第5話 愛妹弁当
午前中の授業は、近くに魔物が出現したということで全て自習になった。
それほど強い魔物ではなかったらしくあっさりと討伐され、現在は警察や探索者が生き残りがいないか捜索中。
魔物騒ぎにも慣れたものだ。街に下りてきた猪や熊ぐらいの騒ぎだった。
自習は残り5分ほど。教室はワイワイガヤガヤと騒めいている。
空腹を我慢してぼけーっとしていると、近くのクラスメイトの会話が耳に入ってきた。
「期末テストだりぃー。お前、勉強してるか?」
「ふっふっふ。英単語の拡張アプリをインストールしたぜ! これで英語はバッチリ!」
「ズリィな! いくらしたんだ?」
「税込み7020円」
「くっ! 高校生にはなかなかの値段……でも、夏休み返上で追試を受けるよりも良いか……。どこのメーカー?」
「えっと、サイトがこれ」
「ふむふむ……おい、同じ値段で期末テスト対策の拡張アプリがあるんだが! それも5教科で!」
「なん、だと!? 俺の時にはそんなのなかったぞ! 期間限定の拡張アプリか!?」
「俺、これインストールしよっと。えーっと、容量は空いてるっけ? うげっ! 容量オーバー! 何か
「英単語なんかインストールするんじゃなかった。ちくしょう」
ふーん。テスト対策の知識拡張アプリケーションですか。ブルジョワですねぇ~。
拡張アプリケーションとは、身体の機能を拡張させるアプリケーションだ。
現代の文明よりも高度に発達した古代超文明の技術を用いていると言われ、一般に普及しているアプリは睡眠学習に近いかもしれない。
例えば、インストールのために寝ている間にオリンピック選手の動きを身体に知識として教え込むと、少し練習しただけで体の動かし方がわかるようになるとか、クラスメイトが言ったようにテスト範囲を簡単に暗記できるとか。
超高額な拡張アプリになると、長寿や呼吸をせずに生きていけるなど、本当に身体の機能を拡張してしまうという。
現代では、家庭教師や塾で勉強を教えてもらうくらいの気軽さで身体に知識拡張アプリをインストールする。
これは校則で禁じられていないし、カンニングにも引っかからない。むしろ、最近では無駄な勉強時間を節約できて効果的だということで推奨されていたりもする。
貧乏なウチはそんなもの当然インストールする余裕はない。テストは毎回自前の記憶力で頑張っているのだ。が、
「そっか……俺、『完全記憶』の拡張アプリをインストールされたんだっけ」
すぐに俺は後悔する。
この自習中にぼけーっとするんじゃなくて1ページでも教科書を暗記すればよかった、と。
キーンコーンカーンコーン
授業終了のチャイムが鳴った。今から待ちに待った昼休みだ。退屈な自習から解放された生徒たちは、各々昼ご飯を食べようと動き出す。
俺も拡張機能のことなどすっかり忘れ、ユナが作ってくれた愛妹弁当を取り出そうとして、あることに気づいた。
「あれ? 愛妹弁当がないっ!?」
毎日、登校する前に愛妹弁当だけは忘れないように確認している。今日もちゃんと手に持った。しかし、その愛妹弁当はどこにも存在しなかった。
「まさか裏山に落とした? 空間崩落の時に? いや、もしかしたら研究所かも」
心当たりがありすぎる。学校の裏山か別世界の研究所のどちらかだろう。
どうしよう。妹がたっぷりと愛をこめて作ってくれたお弁当なのに……。粗末にしたなんて知られたら――蹴られる!
「ガクガクブルブル! くっ! 何故こめかみが痛いんだ?」
古傷が痛むみたいにこめかみが疼く。
今朝からなんかこめかみが痛いんだよなぁ。
研究所で『
ユナの説明によると、俺は忘れ物を取りに戻ってきて慌てたらしく、転んで頭を打ったらしい。全く覚えていない……。
拡張アプリ『自己診断』先生も左側頭部の打撲と腫れという診断が出ている。
ちなみに、当然のことながら日直の仕事に遅れ、パートナーに謝り倒した。
「でも、何故身体が震えるんだ……?」
カタカタと小刻みの震えが止まらない。強烈な寒気がする。溢れ出す大量の冷や汗。
俺の身体は一体何を恐れているんだ? 何かを忘れている……?
「と、取り敢えず、今はお昼ご飯だ。マジでどーしよ」
『自己診断』先生が空腹状態を詳細に教えてくれる。それを確認するまでもなく、お腹がグーグーなっている。
同じ高校に通っている妹ユナに助けを求めるのは論外。となると、選択肢は二つ。何か買うか、何も食べないか。
財布を確認すると、硬貨が数枚確認できた。残念ながら偉人さんは家出をしている模様。
「しゃーない。なんか売店で買うか」
覚悟を決めて行くぞ! いざ
▼▼▼
「つ、疲れた……」
人混みを掻き分け、何とか戦利品のコロッケパンとメロンパンを手に入れることができた俺は、あまりに疲労でゾンビのように見えることだろう。
喉が渇いたので、ついでに自動販売機でジュースも買う。
お財布の中身はすっからかん。今月はもう何も買えない。
「座れるところ……どこか、座れるところ……」
もう教室に戻る元気もない。お腹が減って動きたくない。
エネルギー枯渇中。早急に補給しなければ。
ふらつきながら到着したのは、人気のない技術棟の人気のない階段。
ぼぇー、と間抜けな息を吐き、階段に腰掛ける。
コロッケパンの包装を解き、モグモグと食べる。
「美味しい……けど、ユナが作ったお弁当のほうが美味しいな……」
妹の料理を食べ慣れて舌が肥えてしまったに違いない。
なんか物足りないコロッケパンをモシャモシャと頬張る。うん、やっぱり何かが違う。
「あの世界に行くか……」
ふと、俺はそう思った。そしたら、興味が湧き上がる。
拡張アプリである『
危険かもしれない。でも、冒険を渇望して止まない浪漫溢れる中学二年生の心が”行け”と訴えてくるのだ。
「これはあくまでも愛妹弁当の捜索だ。捜索なのである! よし、建前は完璧! 周囲に人はいない。ならば、『
前回転移した時と同じように鍵を捻る動作をすると、ガラスが砕けるような音がして、目の前の空間が砕け散った。
水鏡みたいに映ったのは、別世界の研究所の白い無機質な閉鎖空間である中央制御室の光景だ。
「冒険へレッツゴー!」
俺は若干へっぴり腰になりながら、恐る恐る目の前の空間に足を踏み入れた。
周囲に広がるのは、あの研究所の中央制御室。今回も無事に転移できたようだ。
空間を移動すると、砕けた空間が瞬く間に修復される。砕けたガラス細工の逆再生を見ている気分。
「愛妹弁当は……ここには無いな」
真っ白な部屋には真っ黒な電子画面しか存在しない。椅子やテーブルも無い。
お弁当袋のような異物が存在したら即座にわかる。
「となると、あの筐体の部屋か」
研究所の地図は知識として頭の中に入っている。
何もない白い廊下を突き進んで、俺は拡張アプリケーションをインストールされた部屋へと向かった。
音もなく扉が自動で開き、
「え……?」
油断していた俺は頭が真っ白になって固まった。
開いた近未来的なカプセル型の筐体。無造作に捨てられたお弁当袋。お弁当にガツガツと無我夢中で喰らいつく、頬に米粒を付けた女神の如く美しい造形の白髪灰眼の美少女。部屋に満ちる美味しそうなお弁当の香り。
「え? えぇ……?」
俺の声が聞こえたのか、愛妹弁当をガツガツ食べていた彼女が顔を上げた。
「…………」
じーっと俺を観察しつつ、口に頬張った物を無言でモシャモシャとよく噛んで、ごっくんと美味しそうに、そして艶めかしく呑み込んだ彼女は、小さな子供のようにお弁当を俺の視界から隠す。
「……このお弁当はあげない」
それが彼女の第一声だった。
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