第十一章 空の底へ

第24話

 人工生命体ゴーレムが操る馬車は、夕暮れの太陽を背にかなりの速度で街道を走り抜ける。

 すっかり人が通らなくなったその街道は、雑草が生い茂り、敷き詰めた石畳もあちこちでその平坦さを失っている。だが、馬車はそんな道であっても揺れることなく進んでいく。まるで、氷の上を滑っているかのようだ。

「どこへ向かっているのでしょうか」

 パルティナは特に心配をしているわけではないが、行先の確認をしなかったことを思い出したかのように、御者の人口生命体に質問する。

「オルゼンという村です。戦争後もこのカレンヴァーザに住み続けている人々が生活している、この大陸最後の集落です」

「まだこの大陸に、人が住める場所があったのですね」

「オルゼンには、さる高貴なお方がおられまして、ご自身のお役目のためにこの大陸に残っておられます。そのお世話まわりを担当する者たちが、最低限の自給自足の生活をする環境を整えるうち、自然とそうなっていきました」

 確かに、これだけの人口生命体を使役するのであれば、こんな辺境であってもかなりの権力か、あるいはそれに類する力がなければ、到底不可能な芸当である。

「さあ、到着いたしました」

 などと話をしているうちに、馬車は大きな白い建物の前へと横付けされた。

 カレンヴァーザ大陸に建設された建物全般は、地上の建物と違い雨風などでの風化が遅い反面、太陽から放たれる強い光による風化が早い。そのため、建物には白い塗料で保護されることが多い。この建物もその例に漏れず、壁全体が真っ白な美しい建物の様相で来訪者を迎えた。

 しかし、その大きさは先ほどの集落にあった他の建物よりも何倍も大きい。城、というには立地の点で攻められやすく、また等間隔に開かれた窓の位置や外面から把握できる程度の単純な建築構造からも、どちらかと言うと巨大な宿泊施設という表現が近いように感じる見た目である。

「まるで、五十年前に戻ったかのような感じさえするけど、当時と変わらない見た目って、意外と不気味かもね」

「中へ。主がお待ちでいらっしゃいます」

 人工生命体ゴーレムに言われて門をくぐると、建物に入るまでに庭を通る構造になっていた。綺麗に刈り取られた芝生の間に、大きな平石を飛び飛びに置いて作った小路があり、それに沿って進むと、エンリの背の丈の倍はある目の前の大きな扉が勝手に開いた。

「勝手知ったる、っていうのかしら。絶対違うと思うけど」

 客と言うよりは罠を警戒しながら侵入する墓荒しのような足取りで中に入ると、一人の女性がエントランスの奥から出てきたのが見えた。

「遅かったじゃあないか」

 背格好はエンリとほぼ変わらないというのに、その女性と思われた声は非常に甲高く、小さいはずのその声はエンリ達がいる空間すべてに響き渡るほどの、澄み切った声だった。

「私は、もうカレンヴァーザ《ここ》の人間ではないから、入り方を忘れたのよ」

「ほう、難儀なことよ。でも、こちらまでは忘れてないだろうな」

 女性は、右腕を大きく振り上げると、その軌跡に沿って青い光が弧を描いた。

りんとすみたるきばをもちてとどろくがごとくながれうて(リガーグル)!」

 急に、部屋の温度が三度ほど下がったような、凛とした空気が周囲を包んだ。

 次いで、女性の周囲に六、七つの氷の刃が生成され、生き物のような動きでそれぞれがエンリに襲い掛かってきた。

「パルティナ、『左腕』を借りるわよ!」

 エンリは大きく息を吸い込みながら、パルティナの左腕を力任せに外す。

はぜるはかみなりのごとくなんじへみだれうちつけん(バルィラダ)!」

 腕を細く変化させて生成した天解きの杖を用いて紡がれた、無数の炎の塊が彼女の周辺の温度を二度ほど上昇させ、それぞれが目の前の女性が生み出した氷の刃へ突撃し、激しい水蒸気爆発を発生させる。

「中位の火炎魔法で相殺とは、まあまあ衰えてはなさそうではあるな」

「上陸歓迎にしてはいきなりすぎない? シェンク」

「ふん、使いをやったというのに、今さらの到着に少々気が立っているんだ。カレンヴァーザに着いたというのに、こちら《オルゼン》に真っすぐ向かってこないし、一体いつまで待たせるというのだ!」

 シェンクと呼ばれた女性は、今度は振り上げた右腕を縦に二回、その軌跡を交差するように横に一回振る。どうやら、杖が握られているようだ。

あれみだれようごきたるをさまたげよ(コランドーヴ)!」

 唱えられた圧縮言語が、杖の軌跡に沿って力がこもる。声が響く範囲の空気が急に重くなり、不可思議な力の制御がかかり、シェンク以外の行動に負荷がかかるようになった。

「さあさあ、どうする? 今なら泣いて謝るだけで許してやるぞ!」

「……冗談」

 胸の中の空気を吐き出しながら、エンリは重くなった天解きの杖を強く握り直すと、今度は目をつぶり、精神をこめかみに集中させる。

「どうした? まだ勝負は終わってないぞ!」

 シェンクは、再度杖を振り上げて魔法を唱える準備に入る。

あらたにきざまんこのよのときのながれもたらすべし(シキカジルセ))!」

 その一呼吸前に、シェンクが施した拘束魔法を振りほどき、新たな魔法が紡がれた。その術師の拘束を超えて、新たな時間の中で活動する時間を得たエンリは、そのまま再び魔法を唱える準備に入る。

 ゆっくりと周囲の魔素を吸収し、体内の魔素バランスを整える。杖に送る魔霊素の量を調整し、素界域のキャンパスに魔法陣を描く。

 息を整え、肺から、のどから、口から紡がれる魔法の音律で、覚界域へ干渉を始める。時間と空間を整えたら、再び魔法を紡ぐ。新たな音律が今度はさらに上の界域へと干渉するために魔霊素を注がれる。

 滞りなく積み上げられた多重魔法陣が、一部の狂いもなくシェンクへと向けられている。「それじゃあ……」

「遅い!」

 エンリが魔法を唱えるその瞬間に、シェンクはエンリが創りだした新たな時間の中へ割り込む。エンリが気が付く前に、全く同じ多重魔法陣が彼女の前に浮かび上がる。

「やるじゃない!」

 お互いが同じ魔法を構築したため、周囲の魔法効果もろとも打ち消され、周囲は再びエンリ達が部屋に入ったときと同じ状態に戻った。

「……まあまあ、ってところか」

 シェンクは、杖を仕舞いながら今の試合の評価を下した。

「それはどうも。ところで、使いってもしかして……」

「ああ。予定よりも少し早く『時帳とばり降ろし』が解けそうだったんでな。お前に知らせるために使いを出したが…… まさか、聞いてないとかいうわけではないだろうな」

「一応聞くけど、それはアンサヴァス教のローブを来た男?」

「何を馬鹿なことを。うちの一番弟子…… いや、三番くらいか? の魔女だ」

 そこまで聞いて、エンリはある事を思いだした。

「まさか、ルピルナ?」

「なんだ、やっぱり聞いてここまで来たんじゃあないか」


     *   *   *


「さて、どうやってあの大陸に向かうか、が大きな問題だな!」

 ログレスは、里の外れにある墓地で、ずっと空を見上げていた。もちろん、視線の先には浮遊大陸カレンヴァーザが浮かんでいる。

 もう、こうして丸々一日が経とうとしている。

 ログレスは色んなことから吹っ切れたものの、物理的な壁に衝突していた。

 いや、物理的な壁はない。ただ、高いだけではある。

 このリアンカタスの里から、カレンヴァーザへ行く手段がないのである。

 セランゼールに頼めばいいのだが、彼女曰く、一度に運べるのは二人まで、しかも、カレンヴァーザは同じ場所に浮いていないために、着陸できる場所へ行ける機会が一週間に一度程度、ということで、誰かが一週間置き去りになる。いくらチャイクロが小さい猫とはいえ、それはあくまで見た目が猫なだけで体重は意外とある。

「本来なら、チャイクロも飛べるようになるはずなんだけどね」

 セランゼールはそう言ってはいたが、まだまともに人の姿としてあり続けることが難しい彼に、長時間人を乗せた状態で飛び続けること自体が難しい。どちらにしても、そんな訓練をしている時間もない。

 それに、クリエラもカレンヴァーザへ行くことは反対したままだ。なんせ、図書館の件から変わったことは、サングレシアも当時置いていかれたことを後悔していたことと、エンリが時間に関係する魔法を得意としていることが分かったくらいで、ログレスたちの状態がまったく改善されていないからだ。

 単純な話、このままエンリに再開してもまた同じように拒絶されて終わるだけになる。

 そんな折に、セランゼールがログレスのところへ来た。

「まだここにいたのか。君にお客さんだよ」

「客? 我が客だというのにその我に客?」

 少々面食らったログレスだが、とにかくセランゼールに借りている家まで戻る。

「あ、エル王子! お久しぶりです!」

 すると、家の玄関近くで待っていた見覚えのある女性に声をかけられた。

「誰ぞ我を王子と呼ぶものは……」

 その女性は、エンリに会ってからは全く会わなくなった女性。それまでは毎日のようにあっていたのに、今となってはもうずいぶんと昔のように感じる、懐かしささえ感じる顔だった。

「ル、ルピルナ…… なのか?」

「まったく、父王様がたいへんお怒りでしたよぉ! サングレシア様にすら何も言わずに飛び出して! ……でも、無事が確認できてなによりです」

 とても懐かしいやり取りであった。が、ログレスにとってそれは驚きでしかない。ここからは遥かに遠いエメリッド大陸にいるはずの彼女が、何故ここにいるのか。

「とにかく、中に入ってください。詳しい話は中の方にしていただきます」

「な、中に誰か来ておるのか?」

「入ればわかります」

 ルピルナは怪しい笑顔で、ログレスを家の中へと招き入れる。この家の持ち主はどちらでもないのが少々滑稽ではあるが。

「わ、わかった……」

 怪しみながらも、ログレスは数日世話になっただけなのに妙に住み慣れた家に入る。そこには、つい先日エンリと朝食をとったテーブルに、クリエラとチャイクロ、そして見たことのある女性二人が席についていた。

「あ、エ…… いや、ログレス。おかえりなさい」

「う、うむ。……クリエラ、こちらのお二人は」

「ほぼ半年ぶりくらいか? すっかり男前になったようにみえるのう」

「私はもう少しあとだったかェ。それでも三カ月は経ってますねェ」

 二人とも、ここにいるような人物ではない。

 世界三大魔女であるコリットとドーミネンの二人が、この小さな家のテーブルに座っている。

 ログレスが入口で固まっていると、後ろからルピルナが入ってきたことで、無理やり部屋の奥へと押し込まれた。

「こ、これはどういうことだルピルナ!」

「怒らないで下さいよぅ。元々、私はシェンク姉さまの使いでエメリッドに飛ばされただけなんですからぁ」

 突然の告白に、ログレスは固まる。

「な、何を言い出すのだ? 城にいた頃は一言もそんなことを……」

「転送魔法の影響じゃ」

 二人の会話に、コリットが割って入る。

「もともと、魔女は世界中を一瞬で移動する魔法があるのじゃが、少々やっかいな欠点があってな。転送元と転送先にそれぞれ目印となる『転送陣』が必要だったり、転送されるものは魔法『三身の保護』が必要だったりするんじゃが、こやつの三身の保護がどうやら不十分だったらしく、記憶と魔霊素が少し不完全な状態でエメリッドに飛ばされたようなのじゃ」

「そもそも、転送陣の存在しないエメリッド大陸へ転送しようと発送するシェンク姉さまに問題があると思いますぅ!」

「……つまり、ルピルナ様は、元からあのカレンヴァーザの方だったということでしょうか? 初耳なんですけど」

「初耳も何も、ルピルナはエメリッドに着いたとき、そのことを覚えてェなかったんでしょう。私もコリット姉さまも、あなた達が来た後でルピルナが来てェ、事の流れを話していったから、なんとか追ってこれたのだし」

「それより、ドーミネン様はここにきてよろしいのですか? あまりミゴナ・ナラルから離れるということを聞いたことがないのですけど……」

「むしろ、それくらいの事が起ころうとしている、と認識するべきだな」

 里の外から、またまた聞きなれた声が聞こえて来た。

「あ、アツト殿! 其方も来ておったのか!」

 ゼーオ・ナラルで分かれた魔女が、あの時よりも物々しい姿で現れた。見た目は完全に軍人の格好をしており、以前もそうだったが、どこからみても魔女の雰囲気を感じない。

「これから起こることを考えたら、三大魔女の力はもちろん、カレンヴァーザにいく手筈も必要だろう。まさかこんなに早くアイツが役に立つときが来るとは思わなかったけどな」

「あいつ? あいつとは……」

 一気に情報が増えて、もうログレス自身頭の整理が追い付いていない。

渡運機号とうんきごうだよ。戦争が終わったとはいえ、まだ我々は空を飛ぶ技術が未熟だ。まして、今のカレンヴァーザの状況を考えても、姉さまたちですら転送魔法で向かうわけにもいかない。……エンリだって、セランゼールに送ってもらったんだろう?」

 アツトの話で、ログレスは一つだけ確信したことがある。

「……あの空飛ぶ船で、カレンヴァーザに行くのか?」

「そうさ」

 アツトは誇らしげに言う。

 もう、ログレスに迷いはない。

「我も! 乗せてくれ! ついて行くぞ!」

「ログレス! ダメです!」

 とっさにクリエラが制止する。なんせ、エンリ出立前の鬼ごっこの解明ができていない。

「むしろ、なぜついて行かなかった? 四天の武具も加護があれば戦えずとも、死にはしないじゃろうに」

「エンリ様に、鬼ごっこで負けたんですけど」

「鬼ごっこ…… だと?」

 クリエラは、コリット達にエンリがここを発った時の話を伝えた。

 ログレスも、近づくにつれて自分が遅くなる現象を伝えると、コリットが理由を察した顔で話し始めた。

「その話だと、ほぼ間違いなく時空干渉を基礎に置いた魔法のたぐいじゃろうな。リンカならやりかねん。しかも、話の内容では、恐らくは連れてゆくつもりだったんじゃろうな。しかし、まだそなたの力が足りず、逆に危険にさらすことになる故、仕方なく残していったと思われる。恨むなら、そなたの力不足を恨め」

「その、リンカ殿と言うのは、一体全体誰なのだ! 爺様の手記にも出てきたし、我には知らないことが多すぎる!」

「……なんじゃ、知らずに今まで一緒に居ったか?」

 コリットは、ドーミネンに視線を向ける。彼女も、『把握していない』と取れる表情を向ける。

「……よかろう。その辺を話すついでに、あの時の続きを教えてやろう」

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