第4話 白き終焉


 轟音を響かせて巨大な龍らしき生物が咆哮した。

 ビリビリと震動が大気を震わせ、次元解析特務研究所にまで伝わってくる。


「なんだあれは! 龍なのか!?」

『否定。小型の魔蚯蚓ワームと推定』

魔蚯蚓ワーム!? ……って、何ぞや?」


 超有能の管理AIさんが巨大生物の正体を詳しく教えてくれる。


『魔貧毛せんもう類に属する生物です。ミミズの魔物です。この世界に生息し、土や鉱石、魔力を好んで食べます。体長は数センチから数十キロ。過去には大都市すら一飲みにした個体が存在した記録があります』

「巨大ミミズかぁ。異世界のミミズは空を飛ぶんだ……」

『あの個体は全長332メートル。小型の魔蚯蚓ワームに分類されます。画像を拡大します』

「300メートルで小型……おぉう。拡大しないで欲しかったなぁ……気持ち悪い……」


 遠いから龍みたいで格好いいと思った少し前の自分をぶん殴りたい。

 拡大された画像には、鳥肌が立つほどおぞましく醜悪な姿が映っていた。

 体中を繊毛のような細い触手で覆われていた。色は白が濃い灰色に薄いピンクが混ざった形容し難い気持ち悪い色。例えるならゾンビの肌だ。ゾンビ肌の色の触手がウニョウニョウニョウニョと蠢いている。

 なんか粘液も分泌しているらしく、テカテカとしているのは見たくなかった。今すぐにでも忘れたい。

 こういう時に『完全記憶』の拡張機能が憎い。忘れられない。

 気持ち悪い。ひたすら気持ち悪い。生理的に受け付けない気持ちの悪さ。


「あぁ、どこかで見覚えがあると思ったら、人間の腸か。柔毛に似てるんだ」


 気付きたくなかった。未知の気持ち悪さが既知の気持ち悪さに変わってしまった。

 俺、ああいうウニョウニョ系が苦手なんだ。虫の拡大画像とかも無理。

 口らしき場所がグパァッと開き、粘液がねっとりと糸を引く。

 おえぇ……。

 その気持ち悪い生物と戦う小柄な人影。黒いフードを被った第一異世界人(?)だ。

 虚空を蹴ると一気に肉薄。魔蚯蚓ワームを殴りつけた。


「嘘だろ……」


 体長の差は数百倍、体重だったら数千倍以上もあるはずなのに、負けたのは魔蚯蚓ワームのほうだった。殴り飛ばされて上空へと吹き飛ぶ。

 更に追撃する黒フード。殴って蹴って一方的に攻撃する。魔蚯蚓ワームは何もできない。

 蹂躙、という言葉の体現だ。お世辞にも戦闘とは言えない。

 黒フードの攻撃は止まらない。攻撃がさらに過激に。速度も上昇する。

 纏う光により、もはや一条の白い光と化している。


『ピィギュキャシャァァアアアアアアアアア!』


 狂いそうになるほど気持ちの悪い魔蚯蚓ワームの咆哮。

 魔蚯蚓ワームはもう瀕死。ボロボロだ。あちこちに穴が開き、身体が千切れかけている。

 もうなりふり構わず最後の抵抗といった様子だ。

 魔法だろうか? 全方位に泥の塊らしきものが無差別に放たれ、避ける黒フードに向けて大量の触手が迫る。


「おい! 逃げろ!」


 俺の叫びは当然届かない。黒フードは触手に呑み込まれた。

 言葉を無くす俺。呆然。

 蠢く触手の僅かな隙間から白い光が漏れ出したのはその直後のことだった。

 画面が白く染まり、触手の塊が無残に弾け飛ぶ。

 中から現れたのは、白い光を纏う無傷の黒フード。無事だったらしい。

 弾け飛んだ触手の一部がフードを掠る。


「女……の子……だと!」


 フードが捲れて顔が露わになった。

 深淵が形になったような美しい白髪灰眼。年齢は十代後半くらいだろうか。女神のごとき顔立ちの少女だった。近寄りがたい美貌。

 この研究所の真上に来た彼女は、物足りない、退屈、といったようにわずかに表情を曇らせ、魔蚯蚓ワームに片手を向ける。

 手の平に白い光が集束していく。


警告ワーニング! 警告ワーニング! 未確認生命体の魔力が急上昇中!』


 管理AIさんが再び警告を発する。彼女の手に高濃度の魔力が集束しているらしい。

 画面に映る少女の口元が僅かに動く。




『――あなた、終焉おわりよ』




 何故だかわからないが、彼女がそう呟いたのが俺にはわかった。

 言葉が紡がれると同時に、白い巨大な極太の光線が放たれた。それは地下空洞の上部を吹き飛ばした魔力砲と同一のものであり、込められた力は先ほどより何倍も強力なものでもあった。

 魔蚯蚓ワームは白い光線に呑み込まれ、断末魔の雄叫びを放つことなく、肉片一つ残さずにこの世界から消滅した。

 魔物がいた痕跡は何もない。戦闘で変形した地形を除けば。


「イッツ、ファンタジー……」


 何度目かわからない言葉が無意識に漏れ出る。こうでもしないと頭や精神がどうにかなってしまいそうだった。

 呟くことで無理やり現実だと納得する。

 修道服や聖職服、魔法使いの黒いローブなどを混ぜたような服を風ではためかせていた少女は、突然、フッと空中で力を失い、地上に向かって墜落を開始した。

 落下地点はこの研究所だ。

 映像から彼女が目を瞑っているのがわかる。意識を失っているのかもしれない。


「おいおいおい! ラ〇ュタのシータみたいに飛行石を持っているよな!?」


 そこまで都合の良いことは起きない。


「バリアを解いて、彼女を助けるぞ!」

『命令受諾。マナバリアを解除。未確認生命体の落下を予測。重力グラビティフィールドを展開』


 超有能な管理AIさんのおかげで、少女の落下速度が遅くなった。

 天井に開いた穴から地下空洞に少女が落ちてくる。

 本当にあのアニメ映画のワンシーンだ。


『当施設の位相をずらします』

「位相をずらすってどういうことだ?」


 首をかしげる俺の前で、一瞬建物全体が揺らいだ。そして、壁や天井、床までが半透明に透ける。


「な、なんじゃこりゃー!?」


 ゆっくりと落ちてくる少女は、建物にぶつかることなくすり抜ける。

 あまりに現実離れした光景に俺は口を開けて呆然。彼女が自分の目の前まで落ちてきてようやく我に返った。

 慌てて彼女をお姫様抱っこ。羽毛よりも軽い。


重力グラビティフィールドを停止。当施設の位相を戻します』

「どわっ!?」


 一気に彼女の体重が戻る。某アニメ映画のように危うく落とすところだった。危ない危ない。

 重力グラビティフィールドを停止させるのなら、せめて前もって言って欲しかった……。


「まさかパズーと同じ経験をするとは。彼女は無事か? って、気を失っているのか」


 ちゃんと呼吸していることを確認してホッと安堵する。床に下ろして身体を揺さぶったり、頬をペチペチと叩いてみるが反応はない。

 巨大な魔蚯蚓ワームと激しい戦闘を繰り広げていたので少し怖かったのは秘密。でも、見た目は普通の女の子だ。俺と全く変わらない人間だ。


「えーっと、一応あの筐体に入れておくか」


 そのまま寝かせておくよりも、筐体に入れていたほうが安心だ。メディカルプログラムは傷も治療してくれたし、もし体内を怪我していたとしても何とかしてくれるだろう。


「できればそのまま寝ててくれよ。あの怪力で殴られたら俺は弾け飛ぶから……」


 再びゆっくりと彼女をお姫様抱っこ。そして、何とか運んで筐体の中に寝かせる。


「メディカルプログラムを作動……って、これでいいのか? 音声認識で動くよな?」


 様子を伺っていたら、筐体の中が水色の不思議液体で満たされ始めた。ちゃんと動作したらしい。よかった。


「さてと。なんか疲れたな……」


 登校途中に空間崩落に巻き込まれて腰を強打し、研究所の所有者オーナー登録をして、拡張機能とやらをインストールされ、気持ちの悪い魔蚯蚓ワームと少女の戦闘を観戦し、今に至る。

 異世界転移をして数時間。実に濃厚な時間を過ごした。少し休みたい。


「……帰りたいな。ユナ……」


 最愛の妹に会いたい。彼女に会いたい……。


「『銀の鍵ザ・シルバーキー』よ。神話通りの力を持っているのなら俺を地球の自宅へと移動させてくれ……なんてな。あはは、は…………は?」


 目の前の空間に鍵を差し込み捻る動作をして、自嘲めいた笑いが途中で途切れた。

 何故なら、ガラスが砕けるような音がして目の前の空間が砕け散ったかと思うと、いつもの見慣れた自分の部屋が映し出されたからだ。


「はぇっ?」


 間抜けな声が漏れる。

 嘘だろ……夢じゃないよな? えっ?

 勇気を出して足を踏み入れると、そこはちゃんとした俺の部屋だった。物も家具の配置も匂いも自宅そのもの。

 驚きで言葉を失くしていると、ドタバタと軽く暴れる音が聞こえて、妹の結那ゆいなが俺の布団にうつ伏せになってバタ足していた。顔を枕にグリグリ押し付けている。


「クンクン! すぅ~はぁ~……あぁ、最高ぉ~! 至福の時間~! おにぃ~!」

「ユナ……か?」

「……え?」


 ピシリと音が聞こえそうなほどはっきりと固まった我が妹は、錆びついたブリキ人形のようにギギギと首を動かした。

 俺と結那の目がバッチリ合う。


「お兄? どうして……? 学校に行ったはずじゃ……」

「えーっと……」


 なんて言えばいいんだろうと考えていたら、我が妹は自分の状況を理解してしまったらしい。勢いよく起き上がり、羞恥で顔を真っ赤に染め上げる。


「こ、これは違うの! お、お兄の布団が臭くないか確認してただけ! 決してお兄が登校した後に毎日いろいろと堪能していたわけじゃなくて、臭いの確認をしてただけだから! 洗濯するかどうか考えていただけだから!」

「お、おう」

「だから、その、ね?」


 ゆらりと俺の前に立った妹は、見惚れるほど美しい蕩ける笑みを浮かべた。しかし、その目は暗く輝き全く笑っていない。


「――記憶、くそっか!」


 次の瞬間、俺のこめかみに強烈で華麗な回し蹴りが炸裂した。

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