第八章 先逝く者へ送る歌

第17話

 ケルメードは多くの有鱗族が故郷としている里で、港町キカンクスとはフロンプ神坐殿を挟んでほぼ反対方向に位置する。どちらもツツキ山脈のふもとであることには変わらないが、こちらは背の高い木々が茂る森の奥にあるので、対照的な印象を受ける。

 ルカーネと名乗った有鱗族が手綱を握る翼獣ポラポアの背に乗って風に煽られること数分、向かい風であったこともあり、待った時よりも多くの時間をかけて、一行は古き故郷ケルメードに到着した。

「……寒い! なんだこの寒さは、は、ハクション!」

「ログレス、具足への魔霊素の循環をもっと意識的にすれば、多少の環境調整ができるはずよ?」

「ついこの間習ったばかりの技術がいきなり使えるわけがなかろう!」

 文句を叫びながら、後ろにいるクリエラを見る。が、彼女は同じくらいの身なりでありながらも、寒そうな雰囲気を感じない。

「……そなたは寒くないのか?」

「はい。魔霊素の操作には覚えがありますけど」

「こちらの大陸についたばかりだというのに、すまない」

 エンリ達を迎えに来た有鱗族の男性は、ポラポアの背から降りながら言葉をかける。

「それより、サンサタ姉さまが危篤と言うのは?」

「うむ、そなたが魔女であるならば知っていると思うが、魔女は死を迎えるとき、肉体が残っているのならば体内の守り子が魔霊素の不足に陥り、暴走を起こす。実は夏の終わりごろから葬廻守の守り子が制御できなくなる事態がたびたび発生していたらしいのだ。だが、この大陸は魔女の出入りが少なく、その上通信手段も少ない。里の魔法の使い手たちの発案で、一時的に葬廻守を、家ごと時間凍結魔法を施すことで、死の進行と守り子の暴走を止めていたのが、魔法制御の関係でその状態が持って二週間しか施せぬのだ」

「つまり、二週間ごとにその魔法をかけつづけている、と」

「理解が早くて助かる。もう里にいる魔法の使い手では、持ってあとひと月持つかどうかだった。そこへあの演奏を、たまたま魔法を施す前の葬廻守がお聞きになられて」

「確かに、あの土笛はサンサタ姉さまからいただいたもの。音色と奏者を覚えておられたのね……」

 既に全員がポラポアから降り、エンリ達は乗降広場から抜け、土壁とレンガ屋根で作られた街並みを歩き始めていた。

「申し訳ないが、連れの方々はこちらで待っていて頂きたい。何かの拍子で守り子の暴走が始まるかもしれないところに連れていくことはできぬのでな」

「私はお供します」

 パルティナは静かに主張する。

「僕も! ゼッタイいたほうがいいよね」

 チャイクロも、尻尾をパタパタさせて主張する。

「なら、我とクリエラは別の場所で待たせてもらうとしよう!」

 街道をそのまま進んでいくと、ちょうどそこそこ大きな湖の前に出た。するとそこには別の有鱗族の男性がエンリ達を連れた男性を待っていたようだ。

「ルカーネ、迎え助かった。そちらがエンリ様か?」

 同じ服装をしているが、こちらの男性は鱗が青く、どちらかというと魚類を思わせる風貌をしている。

「ああ。お連れした」

 と、エンリを連れてきたルカーネはふと思い出したように続けた。

「そうだ。リュッズ、こちらの二名を里の集会所まで送ってもらえないか?」

「む、そうか。任せよ」

 リュッズと呼ばれた有鱗族の男性は、気さくな感じでログレスとクリエラを連れて街の賑やかな方へと向かっていった。

「さあ、こちらだ」

 エンリ達は、その湖に沿ってどんどんと人気のないほうへと案内されていった。

「葬廻守の周りは、人払いができるようにこの湖の真ん中の神殿で療養している」

 その言葉に目を湖に向けると、確かに奥の方に白い建物が見える。

「あれは、アンサヴァス教団の建物だったかしら?」

「いえ、我らは神を信仰しておりません。土地神の『深き獣』たちの像があるだけです」

 そうだったかしら? とエンリは過去を思い出してみた。

 エンリは、ここに来たことがある。もう四十年以上昔ではあったので、あまり鮮明な記憶ではない。ただ、旅の仲間とある目的のついでに寄ったくらいで、滞在も二、三日程度だった。ふと、その時思い出したのが、この建物は当時なかったということだ。

「……領主の家があったはず」

 その言葉に、ルカーネは足を止めた。緊張の視線が、怒気を孕んだ目に変わり、

「何故、そのことをご存知か」

 と、ゆっくりと質問した。

「昔の話よ。その館が燃えているのを見たことがあるの」

 そこまで言うと、ルカーネの瞳が先ほどと同じくらいの緊張感のある目に戻った。

「すみませぬ。過去の、その館の主人が色々と*悪さ*をしたもので」

 そこまで言って、エンリは思い出した。

「フィファルナの件ね。あれもひどい事件だったわ」

「……」

 ルカーネは、何か言いたげな顔を向けたが、結局何も言うことなく再び前を向き歩き続けた。

「……葬廻守は、ずっと心を痛めておられました。姉のフィファルナ様が戦争で亡くなったと知らせがあったときも、あの神殿から出ようとはされませんでした」

「あの戦争は、多くの魔女と、有鱗種と、有毛種の多くの命が失われたわ。私もその一人として加担していたのも事実」

「知っています。葬廻守から伺っています。あの土笛を贈られた経緯も」

「……そう、か。まあ、サンサタ姉さまなら言うかも」

 エンリ達は湖の神殿に到着し、奥へと通された。

 神殿は、その名前の割にこじんまりとした石造りの建物で、周囲の環境には少ない頑丈な石材を使用しているようだ。作られて五十年前後は経過しているが、どこも痛みはない。

 入り口の左右には深古ふかしえの獣である、つがいのロシャカダ(頭は有毛種の人間、上半身が有鱗種の腕が二対、下半身が二股の魚の尾びれを持つ獣)が模られた石像が置かれている。この辺の遺跡ではよくある像で、厄災から建物を守ると言い伝えられている。

 それ以外は特に凝った意匠はなく、ちょっとした祭りを行う以外は滅多に使われることはないであろうと思われるほど、普段使われていない雰囲気が漂う建物だ。

「どうぞ」

 ルカーネは、さらに奥の通路を進み、その先の扉へとエンリを誘った。その扉だけ妙に新しく、今でも普段から使われていることが分かる、生活感のある気の扉だった。

 エンリは、恐る恐るノックする。

「開いてるよ。入っておいで」

 扉の向こうから、甲高く頼りない声で返事が返ってきた。

「失礼します」

 エンリはゆっくりとドアレバーを倒し、扉を開け、押し入る。他の二人もその後に続いて入っていく。

 外からの光が薄く部屋を照らしている以外は明かりらしいものはなく、少々暗い印象を受けた。広さとしては五人くらいが寝泊りできるくらいの奥行きがあるが、ベッドと一対の椅子が置かれた小さいテーブル以外の調度品は特に目に入らない。

「よく来たね、エンリ」

 そのベッドに寝ている声の主、葬廻の魔女サンサタがエンリに声をかける。

「お久しぶりです。サンサタ姉さま」

 エンリは魔女の作法であいさつをする。

「これは、運命かねぇ。ウチの最後を任せるのが、戦争の英雄っていうのも。まあ、悪くないさ」

「姉さま……」エンリは遠いほうの椅子に座りながら「私は英雄なんかじゃあ、ありません」とのささやかな反論に、サンサタは失笑で返す。

「何も、全てを背負う必要はなかったと思うけどねぇ。健気というか、無頓着というか」

 サンサタは、虚空を見つめながら話している。どうやら、目がまともに見えていないようだ。

 そんなサンサタをエンリはよくよく見つめた。サンサタの〝シルシ〟は額にある。が、かつては額いっぱいに刻まれていたはずの〝シルシ〟はほとんどがかすれてしまっており、もうほとんど見えない状態になっている。

「……姉さま、〝シルシ〟が」

「知ってるよ。もう自分で魔霊素をつくれなくなっている。何度か表に出そうにもなったけど、周りの子たちに助けられてね」

 サンサタは笑顔を絶やさない。

 魔女の〝シルシ〟は、少しでも欠けてしまうと守り子の力がより一層強く表に出る。まして、半分以上も消えてしまったとあれば、もう肉体の権限はもとの魔女から奪われているも同然だ。

「だけど、もうすぐ、限界が来ちまうから」

 エンリは確信した。、と。

「その前に、お前が『黄泉よみ送り』してくれないかい?」

 目の奥が、ぐっと辛くなる。

「辛いの?」

 チャイクロが、エンリの膝の上に飛び乗って、エンリの顔を覗き込んでくる。

 それを見たサンサタは、笑顔が消えて驚きの表情になる。

「この子…… ルミッカかい?」

「い、いいえ。私が錬金術で造った複合獣キメラ。チャイクロっていうの」

「よろしくね、おばあさん」

 サンサタは、チャイクロをまじまじと見る。まるでその奥にある、見えない何かを見通そうとしている。

「そう、か。チャイクロちゃんっていうんだね」

 サンサタは再び笑顔になる。気のせいか、先ほどよりも機嫌が良くなったようにも見える。

「確かに、あのままじゃあまた、よからぬ奴らに見つかる。お前さんなりの気配りかい。フィファルナ姉さまに、いい土産ができたさ」

「……姉さま」

「さあ、日が落ちる前に。もう…… 変わる、前に……」

 サンサタから、笑顔が消えた。心なしか、体が徐々に青白くなっていっている気がした。

 エンリは、椅子から立ち上がる。

「パルティナ」

「はい」

 エンリの呼びかけに、パルティナはその両の手をエンリへ差し出す。

「少し、借りるわ」

 パルティナの両腕、つまり腕の形をした金属パルトナードは、本体から切り離されて一つの金属の球に変化してゆく。

 エンリは、深く深く呼吸をする。

 金属の球がゆっくりと棒の形に左右へ伸びる。

「……おはよう、〝天解あまほどきの杖〟」

『おはようございます、あるじ様』

 それは、パルティナの声と同じだった。

 杖を左の手に取り、高く掲げる。それは、持ち主と共に淡く蒼い光をまとい始める。

永久とわの軌跡、終焉の兆し。悠久の時の流れに終わりはなく、ただ上から下へ落ちることわりの如し。汝の歪な理を正しくあらんとするならば、かの者はあるべき場所、あるべき存在、あるべき姿へ還さんと、我はこいねがう者なり」

 薄かった蒼い光は、沈みかけの太陽の朱い光に照らされ、静と動が同居しているような不自然さを際立たせる。彼女の周りの魔霊素が騒がしく動き回り、素界域、覚界域を超え、神界域をつなぐ不可視の門を開かせた。

「あるべき場所とは、人はうつつ、神はたましい、精霊はさとりである。あるべき存在とは、人は生、神は永遠、精霊は輪廻である。あるべき姿とは、人は死、神は不変、精霊は循環である。それらに属さぬ、理より外れしものの魂よ、我が声を聞きたもうたならば、汝の生まれし界域へ帰れ。汝の始まりし存在に帰れ。汝の求めし姿に帰れ!」

 サンサタは、目を見開いた。

 杖の光がサンサタに移り、彼女自身も同じように光り始める。すると、額の〝シルシ〟がより一層蒼く光りだし、そこから深古ふかしえの獣『ロクラドーラ(毛の生えた紐のような獣)』によく似た姿をしたサンサタの守り子が界域を超えて抜き出された。

 守り子は届かない鳴き声を放つと、開いた不可視の門へ吸い込まれていく。

 守り子は、サンサタの体から解き放たれた。

 一瞬、静寂が周りを包む。

 サンサタは、いつの間にか見開いた目から涙を流していた。

「あ、あああ…… ありがとう。ありがとう」

 ゆっくりと、彼女の鼓動が弱くなる。

 守り子を失った魔女は、例外なく死を迎える。だが、もうサンサタの守り子が暴走することはない。それだけが、彼女にとっての最後の救いだった。

「姉さま……」

 虚空を彷徨う瞳から、光が失われ、やがて。

 再び、静寂が部屋を支配した。

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