第6話 変人


 がるるるる、と白髪の美少女が威嚇している。守っているのは食べかけの弁当。

 どれだけ可愛くても庇護欲を掻き立てられても、彼女は数百メートル級の魔物を一人で楽々殲滅していた子だ。

 刺激しないよう俺は下手に出る。


「あの~? それ、俺のお弁当なんですけど……」

「ふしゃー! ふしゃー!」

「ごめんなさい。全て献上いたします」

「ふしゃー? うむ、よかろう」


 良かった。言葉が通じた。動物から人間に戻ってくれたみたいだ。

 彼女は俺を警戒しながらもお弁当のおかずをパクリ。


「んむぅ~~~っ!」


 言葉をあげられないくらい美味しそうだ。蕩けた彼女は頬に手を当て、手足をバタバタさせる。

 わかる。わかるぞ、君の気持ち! ユナの料理はおいしいよな!

 美味しそうに食べる姿を見ていると俺までお腹が空いてきた……高校生にはコロッケパン一つじゃ足りないのだ。

 ということで、俺も床に座りメロンパンの袋を開ける。


「あ~……ん?」

「…………」


 大きく口を開けてメロンパンに齧りつこうとした時、物凄い強烈な視線を感じて無意識に身体の動きを止めた。無意識よりも狩られる前の草食動物の本能と言ってもいいかもしれない。

 白髪の少女が口をモグモグさせながら瞬きせずに俺、正確にはメロンパンに狙いを定めていた。


「……なんすか?」

「それ、甘味。デザート。メロンパン」

「そうっすね」

「私、メロンパン好き」

「そうなんですねー。あ~ん……」

「じぃー……」


 き、気まずい! 滅茶苦茶見られている! 物欲しそうにメロンパンを見つめられている! 食べ辛い!

 潤んだ瞳がユナがおねだりしてくる目に似ていて……。

 あぁもう! わかったよ!


「半分。半分だけですからね! そのお弁当をちゃんとゆっくり味わって噛みしめて呑み込んで食べ終わってから食べてください!」

「っ!? わかった!」


 パァッと笑顔になると、彼女は超絶嬉しそうに食事を再開した。

 はぁ……俺はあのウルウルの瞳に弱いんだ。

 あぁ、メロンパン美味……。

 メロンパンの甘さに癒され、彼女もお弁当とメロンパンを米粒パン屑一つ残さず食べた後、ようやく自己紹介をする。


「俺は空島そらじま飛兎とびと。この研究所の所有者オーナーらしい」

「私はザトス」


 メロンパンでの餌付けが成功したのか、少し警戒心を解いてくれたようだ。

 黒いフードを脱ぎ去ると、中には同じく黒い服を着ていた。

 修道女シスター服や聖職者の服に似ている。ダークでミステリアスでエキゾチック。厳かな神聖さを感じさせるデザインだ。

 最も適した言葉は……そう! ゴシック・ファッション!

 深いスリットからはエロティックな太ももが覗き、編み上げブーツが良い! よく似合っている。


「……何も言わないの?」

「え? 何か言われたいの?」


 思わずタメ口で返してしまったけれど、ザトスは気分を害した様子はない。むしろ不思議そうに俺をじっと観察している。


「私が名前を言うと誰もが驚く、から……そっか、トビトは変人」

「誰が変人だ! 一人で納得するな!」


 俺の返答が面白かったのか、彼女はクスクスと笑った。


「こんなところに一人でお弁当とメロンパンを持っている。これは言い逃れができない変人」

「くっ! ぐうの音も出ねぇ!」

「で? トビトは何者? この建物の所有者オーナーとか言っていたけれど? 何故一人でにいるの?」


 質問に答えようと口を開いたところで、聞き逃すことが出来ない言葉に気づいた。


「ちょっと待ってくれ! ここはなのか!?」

「知らなかったの? ここは拡張世界の未踏破領域。あ、私が踏破したから踏破領域」


 ドヤァ、とザトスが得意げに胸を張る。意外と豊かな胸に、純情で紳士な俺はそっと目を逸らした。

『完全記憶』先生、良い仕事です。

 ザトスによるとここは拡張世界の未踏破領域。そうか、異世界ではなかったのか。いや、ある意味異世界だけど。

 まあでも、空間崩落に巻き込まれたら拡張世界へと落ちるという噂は事実だったわけだ。


「ザトス……実は俺、空間崩落に巻き込まれたんだ」


 ぽつりぽつりと今朝のことや空間震動に空間崩落、その後の拡張機能のインストールと研究所の所有者オーナーになったこと、拡張アプリ『銀の鍵ザ・シルバーキー』で現実世界へと移動したことを告げる。そして、お弁当を探しにここに戻って来たことも全部。


「なるほど。やはりトビトは変人だった」

「なんでそうなる!?」


 全部聞いた彼女の感想がこれだ。

 本当に何故俺が変人ということになるのだ。俺は至って普通の一般人。健全な男子高校生だ。


「普通の一般人はこんなに濃密な日常を過ごさない。非日常」

「今日だけ! 今日だけだから!」

「過去には?」


 ふとよぎる過去の記憶。赤く燃えた街と轟く咆哮。


「キョ、今日ダケデスヨー」

「決定。トビトは変人。そう私は結論付けた」


 ちくしょう! 結論付けられちまった! ドヤ顔が可愛い!


「変人のトビト――」


 ザトスは女神のごとき造形の顔で美しく微笑んだ。


「――私と結婚して」

「喜んで!」


 彼女が差し出したその手を即座に取る。

 こんな美少女にプロポーズされたら男ならば皆、即オーケーするだろう。拒否するなんて微塵も考えない。

 ふっふっふ。これで俺もリア充だ! 勝ち組だ!

 ……待てよ。ザトスは魔物を軽く屠る戦闘力があるんだよな?

 ガクガクブルブル。絶対に逆らわないようにしよう。

 夫婦円満のコツは男が女性の尻に敷かれることだ。


「待て待て待て。待つんだ俺! 冷静になれ! 俺にはユナという最愛の妹が…………ちなみに、何故プロポーズをしたのか理由を伺っても?」

「現実世界と拡張世界を行き来するのが楽だから」

「そんな理由で!? 俺一人だけしか移動できないかもよ!?」

「あと、一番の理由はこれ。ご飯が美味しい!」

「だからそんな理由なの!?」


 ザトスが食べたお弁当は妹が作ったものなんだけどなぁ。

 何故かザトスさんは不機嫌そうに唇を尖らせ、


「トビトはわかってない。拡張世界の探索は長くて数カ月かかる。その間、ずっとこっちで生活して、長期保存できる不味いご飯を食べることになる。トビトを家庭に一人は欲しい」

「俺を家電製品みたいに言わないでくれ。嬉しいと思ってしまうのはザトスが美人だからだろうか? つーか、ザトスさんは何歳? 結婚できるの?」


 見た目は十代後半くらいの美少女。俺と同じくらいに見える、ん、だがっ……!?


「ふふふ……乙女に年齢を尋ねるのは禁忌タブー

「ごめんなさいごめんなさい! 謝るからその手の平に集まる白い光をどうにかしてください! マジお願いします死んでしまいますごめんなさい申し訳ございませんでしたぁー! なんか空間が震えてるぅー!?」

「罰として結婚して」

「了解であります!」


 正座して敬礼するとザトスは手のひらに集まった光をかき消してくれた。

 戦闘に素人の俺でも危険だとはっきりとわかるくらいだった。今も冷や汗が止まらない。背筋がゾクゾクする。

 あの光は魔力が集束したものだったのだろう。あれを放てば魔蚯蚓ワームを消し飛ばした魔力砲の一撃となるはず。

 俺は絶対にザトスさんには逆らいません。ごめんなさい。


「ザトス、さん? ザトス様? は探索者であらせられるのですか?」

「呼び捨てでいい。気持ち悪い」

「酷い!」

「でも、そう。私は探索者。日々、拡張世界で魔物と戦い、古代超文明の遺産を探している」

「ほぇー。すげぇー」


 凄いという感想しか出てこない。芸能人が目の前にいるような現実離れした気持ちだ。


「さすが変人トビト。凄いというのは私の言葉なのに」

「……どゆこと?」

「古代超文明の遺産を所有しているくせに」

「古代超文明の遺産を所有? 太古の昔に世界を支配していたと言われる現代よりも遥かに高度な文明なのに何故か滅びたあの古代超文明? 遺産というのは、膨大なお金になって時には油田に匹敵する利益をもたらすあの遺産? それを俺が?」

「いえ~す、おふこ~す!」


 見事な平仮名英語でザトスはサムズアップをした。

 可愛い……じゃなくて! 俺には全然心当たりがないぞ!

 混乱する俺の前で、彼女は床を指さした。


「ここ、古代超文明の遺産」


 ……なるほど。言われてみれば納得である。

 拡張世界の未踏破領域にある現代文明の人間が作ったものではない人工の研究施設。確かに古代超文明の遺産だ。


「トビトが私を入れたこの機械、病気を治療する医療筐体メディカルポットだと思う。これだけで一台数億ドル」

「数億ドrrrrrルゥ!?」

「おぉ。巻き舌すごい。るるるるる~……できない。残念」

「巻き舌はどうでもいいから! 数億ドルってことは数百億円ってことだよな!? ゴクリ……」

「ちなみに、オリジナルの拡張アプリをインストールできる機械なら、数十億ドルから数百億ドルする」


 日本円に換算すると、数千億円から数兆円……金額が大きすぎて全然実感が湧かない。宝くじでもこれだけの大金はあり得ないから。

 こんな機械が数千億円ねぇ……ザトスさん、君嘘をついてないかい?


「むぅ! その顔は信じてない。常識を知らない変人トビトに教えてあげる」


 ムスッと膨れたザトスはビシッと筐体を指さした。


「これ、どんなに末期の癌や現在治療不可能な難病だとしても、完治することができる。物によっては原因までわかるかもしれない」

「へぇー……って滅茶苦茶すごくないか!?」

「だから世界中の政府機関や企業、お金持ちが大金を出して手に入れようとするの」


 な、なるほど。数百億円というのも納得だ。


「トビトは市販の拡張アプリを知ってる?」

「それくらいは知ってるさ。目覚まし時計のアラームアプリからテスト範囲を網羅する知識アプリとか」

「変人トビトでもそれくらいは知っていたか」


 変人言うな!


「現在、世の中に溢れている市販の拡張アプリは、古代超文明で開発された身体拡張機能アプリケーションの劣化コピー。容量が大きくて効果は微々たるもの。現代の技術では、オリジナルの100分の1も満たない性能と再現度でしかない」

「ということは、俺にインストールされたのは……」

「拡張世界にある古代超文明の遺産のもの。つまり、オリジナル」


 マジかぁ……オリジナルかぁ……。

 言われてみれば思い当たることがいくつか。クラスメイトはテスト対策のアプリの話をしていた。一年分とか丸ごとすればいいのに期末テストの分だけ。

 それに対して、俺はこの次元解析特務研究所の取り扱い説明という膨大な知識をぶち込まれ、更には『完全記憶』や『銀の鍵ザ・シルバーキー』というぶっ壊れアプリをインストールされている。

 市販のアプリと俺にインストールされたアプリ。性能の差が歴然である。

 そりゃ世界中が求めるわけだ。


「探索者の私としては、新たな遺産を見つけたことを公表すべきだと思う。でも、探索者ではないただの私としては、秘匿した方が良いと思う」

「理由は?」

「もし……もしだよ? トビトの拡張アプリの能力が拡張世界と現実世界の行き来だけじゃなく、自由に転移できる能力だとしたら、どうなる? 物だけを送れたらどうなる?」


 えーっと、探索者の探索が楽になる?


「――暗殺。戦争」


 ひぃっ!? 悲鳴が声にならない。喉を通っていかない。

 強烈な殺気と圧力プレッシャーが襲い、身体の震えが止まらない。

 冷たく鋭く輝くザトスの灰色の瞳に射貫かれ、俺は死を幻視した。


「パッと転移してサクッと殺すことができる。爆弾をポイっと投げ込めばほぼ完全犯罪。しかも空間移動をするのに魔物が出現しない。これは画期的。ありとあらゆる組織と人間がこの能力を求める。危ない人たちも。トビトは欲にまみれた人間の怖さを知らない」


 震えながら、俺は声を絞り出す。


「ひょ、ひょっとして、俺そのものが狙われるってこともある?」

「ある。オリジナルをインストールされたばかりの人の誘拐事件や殺害事件なんてよくあること」

「あるのか……知りたくなかった……」

「世界に大混乱を引き起こさないため、トビトをこの遺産ごと吹き飛ばそうかと一瞬思ったくらい。でも、それはしない。全ては美味しいご飯のために!」


 ユナ……お兄ちゃんはユナの料理のおかげで助かったよ……。

 今度何か買ってあげる。


「オリジナルをインストールされた人は大抵、企業や国が守って強くなるまで育てる。そして、国の戦力や国や企業専属の探索者になる」

「俺も日本政府に……」

「それはダメ。危険。信用できない」

「じゃあ、どうすればいいんだ!?」

「チョー強い人がここにいる。妻は夫を守るもの!」


 自分の胸をポヨンと叩いて、任せて、と得意げに胸を張る美少女。

 彼女は、数百メートル級の魔物を楽々と倒した強者だ。

 つーか、結婚の話は本気だったの?


「私がトビトを鍛える」

「……いいのか?」

「もちろん。美味しいご飯を食べさせてくれればいくらでも。強くなったら私の探索について来てもらうし。ふふっ。いつでも美味しいご飯が食べられる……じゅるり」


 全てはご飯のためですか。ますますお弁当は俺が作ったものではないと言えなくなった。


「ザトスさん……よろしくお願いします」

「うむ。私のことは師匠と呼んでもいい」


 ザトスは嬉しそう。師弟関係というのに憧れていたのかもしれない。

 はぁ……仕方がない。強くなるか。

 俺が狙われるだけならいい。でも、知り合いを、家族を人質にされるかもしれない。

 今度こそ俺は大切な人を守り抜く。もう失わせはしない。


「弟子のトビト。早速やって欲しいことがある」


 何だろう改まって。食べ物の要求か? それならどうにかして誤魔化さないと。


「拡張アプリの能力で私も現実世界に移動できるか確かめよう」

「いいけど、唐突だな」


 未踏破領域を一人で探索してきたザトスは、身体からふっと力を抜いてだらけた。


「――だって拡張世界ここ、飽きた」

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