第11話 医療筐体


 ゆっさゆっさ!


「ト……おき……ト……トビ……起き……」

「んぁ~? なんだぁ~?」


 身体が揺さぶられて俺は深い眠りから目覚めた。囁き声で誰かが呼んでいる。


「トビト、起き……起きてトビト」

「うんにゃ? ザトス、か?」

「そう。私」


 暗闇と寝ぼけた眼によってぼんやりと浮かび上がる白い霞。ザトスの白い肌と美しい白髪である。

 俺の身体の上に馬乗りになって、顔を覗き込んでいた。

 声が聞こえていなかったら幽霊かと見間違えそうな光景である。一瞬ドキッとしてしまったのは俺だけの秘密。

 拡張アプリの『自己診断』が日付が変わって少し経った時間だと教えてくれる。

 こんな夜中に一体何の用だ? もしかして、一人でトイレに行けないのか?


「むう。何やら失礼なことを考えている気がする」

「なんのことだぁー」


 鼻を摘まむのはやめてください。息ができないから。

 おトイレじゃないということは……はっ!? 夜這いか!? 我慢できなくなってザトスから襲ってきたのか!?

 まあ、そんなことはあり得ないか。ないない。ラノベやマンガじゃあるまいし。


「トビト……私、もう我慢できない……襲っちゃダメ?」

「ふぁっ!?」


 もしかして……もしかしてなのかぁー!?


「私……どうしても魔物を襲いたいの! だから拡張世界に連れて行って!」


 はっはっは。ですよねー。どーせそんなことだろうと思ってましたよ。

 分かってはいるけど期待してしまうのが男子高校生なのである。


「こんな夜中にか?」

「そう! 今すぐ! ユイナにバレないようにと思ったら寝静まった時しか思いつかなかった」


 チラリと横を見ると、スースーと規則正しい寝息を立てるユナが寝ていた。寝顔は少し幼く感じる。寝姿も可愛いとか女神かよ!

 おっと。いつまでもユナを愛でているわけにはいかない。

 ザトスは珍しくやる気だ。ユナの料理を前にしている時くらいの意欲を感じる。

 服もパジャマや『愛人』Tシャツではなく、修道女シスター服や聖職者の服、魔法使いの服を混ぜた格好いいゴシック調の黒い戦闘服を着ていた。


「トビト、一緒に行こっ!」


 ふんす、と鼻息荒い。ゆっさゆっさと身体を揺さぶってくる。

 やる気だけでは俺は動かないと察した彼女は戦略を変更。甘い声で囁いて子供のように可愛らしくおねだり。


「ね? 一緒に行こう……? 一緒に行こうよぉ。行くったら行くの! 行く行く行くぅ~!」

「わかったわかった! だから動きを止めて黙ろうか!」


 敏感なそこを刺激されるといろいろと不味い。それに、言葉のチョイスが悪い。わざとやってんのかと問い詰めたくなる。

 夜、美少女、馬乗り、動き、セリフ――それらの組み合わせは最悪だ。いや、ある意味最高だけれども。


「やった!」


 うぐっ! 喜びの上下運動は止めてくれぇ~!

 理性を総動員させて落ち着きを取り戻した生殺し状態の俺は、急かすザトスを宥めつつ、拡張世界へ行く準備を整える。

 水と軽食くらいでいいか。そんなに長く滞在しないだろうし。


「ザトス行くぞぉ……ふぁ~あ!」


 大欠伸をしながら拡張アプリ『銀の鍵ザ・シルバーキー』を発動。目の前の空間が砕け散って、拡張世界へと無事に繋がる。


「じゃ! 私はダイエ……身体を動かして魔物を殲滅してくる!」


 やっぱりダイエットか。体重気にしてたもんね。

 白い閃光と化したザトスは、一瞬にして部屋から退出する。向かった先は研究所の出入り口だろう。

 俺はインストールされた知識を用いてパネルを操作し、レーダーの画面を表示させる。丁度ザトスらしい光点がものすごい勢いで飛び去るところだった。


「管理AIさん。探知範囲をもっと広げることは可能かい?」

『肯定。最大半径100キロまで索敵可能です。しかし、魔物に察知される可能性も高くなります。当施設の防御レベルを引き上げることを推奨します』

「そっか。逆探知されるのか。防御レベルを1段階……いや、2段階上昇させたらどうなる?」

『半径10キロ圏内に存在する魔物が一斉に襲ってきたとしても防衛可能です』

「なるほど。じゃあ、この前みたいに研究所の位相をずらしたら魔物の攻撃は喰らうかい?」


 思い出すのはザトスが降ってきた時のことだ。建物の壁をすり抜けて彼女は落ちてきた。ならば物理攻撃は一切通らないのではないかと俺は推測したのだ。

 管理AIさんは無機質な声で淡々と教えてくれる。


『否定。空間に作用する攻撃以外は一切無効化します。半径100キロ圏内の魔物が全て襲ってきたとしても当施設には影響はありません』

「よし。なら防衛レベルを2段階上昇。探知範囲を半径10キロまで拡大。それで様子を見よう。危なかったら位相をずらすってことで」


 最悪、ザトスが帰って来てくれるまで防衛していればいいのだ。


『命令受諾。実行します』


 レーダーの探知範囲が広がり、魔物とおぼしき光点がいくつか表示された。

 数は20程だろうか。群れの存在も確認された。

 意外と近くに魔物が存在している。

 その光点に猛スピードで一直線に突き進んでいく一つの光。ザトスだ。

 瞬く間に二つの光が接触し、数秒遅れて僅かな震動が検知された。数キロ離れているのにここまで地面が微かに揺れる。

 どうやらザトスが派手に暴れているようだ。ダイエット、頑張れ!

 1分ほどで光点の一つが消滅する。残った光は別の光へと一直線に突き進む。今度は2分ほどで魔物の光が消失した。


「で、俺は何しよう?」


 光点が減っていくレーダー画面を一人で眺め続けるのも飽きる。

 つーか、眠い! 今は現実世界では真夜中。起こされなかったら夢の世界を楽しんでいる時間帯だ。


『提案。所有者オーナーソラジマ・トビト様にメディカル・プログラムの実行を要請します。前回のプログラム実行から240時間以上が経過しています』

「あぁー。そう言えば全然使ってなかったな。『自己診断』で何も不調が表示されなかったから。というか、専門的過ぎて俺にはほとんどわからないだけなんだが……」


 インスリンとかアドレナリンという言葉は知っているけれど、その効果は全く理解できません。最近はドーパミンの分泌が多い傾向にある。不調というわけではなさそうだ。

 いろいろと細かい表示され、現在は総合的な結果『睡眠不足』と表示されている。あと『生殖器の疲労』とも。

 一体何故そんなところが疲労しているのだろう? 不思議ダナー。


「もしかしたら睡眠不足が解消されるかも……普通に筐体の中で寝ればいいか」


 管理AIさんの提案に従い、俺は大欠伸をしながら医療筐体メディカルポットが置かれている部屋に移動した。

 相変わらず誰かがコールドスリープしてそうなSFチックなカプセル筐体だ。


「えーっと、医療筐体メディカルポットの使い方は……『取扱説明』の知識の中に存在してるな。おぉっ! ホログラムの操作画面が出てきた。ファンタジーだなぁ」


 現代の科学技術でもホログラムの操作画面は再現されていない。まだファンタジー世界の産物だった。それが目の前にある。感動ものだ。

 古代超文明の技術力は流石です。おかげで眠気が吹っ飛んだ。


「なるほどなるほど。治療には体内の栄養素を使用するのか。もし腕を丸ごと再生したいのなら大量のカルシウムやたんぱく質などが必要とされるため、一度ではなく数回に分けることが推奨されている、と。一度に直したらげっそりと痩せて骨粗鬆症になりそうだ」


 部位欠損も治療できるとかすげぇ。数百億円するのもわかるわぁ。

 これならばザトスが言うように撃ち抜かれても安心……できない! 無理無理無理! 撃ち抜かれて再生、撃ち抜かれて再生、という無限ループの拷問ができるということじゃないか。想像しただけでも恐ろしい。股がヒヤッとする。


「部位欠損が治るのなら身長も伸ばせたりして。あはは。そんなわけ……できるのっ!?」


 知識通りに操作すると『整形』という欄があった。

 整形……まさににその通り。身体を自分の思い通りに整えることができるらしい。しかも、副作用はほぼ無し。お金もかからない。変化に必要な栄養素が消費されるだけ。


「うわぁ……顔のパーツも弄れる。な、なにぃっ!? お、男の象徴も!? 長さ、太さ、持続力に感度、回数増加……。お、俺には必要ないけれど、何ができるか把握しておくことは大事だよな、所有者として!」


 俺には必要ない。けれど、所有者として体験しておくのも悪くないと思うのだがどうだろうかっ!?


「女性は胸の大きさや形も弄れるみたいだ。美肌とか美容機能もある。これは男性もできるのか。完全な性転換も可能だと!?」


 古代超文明を生きた古代人たちは、こうして自分の身体を自由に弄って理想の姿を保っていたのかもしれない。


「これを世に出したら儲かりそうだ……いや、儲かるから数百億円なのか」


 一台数百億円というのは、それ以上の利益を生み出すことができる値段でもあるということ。

 これに加え、オリジナルの拡張アプリケーションをインストールすることもできる。

 もし壊れてしまったらどうしよう。直し方の知識は……ある。なら大丈夫かな。知識によると医療筐体メディカルポッドは核攻撃にも耐える設計みたいだからそう簡単に壊れることはないと思う。


「さて、治療ついでにいろいろ体験してみようかな。俺の身長は173センチ……172.9だって? 『自己診断』先生、夜だと身長は縮んているんだよ。取り敢えず、身長を1ミリ……ちょっと欲を出して2ミリ伸ばしてみようかな」


 ポチポチっと。急に伸ばしすぎても悪影響が出そうだ。栄養素も足りないだろうし。数ミリ単位なら影響はないはず。

 実は、身長は去年からほぼ変わっていないのだ。このままだと来年もほぼ変わらないのは確定。

 しかし俺はまだ高校生。ちょっとズルしたとしても成長期と言い訳ができる。

 使えるものはなんだって使う! 最終的には175センチを目指したいと思う!


「こんなもんかな。後は筐体の中で寝て起動させればいいはず。んっ? 別人のデータ? 身長158センチ。体重49.9キロ。B89・W59・H80。Fカップ。処女」


 これはひょっとしなくてもザトスさんのデータか?

 Fカップ……やはり巨乳でいらっしゃいましたか。魔力制御の訓練のたびに背中に押し当てられる二つの膨らみ。結構なものをお持ちだとずっと思っておりましたとも!

 それに男性経験もなし。ふーん。そうですかそうですか。そうなのですか!


「肉体年齢16歳。実年齢……不明? どゆこと? 乙女の秘密ってやつか?」


 まあいいや。こんなところでザトスの年齢を知ってしまったら拷問の刑に処されてしまう。いや、もう既に処されてもおかしくない情報を手に入れてしまったか。


「絶対に口に出せないな。見なかったふりをしよう」


『完全記憶』のおかげで忘れることが出来ない俺は、筐体の中に横たわって目を閉じる。

 無意識に思い浮かべてしまうのは、ザトスの裸体と胸の感触。

 早くプログラムを実行してくれぇー!



【メディカル・プログラムの起動のため、所有者オーナーソラジマ・トビト様を睡眠スリープモードへと移行します】



 そうアナウンスが聞こえたかと思うと、筐体の中を液体が満たす感覚がして、俺の意識は暗闇へと落ちて行った。




所有者オーナーソラジマ・トビト様の睡眠を確認】



【メディカルプログラムを起動。身体の不調を取り除くと同時に、入力された数値に合わせて身体を整えます】



【実行中……】

【実行中……】

【実行中……】

【実行中……】

【実行中……】

【実行中……】

【実行中……】

【実行中……】

【実行中……】

【実行中……】

【実行中……】

【実行中……】

【実行中……】

【実行中……】

【実行中……】

【実行中……】

【実行中……】

【実行中……】

【実行中……】

【実行中……】

【実行中……】

【実行中……】

【実行中……】

【実行中……】

【実行中……】

【実行中……】

【実行中……】




【完了しました。後遺症はありません。以上でメディカルプログラムを終了します】



【全ての作業の終了を確認。所有者オーナーソラジマ・トビト様、覚醒してください】






 夢から醒めるような意識が浮上する感覚があり、俺は目覚めた。筐体を満たしていた水色の不思議液体が抜け、自動で開いたので外に出る。


「んんー! スッキリ爽快! こんなにスッキリ起きれたのは人生初めてなんじゃないか? 眠っていたのはちょうど1時間。睡眠不足は解消されてるな」


 医療筐体メディカルポットのログを確認すると、上手く動作して望み通りの身体になったことが判明した。

 慌てて『自己診断』アプリでも確認。


「うわっ……マジで身長が2ミリ伸びてる。アソコも……ゲフンゲフン! ふむふむ。次回は最低3日ほど間隔を空けたほうがいいのか。栄養素を使ったからなぁ。ユナのご飯をしっかり食べよっと」


 そこで俺は気付く。身長を伸ばせるのなら、体重を減らすこともできるのではないかと。

 うまい具合に脂肪だけ減らす方法が――


「あったよ。体重を増やすことはできないけど減らすことはできる。ダイエットも簡単にできるぞコレ。ザトス、運動しなくてもこれに入るだけで痩せれたぞ……」


 医療筐体メディカルポットが万能すぎる。

 ザトスは今、どこで何をしているのだろうか?

 この部屋にも電子画面があったので、それをポチポチと操作してレーダー画面を映し出す。

 半径10キロ圏内に光点はない。魔物は全てザトスが殲滅したようだ。彼女はレーダーの範囲外にまで出てダイエット中。

 すると、ちょうどいいタイミングで探知範囲に生物が侵入した。真っ直ぐココに向かっている。


「これ、ザトスじゃね?」


 ポチポチ操作して詳しく調べる。

 一度医療筐体メディカルポットを使用した履歴から彼女の魔力波形を抽出。ザトスと思われる光点の存在と比較。完全に一致した。


「ザトスだけ光点の色を変えられないか? あ、できる。ザトスを研究所の関係者として登録。お、青色になった。名称も出てくる。これはわかりやすい」


 ザトスはあと少しで到着する。せっかくなら出迎えよう。

 部屋を出てテクテクと廊下を歩く。メディカル・プログラムを受けたばかりなので身体が軽い。スキップしてしまいそうだ。


「正面玄関に到着! 来たのは初めてか? 今度施設全体の探索をするべきだな」


 中央制御室、筐体が置かれた部屋、訓練に使用している一番近い倉庫、後はトイレくらいしか今まで使用したことが無い。

 一人で探索するのは不安だ。というか危なそう。何が眠っているのかわからない。ここは最強のザトスさんに付き添いをお願いするか。


「俺、拡張世界に何度も来ているけど、そもそも外に出たこともなかったな。ずっと引きこもってた。この際だから一歩外に出てみよう!」


 玄関の扉に手をかけた瞬間、スピーカーから警報音が鳴り響いた。


『警告! 警告! 所有者オーナーソラジマ・トビト様。当施設の外は危険です。扉を開けないことを推奨します』


 管理AIさんの切羽詰まった声。こんな声は初めて聞いた。


「外には魔物がうじゃうじゃいるからってこと? そりゃ一般人の俺が外に出たら危ないけどさ、ザトスが殲滅してくれたから大丈夫でしょ」


『警告! 警告! 所有者オーナーソラジマ・トビト様。当施設の外は非常に危険です。扉を開けないでください! 外での生存確率は1%以下です』


「そろそろ彼女も戻ってくるだろうし……」


 警告を無視して、俺は本物の拡張世界へと通じる扉を開けてしまった。


「外だぁー…………えっ?」


 一歩外に出て深呼吸して、俺は気付いたら前のめりに倒れていた。少し遅れて身体を打ち付けた痛みが襲ってくる。


「うがっ……がぁっ!?」


 声が出せない。息ができない。苦しい苦しい苦しい苦しい!

 身体の中から焼け爛れている気がする。血液が沸騰している。脳みそを抉られる痛みに目が飛び出そうな内側からの圧迫感。身体が動かない。動かせない!

 か、身体が弾け飛びそうだ!


「だ、誰……か……かはっ!?」


 のたうち回ることも出来ず、俺はただ倒れ伏して全身の苦痛に襲われるしかなかった。

『自己診断』が身体の状態を教えてくれる。

 酸欠。それと体内の魔力の急激な上昇。限界を超える魔力を浴びたことにより、身体が不調を訴えているのだ。

 視界がぼんやりと霞み、ゆっくりと暗くなる。


 ――意識レベルの低下。


 そんな文字が視界に表示された気がする。


「……ト! トビ……し……して! しっかり……!」


 俺を覆う闇が真っ白に染まり――意識が完全に途絶えた。




  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る