第8話 魔法の訓練


 ザトスが空島家にやって来て数日が経過した。

 シングルファーザーの父は、美少女だったからかザトスの居候をあっさりと受け入れ、妹の結那ゆいなも最初は警戒していたもののあまりに美味しそうにご飯を食べるため、今ではすっかりペットを可愛がる飼い主だ。

 今日は週末。ユナは友達との勉強会に行ったため家にはいない。父も不在。俺とゴロゴロしているザトスさんの二人きりだ。


「ザトスさんや?」

「なぁーにぃー? ご飯?」

「違うわ! ついさっき昼ご飯を食べたでしょ! 忘れたの!?」

「あんな美味しいご飯を忘れるわけがない! あまりの美味しさに全てを忘れそうになったけれど」


 うっとりと昼ご飯を思い出すザトスの口からは涎が垂れそう。

 乙女なんだから拭ってくれ。


「で、何の用?」

「そろそろ俺を鍛えてくれない?」

「鍛える……おぉ! 鍛える!」


 その反応、絶対に忘れてたな!?

 ご飯を条件に俺を鍛えると言い出したのは貴女ですよね?

 ジト目を送ると灰色の瞳を泳がせて、ふすーふすー、と全然音が鳴っていない口笛を吹く。誤魔化せていないぞ。


「今から拡張世界に行こう。研究所でいい」

「わかった。戸締りをするからザトスは着替えておいてくれ」

「着替え? 必要ない」

「その格好でいくつもりか?」

「何か変?」


 首をかしげて彼女は自分の服を見下ろす。

 白いTシャツにショートパンツ。実に目のやり場に困る素晴らしいラフな格好だ。肉付きの良い足が眩しい。

 正面から見たら普通である。あくまでも正面から見たら。

 ザトスがくるりと背を向ける。

 Tシャツの背中にデカデカと書かれた達筆の二文字――


愛人あいんちゅ


 ドヤァ、というドヤ顔で背中の文字を指差してアピール。


「ユイナと一緒に選んだTシャツ。私のお気に入り」


 くっ! 君もファッションセンスが独特いもうとのどうるいなのか。

 俺から見たらその言葉は『愛人あいんちゅ』ではなく『愛人あいじん』にしか読めない。

 本人が嬉しそうだから言えない……。


「これがダメならこれは……?」


 タンスから引っ張り出したのは、同じくTシャツの背中にデカデカと書かれた『二号』という二文字。


「これもお気に入り」


 今度はTシャツの前面に書かれた『私は二番目でいいですから』という文章。

 なんでそんなTシャツを選んだんだ、と小一時間ほど問い詰めたい。癖が強すぎる。

 そもそも、なんでそんなTシャツがあるんだ。どこで買った?


「『愛人あいじんシリーズTシャツ』可愛い」


愛人あいんちゅ』ではなく『愛人あいじん』って言ってるし。


「ユイナは『本命彼女シリーズTシャツ』が好きらしい。『妹シリーズ』も。『兄好きブラコンシリーズ』や『新妻シリーズ』は恥ずかしくて手を出せないんだって」

「へぇー。ソウナンダー」


 至極どうでもいい情報に俺は適当に相槌を打ちながら家の施錠を確認。

 もう服は何でもいいから。準備ができたのなら拡張世界に行くぞ。

 結局『愛人』Tシャツで行くことにしたザトスは、俺の腕にピトッとくっつく。


「行くぞー!」

「おぉー!」


 砕け散った空間を通り抜け、俺たちは拡張世界へと移動した。

 相変わらず何もない無機質な白い部屋。今度何か飾ってみようかと思う。


「トビト。少し広くて頑丈な部屋はある?」

「ちょっと待って」


 俺はインストールされた知識から研究所の見取り図を思い出して、ザトスの要求に合致しそうな部屋をピックアップする。


「小規模実験室か倉庫目的の部屋がいくつか」

「近い場所でいい。案内して」

「了解です、師匠」

「ふむ。師匠……実に良い響き」


 ご満悦の師匠を案内する。一番近いのは倉庫だ。

 外部や内部からの攻撃を防げるように倉庫は頑丈に作られていた。

 倉庫の強度は核シェルター以上。

 武器庫や食糧庫に使用するつもりだったのだろう。武器も食糧も絶対に失ってはいけない物だから。

 たどり着いた先は、広いだけでこれまた何もない空間。大きさは学校の体育館くらい。


「十分な大きさ」


 ザトス師匠も太鼓判を押す。これから俺の訓練が始まるのだ。


「というわけで、弟子のトビト。上半身の服を脱いで。全部」

「わかった。服を……って、は? 全部!?」

「ていくおふ。はりーあっぷ、はりーあっぷっぷ」


 平仮名英語でザトスが俺の服を引っ張り始める。

 きゃーやめてぇーって、力つよっ! 服が破れるぅー!

 美少女に服を脱がされるというシチュエーションは、何やら男心をくすぐられる。が、このままだと服が引き裂かれそうなので、潔く半裸になった。


「で、これからどーすんの?」


 そうザトスのほうを振り返った瞬間、


「ぶふぉあっ!?」


 俺は思いっきり噴き出して驚きの光景に目を奪われた。

 そこには、Tシャツを脱ぎ捨て上半身下着姿の美少女がいた。ラベンダー色のブラに包まれた魅惑の双丘。ちょうどブラのホックを外して、肩紐がスルリと抜けた。


「な、なななななな何やってんのぉー!?」


 慌てて目を閉じるが、『完全記憶』先生の仕事は素晴らしい。鮮烈な光景は目と記憶に焼き付いて離れない。

 ……意外と大きいんですね。隠れ巨乳というやつですか。


「何って訓練のために服を脱いだだけ」

「ナニの訓練をするつもりなんですかっ!?」

「初めてだから自信ないけど、頑張るから」

「頑張るって何を!? ナニなの!?」


 目を覆って動けない俺に背後からザトスが抱きついてきた。

 背中に押し付けられる至福の柔らかさ。心地いい体温。鼻腔をくすぐる甘い香り。肩や耳にかかる吐息がくすぐったい。

 彼女の細い腕が俺のお腹に回される。


「トビト……私を感じて……」


 は、はい! もう既に感じております!

 拡張世界で童貞を卒業するのか……。俺、今日で大人の男になります!

 その時、昂った心拍数や血圧、興奮状態を数値で表示をしてくれていた『自己診断』アプリ先生が、俺の身体に異常を検知してビービーと警報を発した。


「ん? 外部からの魔力供給による体内の魔力量の増加?」

「お? 気付くとはさすが変人。普通の人は気付くのに数カ月かかる」

「変人じゃない! 拡張アプリのおかげだ!」


 ということは、大人の階段を上る訓練ではなく……


「魔法の訓練の基礎中の基礎、魔力制御を学ぶ訓練。第一回『魔力を感じよう』のコーナーです。どう? 感じる?」


 ですよねー。男女の訓練じゃありませんよねー。

 ちょっと期待して申し訳ございませんでした。だから、手のひらに集めた純白の魔力を俺の下半身に向けるの止めてください。危機感を感じます。


「『自己診断』アプリが視界に表示してくれているけど、全然わかりません。師匠」

「ふむ、弟子よ。このまま肌を伝って入っていく私の魔力を感じるのだ」

「イエス、マム!」


 魔力、魔力、魔力……魔力ねぇ。

 ぶっちゃけ、ザトスの胸や肌の感触や体温、吐息しか感じられません。思いっきりそちらに集中しちゃっています。

 何という過酷な訓練なんだ。耐えられる自信がない。

 あ、鼻血が出そう。


「トビトは変人じゃなくて変態だった」

「思春期男子なんだから仕方がないだろ! つーか、裸で抱き合う必要ないでしょ!」

「必要あるからこうしてる。服があると魔力が阻害される。魔力を最も感じるには肌と肌を密着させる必要がある」

「なら手を握るだけでもいいはず!」

「面積の問題。触れ合う面積が広ければ広いほど多くの魔力を流せる。これ常識」


 魔法を使う探索者の常識は一般人の非常識です。

 そもそも、魔法を使う人は、探索者や警察官、消防士、救急救命士、医者、自衛隊など、主に魔物や災害、犯罪者から人々を守る職業が多い。

 一般人で魔法を使う人はほぼいないのだ。使う理由と意味とメリットが全くないから。


「魔力を教える時、最初は必ずこうやって教える」

「……ということは、ザトスも?」


 ザトスが裸で別の男に抱きしめられる姿を妄想してしまい、どす黒い嫉妬と殺意が湧き起こる。


「私? 私は自分で魔力の存在に気付いた。誰とも抱き合ってない」


 その言葉に俺は猛烈に安堵するとともに、彼女の天才っぷりに思わず拍手する。

 背後でザトスがドヤ顔をしているのが伝わってきた。ふんす、と鼻息がくすぐったい。


「初めてだからちょっと緊張してる……なんか恥ずかしい」


 本当に恥ずかしそうに囁かれて、俺の心臓は見事に撃ち抜かれた。

 鼻と口から盛大に血が噴き出る寸前。もぞもぞと動かないでくれぇー!


「トビトの背中、大きい。ゴツゴツしてる。男の人の身体」

「……お願いだからそういう感想は心の中に仕舞っておいてください」


 ムラムラでおかしくなりそうだ。頭が沸騰する。

 理性を保つために唇を噛む。『自己診断』が出血を報告。


「もしかして、私のこと、意識してる?」

「そりゃ意識せずにはいられないでしょーがっ! 裸の美少女が抱きついているんだぞ! こちとらいろいろと必死で我慢してるんだ!」

「私のこと襲ってもいいよ……?」


 え? 何を言って……。

 つまりザトスは俺のことを待ってる……?


「――トビトが振り向く前に撃ち抜くけど」

「ハハッ。デスヨネー」


 うん、知ってた。期待した俺が馬鹿だった。

 お願いだからその手の白い魔力の塊を下半身に向けるの止めてくれません? 興奮はすっかり冷めましたから。

 雑念が消えたので、大人しくザトスから送り込まれている魔力の存在に集中してみる。

『自己診断』アプリによる数値ではわかるのだが、身体の感覚では全くわからない。こういう時、アニメやマンガやライトノベルの主人公はすぐに理解するのに。


「ししょー。魔力の感覚ってどんな感じなんですかー?」

「ふっ、そんなことも分からんのか」


 あ、なんかイラッとした。鼻で笑われて若干イラッとした。


「グアーッとして、バァーッとした感じ?」

「わからん。全くわからん。丹田とか心臓に宿る力なの?」

「全然違う。全身がグアァーッとして、バァーッとして、ビャァーって感じ」

「全然わかりませぬ」

「だろうね。普通は数カ月かかるから」


 地道にやっていくしかないのか。俺は物語の主人公ではなかったらしい。

 しかし、この訓練を数カ月間とは……役得! 訓練最高! 感謝!


「そもそも魔力とは何ぞや。教えて師匠!」


 魔力とは言うが、一体何の力なんだ。魔の力? 意味が分からない。超常的な不思議な力?

 もっと具体的に表現できないものだろうか。


「よく言われているのは、魔力とは生命力や感情の力かな。感情の昂りによって魔力の放出量が増減して、体内の魔力量が増えると寿命が延びるから」

「極めると不老になったり?」

「覚醒者と呼ばれるトップレベルの探索者たちは皆不老だよ」

「マジですか……」

「マジなのです」


 世界って知らないことだらけだ。探索者ってすごい。

 日本所属の探索者パーティ『高天ヶ原』のメンバーも覚醒者なのだろうか?

 不老なんて多くのお金持ちや権力者が憧れるに違いない。簡単には不老になれないだろうけど。


「覚醒者? という人たちは、魔力制御が得意なんだろうなぁ」

「トビト。やけに口数が多いね」

「喋っていないとおかしくなりそうだからですっ!」


 変態トビト、と囁き、軽く身動きして悪戯する美少女。背中に伝わる柔らかさ。

 マ・ジ・で・や・め・ろ!


「魔力制御についてまだ言っていなかった。魔力制御とは――」

「――魔力を制御する技術ってことはわかるからな」

「トビトは天才か……?」

「逆に馬鹿にしてる?」

「冗談。ザトスジョーク」


 笑えねぇ。冗談を言った本人はケラケラ笑っているが。

 ひとしきり笑ったザトスは真面目な口調で説明を続けてくれた。


「魔力制御……より具体的に言うと、一度に使える魔力量を決める技術。水に例えるとわかりやすい。海くらい大量の水を持っていても、放出口が注射器の針先ほどの小ささだったら宝の持ち腐れ。注射器の針先を水道の蛇口にするか、バケツの大きさにするか、川の河口の大きさにするか、海そのものにするか、それは本人の努力次第」

「魔力量も増やすことができるのか?」

「できる。訓練は別のものだけど。魔力量が増えて制御もできるようになると拡張アプリの容量も増えるよ」

「おぉ! それは良い情報!」


 新たな拡張アプリケーションのインストール。これを目標にしよう。今は容量いっぱいらしいから。

 次は自分でアプリを選択したい。


「まあ、今のトビトは魔力の出し方を知らない。鍛錬あるのみ」

「イエス、マム!」


 俺はいち早く魔力の存在を感じようと、訓練に集中するのだった。


 ………………

 …………

 ……









 ……

 …………

 ………………


「今日はここまで」

「ありがとうございましたぁ……」


 訓練開始から3時間ほど。休憩を挟みながら魔力を感じる訓練を続けていたのだが、俺は全く感じられずに今日の訓練が終わってしまった。


「一日でできるとは思っていない。数カ月かけて感じるもの。だからトビトが落ち込む必要はない」

「はぁ」


 気の抜けた返事しか出せない。

 別に落ち込んでいるわけではない。精神的疲労が物凄くてヘトヘトなのだ。

 俺、この訓練が終わる頃には悟りを開いて仙人になっていないだろうか。


「それにしても緊張した。初めてだから上手くいって良かった」

「え? その言い方……もしかして失敗する可能性あったのか?」

「あった。魔力を供給する量を間違えたら相手は破裂する。水風船と一緒。ピチュン! いや、水風船じゃなくて手榴弾? ドカン?」


 え゛っ!? そんな危険なことやってたの!?

 道理で最初に頑丈な部屋はないかと尋ねてきたのか。死ななくてよかった。

 ザトスのことだからクシャミなどうっかりを発動しそうで怖い。

 長時間訓練するのも危険なんじゃ……。


「もしくは、魔物化することも」

「うげっ!? 滅茶苦茶危険じゃんこの訓練!」

「大丈夫。私が責任を持って討伐するから」

「全然大丈夫じゃねぇー!」


 サムズアップと得意げな顔をやめろぉー!


「俺が死んだらユナが悲しんで、ザトスには二度と料理を作ってくれないから」

「超気を付けさせていただきます!」


 こう言っておけばザトスは大丈夫だろう。俺が死んだらユナは悲しんでくれる……はず。

 あぁもう疲れた! ユナのご飯を食べたい!


「トビト、立てる?」


 服を着たザトスが手を差し伸べてくれるが、


「うぅっ……もう少し待って」

「トビトも男の子だ。えっち」

「うぐっ!」


 いろいろとバレてる。必死で疲労感を漂わせて誤魔化していたのに。

 こういう時は深呼吸だ! スゥーハァー、スゥーハァー。

 くっ! ザトスの残り香が邪魔をする! 心臓のドキドキが止まらない!


「……ドキドキしたのはお互い様」


 ボソッと彼女は顔を逸らしながら呟いた。頬が薄っすらと朱に染まっている。


「え? もしかしてザトスも……」

「変な解釈をしたら撃ち抜くから!」

「ごめんなさい! その白い奴は止めて!」

「安心して。医療筐体メディカルポットで部位欠損も治療できるよ!」

「全然安心できねぇー!」


 俺の叫び声が部屋に反響して消えていく。

 立って移動できるようになったのは、それから数分の時間が経過した後だった。


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