第23話

(確か、ジルなんとか、と言っていたはずだが)

 ログレスは、エンリが唱えた魔法の言葉から、それがどんな魔法であるかを考えていた。

 動作干渉に関する体系書の方は、魔法による干渉開始時間や効果時間を、書かれている内容と自身が受けた効果とを比べると、かなり離れているような内容だった。

(やはり、空間干渉を受けたか、であるな)

 もう一つの方、空間制御の体系書を開く。

(お、これは……)

 圧縮言語の組み立て方に始まり、展開される空間隔壁の広がり方、魔霊素の発動反応など、非常にあの時と近い表現が記載されている。

 だが、どれもログレスにとってあくまで〝近い〟ものであり、〝そのもの〟ではないのが、なんとなく理解できた。

(もしかしたら、エンリ殿が独自に作りだした魔法の可能性もあるということも、考えておかねばならぬのかもしれぬ)

 さすがに魔法を使いたくて読書をしているわけではないので、後半の方は読むのをやめ、本棚に戻したところで、もう時間が夕方に差し掛かろうとしていることに気が付いた。

「おっと、そろそろ戻らねばならぬが…… 皆はどうしているのだ?」

 ぐるりと図書館の中を見て回ると、セランゼールが椅子に腰かけているのを見つけ、声をかける。

「セランゼール殿、他の二人はご存知か?」

 よく見ると、すぐ近くの椅子にチャイクロが座っていた。ただ、人の姿で熱心に絵本を読んでいる。自身もよく読んでいた『くだものひめ』だ。

 内容はよくある展開で、数ある果物の中で見た目が悪いというだけの嫌われ者の姫が、美しい王子と結婚するという物語だ。だが、チャイクロがその本を熱心に読むのは理由があるようだ。

「ねえ、なんで王子はこの姫と結婚したの?」

「王子は、いじめをする他の姫の事を、自分の奥さんにしたくない、と考えたからでしょうね」

 セランゼールが、本の内容に沿った回答をチャイクロに教える。

「なんで、他の姫はこの姫をいじめていたの?」

「うーん、見た目が美しくないから、って書いてなかったかしら」

「くだものなんて、食べ物としておいしい、だけでいいのに」

 実に少年らしい発想だが、その考えを大人になっても持ち続けることがいかに難しいかを、セランゼールもログレスも知っている。

 現に、この図書館の来館者のほとんどが有翼種か有鱗種である。有毛種であるログレスが、いかに奇異に映っているか想像に難くない。まして、今となっては絶滅種である銀鱗種のチャイクロに至っては、どんな目で見られているか、ログレスには見当がつかない。

「ぼくは、エンリと、ログレスと、パルティナと、一緒がいいな」

 その言葉を聞いたログレスは、戻した本のあった棚に戻り、近い別のタイトルの本を数冊持ち、チャイクロ達の近くの机にもう一度ついた。

「もう少し、探すとするか」

 とそこへ、クリエラも何冊か本を持ってやってきた。

「あ、ログレス。……それ、結構古い本のようですけど」

「うむ、関連書物の場所を聞いたのでな、近いものを手あたり次第読んでおるよ」

「私はちょっと逸れますが、カレンヴァーザの歴史書を少し、ですけど」

 クリエラが持ってきた本を見ると、理道の起源やカレンヴァーザから始まる人類の起こり、などネオントラムでは見れないタイトルが並んでいた。

「エンリ様はカレンヴァーザ出身であれば、魔法に理道を組み込んでおられてもおかしくないと考えました。……まあ、読んでみないことにはわかりませんけど」

 確かに、ゼーオ・ナラルで魔法を使わず、かといって場違いなほどに強い精霊を瞬時に何体も召喚していた技術は、もしかしたら一種の理道…… 錬金術を併用していた、と考えれば、それはエンリ自身が身に着けた別次元の魔法、ということになる。

「それも、ある意味ではエンリ殿に近づく方法かもしれぬな」

「……どうしたのですか、あなたがほめるなんて意外なんですけど」

「む、変か?」

 ちょっと意趣返しをしたつもりのクリエラだったが、素直なログレスの返しに、むしろクリエラのほうが恥ずかしくなってしまい、思わず視線を外す。

「……いえ。いいと思いますけど」

 と、その外した視線の先には、先ほどログレスがもらい受けた手書きの本があった。もちろん場違いなその本にクリエラはつい反応してしまった。

「その本、なんだかあまり図書館には似つかわしくない見かけをしてますけど」

「ああ、これな。そうだ、クリエラもちょっと見てみないか?」

 ログレスはそう言うとその手書きの本を開き、クリエラの方へと近づける。

「あ、この字、どこかで見たような気がしますけど……」

 クリエラもその手書きの字に見覚えがあるようだが、いかんせん字が汚すぎてまず読むのが困難だったので、思い出すのも一苦労なようだ。

「我は覚えてるぞ。これは、爺様の書いた字にそっくりだ!」

「サングレシア様…… ああ、確かにそんな気がしますけど、どうしてそれがこんな図書館にあるのかは理解と発想を超えてしまいますけど」

 そう、ログレスもその部分はクリエラと同意見なのだ。

 こんな場所で肉親の手書きの本があるわけがない。

 だが、ログレスは自身がこの旅に出るきっかけとなったあの日の夜のことを考えると、この本との出会いすら何か繋がりがあるのではないかと考えてしまう。考えてしまったからこそ、この本を読みたいと思ったといっても過言ではない。

 ログレスは、そんな一筋の光に誘われるように、本を開く。


〝白紙の本を手に入れた。これは、記録をつけるために買ったものだ。

 何の記録か。それは、俺が旅に出ることで、旅に出なければ気が付かなかったこと、経験したことを残すために記録するためだ。

 まあ、性格的に毎日書くことはないだろう。経験メモ、という位置づけだろう。〟


 意外と、最初のこの数行を読むだけで結構時間がかかった。

 理由は文字の汚さと、独特の表現を読み解くことの困難さだ。

「ネオントラムで爺様が読み書きの指導のために、他の地域から識者を招致して我に勉強させたのは、こういう理由もあるのかもしれぬな」

「でも、ちょっと前のサングレシア様が私文書を友人の方にしたためられておられるのを見たことがありますけど、こんなにひどい字面ではなかったと思いますけど」

 ということは、この本を書いていた当時はこれほどまでにひどい字面であったということになる。なるほどかなり苦労したのだろうということが伺えた。


〝旅に出た理由、それは、ネオントラムに戦争犯罪人が収容されることになった、という話がきっかけだ。

 何故、牢に入れることなく、国外追放で、しかもまだ開拓途中の我が国へと送られることになったのか。

 色々話を聞いていると、どうも先日決着がついたはずの戦争が、いまだ尾を引いているために、後始末をさせる…… させるなのか、するつもりか、詳細は分からないが、国外追放という建前を持って、世界を巡って尻拭いをさせる、だとか。

 ただ、それを収容と言うのか? 各国の首脳が出した答えには、いささか疑問が残る。

 それとも、尻拭い自体がその罪人の口八丁なのか。怪しいものだ。

 だが、そのためには監視役として誰かが行動を共にすることが必要だという。魔法による罪人の証があるからカレンヴァーザに行くことはできないが、それ以外の地域では依然として普通に振る舞えるために、戦争犯罪者が勝手なことをしないように、というのが言い分だ。ただ、俺がやるといったら即刻反対された。まあ、それはそうだろう。

 そんなことがあって、罪人が城へとやってきた。

 魔女だ。この辺では初めて見る。

 話には聞いていたが、別にどこにでもいる女性に見える。顔の半分を覆う仮面を除けば魔女魔女した格好でもないが、その辺の町娘よりは少々奇抜な服装にも見える。ただ、胸はでかい。あれは確かに魔女だろう〟


「……そう言えば、ヴィリオット婆様は胸が大きかったと話をされておったな」

「胸の大きさで女性の価値は決まりませんけど」

 ログレスは一瞬クリエラの方を見たが、すぐさま本へと視線を戻した。


〝魔女は、名前をリンカと言った〟


「リンカ? エンリ殿ではないのか?」

「確か、エンリ様が会いたいとおっしゃっていた魔女だと思いますけど」

「いや、だとしても、戦争犯罪人はエンリ殿であろう? なぜここでリンカ殿の名前が出るのだ?」

「今はエンリと名乗っておられる、とかでは? 当時の長旅でそのままでは都合が悪かったのではないかと思いますけど」

「それだと、何故リンカ殿に会いたい、となるのだ?」

「あ…… 確かにそうです、けど」

 ログレスは、抱き始めた違和感を払拭するために、ページをめくり先を読む。


〝結局、彼女にはネオントラムの理導師りどうしたちに作らせた『罪人の首輪』を取り付け、一人で出発させることになった。装着者が界域干渉を行ったことを感知すると首と体が物理的に離れ離れになる物騒な代物だ。理動具は対象外らしいが、カレンヴァーザに行かないのならまず手に入らないから問題がない、という見解らしい。それにしても、あんな女性が戦争犯罪人とは、何を考えているのか分からない。ということで、それを暴くために俺はこっそりついて行こうと思って、その日の夜に城を出た。

 ただ、タイミングが悪かった。

 先に抜け出したは良かったが、待ち伏せに選んだ場所には、城の客人を襲う手はずの野盗が潜んでいたからだ。

 見送りで一緒に来ていたリオもそのまま同行することになった。お前は城に残れと言うのに〟


「リオ、というのは、ヴィリオット婆様のことだろうな」

「最初、エンリ様が笑っていたのはこのことを思い出したんでしょうね。大叔母様たちの出会い方が私たちと同じなんですけど」

「そう言えばそうだったな。……あれからもう半年以上過ぎておるのか。子細を忘れたわけではないが、密度が濃すぎて何年も共に旅をしている気になっておるわ」


〝戦争が終わって間もないというのに、パキシリアは忙しそうな人たちでごった返している。ここで三人分の世界渡航許可証ワールドパスを発行してもらったら、いざや船旅、いざハーバン大陸! さらばエメリッド大陸よ!

 とはいえ、リンカは一体何をするために旅に出たのか。

 聞いてみたものの、よくわからない返事しか返ってこなかった。唯一理解できたのは、厳密には戦争が未だ終わっていない、ということだけだった。その一点においては、戦争後の処理の速さや各国の動きの異様さが際立っていたので、俺でも納得のいく内容ではある。しかし戦争が終わっていないとなると、何故周りの国々は終わったなど虚偽の終戦宣言をしたのか? 旅すがら聞いてみることにしよう〟


「なぜ、このときのリンカ様は『戦争は終わっていない』と言ったのでしょう? この記載の限りですと、既に終戦宣言された後だと思いますけど」

「うむ…… 爺様の『よくわからない返事』が正確に書かれておれば、まだわかったかもしれぬが、ちょっとばかり足りない部分があるようだな」

 それからも、サングレシアたちがたどった旅の話が続いていくが、所々のページが破かれているのに二人は気が付いた。前後の記述から、恐らくはヴィリオット関係の内容であることがうかがわれた。が、何故そこだけ破棄してしまったのか。他人に見せるつもりでないなら、破棄する必要はないはずである。

 それに気が付き、確信に至ったのは旅の内容がここ、リアンカタスに入ったあたりで唐突にページがごっそり破け、その次のページに書かれた文章を見たときだった。


〝警告する〟


 その文字は、今までの黒いインクとは違い、少し茶褐色に似た色をしていた。

 唐突な警告に、二人は息を止めてゆっくりとページをめくる。


〝結論を言う。

 俺は、友を守れなかった。

 ただ単に、力がないとか、知識が足りないとか、そんな生易しい言い訳が通用するようなことではない。

 俺自身に、覚悟が足りなかった。

 幸いにも、命をつなぎとめることはできたらしいが、あと一歩、踏み出すだけで守れたかと思うと、自身のふがいなさに虫唾が走る。〟


 あと一歩、という言葉に、ログレスはあの時の事を重ねて思い出す。

 あと一歩近付ければ、エンリを捕まえることができたし、一緒にカレンヴァーザに行くことができたかもしれない。


〝だが、もう一人の俺は『それでいい』という。神話の中だけの事だと思っていたことが現実であるなど、誰が信じようか。誰が咎めようか。人の限界を、俺は見せつけられたのだ。

 しかし、あの時の試練をもう一度受けることができるなら、俺はあえてその一歩を踏み出すだろう。

 この本を手にした者が、課せられた試練に敗れ、難局の打破のためにもがいているのであれば、選ぶ道は二つ。

 一つは、友のために世界と戦う決意をする道。

 もう一つは、己の命と、残された時間を大切にする道。〟


 そして、少し先のページにはまた別のインクでこう書かれていた。


〝時を超えて、この本を手にした者たちへ〟


 その一文を読んだとき、ログレスにはある確信が芽生えた。

「……この本は、偶然我らのところに出てきたわけではなさそうだ」

 ログレスはその本を持って立ち上がった。

 そして、そのまま外へと向かうために歩き出そうとすると、ガクッとバランスが崩れる。どうやら、上着を何かに引っ張られた。

 引っ張られた方向に視線を向けると、クリエラが上着の裾を強く掴んでいた。

「クリエラ、なにを――」

「ダメです」

 小さいが、はっきりとした声でログレスを制止する。どうやら、クリエラもなんらかの確信を得たのだろう。

「警告文直前の破られた枚数から考えると、恐らく最後の警告文を書き直しているのだと思います。エンリ様は、明らかに何かを成そうとカレンヴァーザへ向かわれました。そして、私たちを連れていかなかったということは、危険が伴うからだと判断できます。その危険とは、王魔戦争に関わることだと、思いますけど」

 クリエラは一呼吸置く。ログレスの歩みが止まったからだ。

「エンリ殿が別れ際の鬼ごっこで放った魔法は、恐らく時間干渉魔法だろう。近づけば近づくほどに時間の流れが緩慢になるようなものだと思われる。近づくほどに自分の動きが鈍くなるのを感じたからな」

 ログレスは、掴まれたままの上着を整え、クリエラに向き直る。

「だが、あと少しで捕まえられたかもしれぬ。エンリ殿は、本気で魔法を使ったかもしれぬ。今となっては分からぬが、我は果たしてあの時本気で立ち向かっただろうか?」

 クリエラは、上着を捕らえていた手を放し、改めてログレスの手を取る。

「私は、ログレスには行ってほしくありません」

 クリエラのまっすぐな瞳が、ログレスの視線を絡めとる。

「……きっと、爺様は後悔している。少なくとも、この本を書いているときは、助けに行くべきであったと。警告文で書かれている『友』が誰を指しているかは書かれておらぬが、今の我らに当てはめるとするなら、明らかにそれはエンリ殿に他ならぬ」

「死ぬかもしれないのですよ」

「我には優秀なお目付け役がおる。そうではないかな?」

 ログレスはニコッと笑い、握られた手を反対の手で握り返す。

「……馬鹿」

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