチ不足が仇になったわ。それとも、私の顔が怖かった? 私の顔ってつり目で厳ついからまさに狐顔……怖がらせてこ゛め゛ん゛な゛さ゛い゛ぃ~! 緊張で顔が強張ってただけな゛の゛ぉ~! 突然の登場で訳が分からなくてぇ~! 頭が真っ白だったのぉ~! こんなの想定してないってばぁ~! あ゛ぁぁぁああああああ! 妹さんと仲良くなりたかっただけなのにぃ~!)

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