7:森番
「いやぁぁぁぁぁぁぁぁッ⁉︎」
少女然とした叫び声が深い森の中に木霊する。甲高い絶叫は木々が養分とするかのように吸い取ってしまい、広がりを見せる前に少女の叫びは霧散した。
機関車が噴き出す蒸気のように叫び声の尾を引きながら、巨木の太い根を掻き分け全速力で走る少女を追う破壊音と緑の流線。
十二の赤い複眼を輝かせ、人間一人を容易く丸呑みにできる大顎を開けながら森を削りながら走る蟲のドラゴン。
体長およそ二十五メートル。バグズプレデターの中では平均的なサイズと言えるが、追われる少女としては平均サイズなどどうでもいい。
タオ=ミリメントの頭の中からはすっかりと本来の任務の事は弾き出され、今に対する呪詛が渦巻いている。
帝国の地下水路で出会った巨大な蟲がどうすればタオの想像を遥かに超えてここまで大きく成長するのかとか、最後の食事になるのならもっとレストランで食べておくんだったとか、なぜ自分を狙って追ってきてるんだとか色々だ。
レストランを出てナポロ山を目指し無限に続いているんじゃないかと思ってしまうほどの森を歩き幾数時間。
数時間歩き続けたのと同じように踏み出したタオの足が踏んだ感触は、大きな根の固さとも土とも違うつるつるとした硬質な外骨格。滑って尻もちを着いたタオがモンスターの尾を踏んだ事にはすぐに気付いた。
空を
ゆるりと頭を下げ、金色のツーサイドアップに複眼が照準を合わせた途端、地獄の鬼ごっこが始まった。蟲使いに
ガチガチ噛み合う大顎の音を背で聞きながら、半泣きで走るタオの背に仲間の声援も同じように降り注ぐ。
「流石嬢ちゃん足が速い、森の捕食者に追い付かせないとは期待以上だ」
「そんなのいいからなんで私だけ追われてるのよ⁉︎ 助けなさいよおまえぇぇぇぇッ‼︎」
「悪いが目の保養要因二人背負っててな、ちょいと待て」
「私は腹を空かせてる化物の唸り声を背負ってるの! 待つとかムリだから! スニフターは‼︎」
「女性の涙は美しいな、もう少し見ていよう」
「死ねッ‼︎」
帝国騎士から死を願われるなんて不幸だと嘆く暗殺者二人は全く役立たずらしい。背後をチラリと覗いたところで、洞窟が迫って来るかのような蟲の大口が待っているだけ。腰に差している細身の剣の頼りない事よ。
タオでも分かる、討伐には大砲やら騎士団が必要だ。それをたったの五人でなど笑い話。入国する際に出会った関守の方が正しい。
「もうムリだからぁぁぁぁぁぁぁぁッ‼︎」
ガチンッ! ガチンッ! と服の背を擦るようにカチ鳴る大顎の牙の音。足を緩めずとも数瞬後には散りそうな命に、囮にしてくれた冒険者へ恨みを叫ぼうとした瞬間、目の前からその顔が飛び出した。
「嬢ちゃんパスだ!」
背負っていた魔女二人を女騎士へと投げ渡し、アバカスは地面を蹴り飛び上がる。急に飛び込んで来た獲物を逃す事なく十二の赤い複眼は捉え、狙いを変えて
急浮上してくる牙の群れに笑顔を落とし、足元に暗闇が広がると同時に空を足で弾きアバカスへ身を
コートの端が引き裂かれ、顔の横を通り過ぎる深緑色の鎧の風圧を肌で感じながら、アバカスは右手の人差し指と中指を重ね合わせる。
突き立てるのではなく、差し込むのは鎧の隙間。
相手の勢いも利用しながら、鍛え上げられ魔力によって底上げされた鉄さえ穿つ指先を引っ掛ける。張り付いたシールを剥がすように、鎧が肉から僅かに離れれば後は風圧に後押しされて剥がれ落ちる。
アバカスが身を返し背に森の空気を感じながら天へと頭を伸ばした怪物を見上げた先、落ちる鎧の破片とアバカスを追うようにもう一つ影が落ちてくる。
微笑を
「ぎぎ…………ッ」
途端、ギチギチと噛み合う牙の音を響かせて、頭を天に伸ばしたままバグズプレデターは動きを止めた。外骨格の鎧を震わせ擦り合わせる耳障りな音が木々に反響し、その音を怪物自身が塗り替えた。
「ギシャァァァァァァァッッッ‼︎」
叫び声を中心に長い腹部から生やした無数の足を動かしながら、自分を中心に怪物は
それに合わせてバキバキと硬い物がひび割れる音と怪物の
怪物は己の意識を保ったまま、勝手に動く自分の体で己を破壊する。
自らの魔力を突き刺した相手の体を意のままに操る『
ぴたりと動きを止めて痙攣する蟲肉団子の横にアバカスとスニフターは降り立つと、出来栄えを目に拷問官は肩を
「大き過ぎてこれ以上は操れないな。瞬間的な魔力の注入じゃあ動かせて十秒が限界だ」
「その十秒で倒せたんだからそう落ち込むなよ。あんたがいなけりゃ無駄に時間が掛かるだけだ」
「よく言う、素手で人間を
「何時間も掛かるだろそんなの、時間の無駄だ」
「お、おぃ? もう大丈夫? 動かない?」
蟲肉団子をノックしながら会話をする呑気な男二人に投げられる不安げな声。魔女二人を抱えたまま木の背からひょっこりと女騎士が顔を覗かせる。動かないと証明する為にアバカスが一度蟲肉団子を叩けばタオは肩を跳ねさせた。
「ああ、嬢ちゃんのおかげで楽に済んだ。目立つ囮がいてこそだ」
「このッ、私は本当にッ、ぐッ、もういい!」
「まあまあタオ落ち着いて、ほら、蟲ってキラキラしたモノが好きだからさ」
と銀髪のニコラシカに言われても説得力に欠け、唸りながらタオは魔女二人を地面に下ろそた。そのまま興味深そうに首を傾げて丸まったバグズプレデターに近寄ると、マタドールはその体を指でつつき男二人に顔を向ける。
「どうやったの? 不思議で不気味。早急に私は答えが欲しい」
「悪いな魔女のお嬢さん、それは秘密だ。帝国騎士の奥の手だからな。皇帝に聞かれようが答えはしない」
その答えで納得したようにマタドールは
中身は教えられずとも教えられぬ内容は理解したと魔女は答えを諦め、もっとよく森の捕食者を観察しようとトテトテ歩くが、その歩みをアバカスが止める。
魔女の前を塞ぐように身を移したアバカスをマタドールは見上げ、そのまま翠の瞳を横に移す。
マタドールの頭の横に掲げられたアバカスの拳。その拳が握り締める一本の矢。
べキリと矢をへし折りながら、アバカスは無防備な魔女を背に押し込み盾となる。小さな両手がアバカスのコートの端を握った。怖い訳ではない、盾となる者を逃さぬ為に。
「助かりましたわ、褒めてあげるわアバカス」
「その芝居がかった口調をやめろ、口縫い合わせんぞ」
魔女のお礼に暴言を返し、アバカスが目を向けた枝の上に佇む影。存在がバレた事を察すると、弓の構えを解き、影は軽やかに木の上から地面に降り立った。
森に溶け込む為に深い緑色に染められたマントを空に泳がせ、マントの内側に着込む服は土色の騎士制服。肩に輝くリズーズリ騎士団の隊章を目に、アバカスとスニフターは心の中で強く顔を歪める。
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