9:魔女問答

「どうもマタドール卿、お元気そうで」


 言いながらアバカスは第三図書室の中に目を流す。昨日来た時とほとんど変わりなく、積まれた本の塔の中身が多少入れ替わっているくらい。知恵と情報と歴史の展覧会場から一歩も外に出た様子はなかった。


「────アバカス=シクラメン。なんの御用?」

「用がなきゃダメか?折角どこぞの御上からの許可あって魔女との面会を許されてんだ。その期間中くらい魔女と世間話の一つでもしに来てもバチは当たらねえだろうぜ」

「罰が下るのは濃厚。何故なら規則に違反している。外部の者が立ち入る際は騎士団、又は聖歌隊に類する者の立会いが必須。貴方は一人に見えるけれど? 加えて、貴方が今どんな仕事をしているかは既に聞いている。ただ世間話に来ただけだとは私は思わない」


 勿論もちろん世間話になどアバカスは来ていなければ、本当なら来たくもない。つむがれる魔女の抑揚よくようのない声に、アバカスは腹の内で苦笑した。


(既に聞いてるか……)


 魔女がらみの案件とはいえ、たかが一冒険者の情報など魔女に必要だとは思えない。初めてアバカスがおとずれた際は騎士団を辞していた事も知らなかったはずが、随分な勉強家だとほんの僅かに呟いて。


「なぁに、お目付役の騎士ならすぐに来るさ。そう目くじら立てんな嫌われんぜ? 小綺麗な顔が台無しだ」

「ありがとう」

「別に褒めちゃいねえ」

「最低ね貴方」

「両極端だなおい。そう返答しろとでも誰かに教えられたか?」


 第三図書室の風景から横目にマタドールを見上げ、表情を変えずに小首を傾げる魔女の姿に含み笑う。


 会話の中でマタドールの思考パターンを分析するようにアバカスは魔女の言葉を吟味し飲み込んだ。打てば響く鉄のようにマタドールの反応は素直だ。また一つアバカスは魔女を言葉で小突く。


「他の魔女様に比べてマタドール卿は随分と若いだろ? 色々苦労あんじゃねえか? シャムロック卿やブルームーン卿はもう少し自由にやってたぜ?」

「お姉様方にはお姉様方の考えがある。私には私の考えがある」

「お姉様ときたか。帝国に属する魔女同士の関係性とかどうだっていいが、マタドール卿は学院の第八研究室の連中と随分仲良くしてたらしいな?」


 言いながら、アバカスは壁際のチェストの上に置かれた『心の拠り所』とめい打たれた本の表紙を指でなぞる。高価そうなガラス製の花瓶に飾られた赤い薔薇を一瞥いちべつしながら。


「誰かからの贈り物か? その増やした腕は第八研究室との研究で得た知識による恩恵だろ? ただ欠損した四肢を修復するのとは訳が違え、元々ある骨格から弄る必要があるからなぁ? マタドール卿の専攻は治癒系列の魔法だな?」

「だったら?」

「いやぁ? なら結論から聞こうか。あんたは第八研究室の連中となんの研究をしてる?」


 本の塔の上に座りぷらぷらと揺れていた魔女の両足がぴたりと止まる。他の情報を遮断する為か、四つの手に持っていた本をパタリと閉じて、みどり色の双眸が危険信号のように明滅を強める。


「それを貴方に教える必要はないと私は思案する。聖歌隊の各研究室との研究内容は国家機密に相当する。外部の者に容易に伝えていい内容ではない」

「それが殺人事件の捜査に必要でもか?」

「肯定。どうしても知りたければ、聖歌隊の隊長ないし、大臣の承認が必須」

「それは通称、『絶対に教える事はできません』つうんだよ」

「なるほど、記憶した」


 素直に頷く魔女に舌を打ちつつ、アバカスは己の前髪に人差し指を絡ませた。そう言われてしまえば、事実上魔女から第八研究室の研究に関する情報を引き出すのは不可能であり、この一件に上が関与しているのも間違いない。


 一部で仕事を依頼しておきながら、真相は追うなとばかりに道が寸断されている矛盾。上が一枚岩でないとしても、一枚皮を剥いた先に火山と氷山ほどの違いがあっては行き場に困る。


 魔女マタドールが実際にドランク=アグナスに手を下したのかは最早問題ではない。魔女が自己防衛の為以外に自分の意思で『殺し』の手札を切る事がないと言っても過言ではない以上、裏の存在がほぼ確定した今、追うべきは黒幕。それをあばかぬ限り真相は闇の中のままだ。


「……これ以上あんたと話しても『分からない』で会話が埋め尽くされそうで退屈だな。今日は帰る、また来るぜ」

「分かった。ただ、次来る時はもう少し建設的な会話を私は所望する。世間話をするにしても、何かかてになる話題が欲しい。貴方の振る話題は一般的な安全の境界線ラインを超過している」

「ご心配痛み入るね。しかも世間話までしてくれるとは驚きだ。ただな、かてになる話題っていうのは」

「貴方は事態の真相を追っているのでしょう? 私が殺したのは間違いない。でもそれが何故か分からない。不思議で不気味で不可解で不吉。それを教えて。貴方しか追っていないから、貴方からしか聞けそうもない。一冊の本の中に破れたページがあるみたいに思考の穴が埋まらない。早急にそれを埋めたいの。いいでしょう? それが貴方にとっての世間話のようだから」

「おい、それはっ」


 言いながら、肩を小さく跳ねさせてアバカスは勢いよく振り返ると力強く床を蹴った。突き出した足が第三図書室の大扉を蹴り開ける。


「誰だッ‼︎」


 気配を追って言葉を発した先に人影が待っていた。緩く拳を握るアバカスの目の前で、剣に手を掛け屈むように身構える騎士が一人。ツーサイドアップの金髪を目にし、握っていた拳を解く。


「な、なによ⁉︎ なんなの⁉︎」

「…………嬢ちゃんか、盗み聞きとは礼儀が成ってんな。普通に入ってくりゃいいだろ」

「盗み聞きとか人聞きの悪い事を言うな‼︎ 今来たばかりで何を盗み聞くって言うの⁉︎ 私にだって我慢の限界が」

「なに……?」


 タオから視線を切り真っ直ぐ伸びる廊下を見回すが人影はない。だが、確かに第三者の気配をアバカスは感じた。第三図書室の前でうごめく気配を。猛獣が獲物を狩る為に息を潜めるのとは違う、輪郭をありありと浮かび上がらせるような激情の発露。


 身を焦がすような気配の残熱か、生温い空気を追うようにアバカスが目を向けた先、第三図書室の大扉の対面の窓が僅かに隙間を開けている。


 怪物の吐息の如く吹き込む隙間風をさえぎるようにアバカスが窓を閉じれば、隙間風と入れ替わりに少女の声が降り掛かる。


「お気を付けてお帰りになって、アバカス=シクラメン。貴方に幸のあらんことを」


 アバカスが第三図書室へと振り返れば、マタドールはもう冒険者の男を見てもいなかった。手の本を再び開き、何事もなかったかのように情報の蒐集に埋没している。


 その規定に沿ったようなうたい文句が気色悪く、決まり切った文言とは裏腹に、心配しているかのような魔女の抑揚にこそアバカスは冷や汗を垂らす。


 魔女が自発的に口にする言葉とは違う、人を相手に試行錯誤を繰り返し創り上げたか覚えた言葉。戦場に兵士を送り出す言葉。


 それを振り切るようにアバカスは歩きだす。背中にへばりつくヘドロのような感覚を引き剥がし足早に去るアバカスと第三図書室の間をタオの視線が泳ぐ中、マタドールの瞳がまたたき、一人勝手に扉は閉まった。


 剣から手を離しタオは騎士崩れの後を追う。


「おい? どうした? なにがあった? おい」

「別に何もなかった。いや、あるにはあったか」


 三年前だ。三年前に長らく続いた大戦は終息した。


 多くの異種族を巻き込んだ世界大戦、魔族と呼ばれる種族の侵略から始まった戦いは、不毛な消耗戦を目前に控えながらも恒久的に終わらないかと思われていたが、長らく続いた大戦に疲弊し、帝国を含めた大小十六の国が同盟を結び、魔族の国に対し魔女による超遠距離魔法爆撃を行った事で突如終わりを迎えた。


 結果地図上から魔族の国は永遠に消滅した。過程を省略し更地となった土地以外に何が残ったのかは誰も知らない。ただ後に残ったのは、平和を喜ぶ人々の声と、だったら最初からそれをやれと嘆く人々の声。魔女が最終兵器として人々に認知される事になった事実だ。


 長らく大戦に消費された騎士や聖歌隊の者達がこの結果にまるで反発しなかったのかと問われればそうではない。


 魔女という規格外の怪物が平和と恐怖の象徴として担ぎ上げられ、騎士達の功績を塗り潰した結果多数の離反者が出たのも事実。それを狩ったのは他でもない暗殺部隊の役目であった事は想像に難くないだろう。


 魔族の教義故か、魔女を所持していなかった魔族に対して、世界大戦は魔女を兵器として扱うデモンストレーションとしては最大の結果を発揮した。


 人々の予想を遥かに超えて。


(……貴方に幸のあらんことを、ねえ?)

 

 兵士を戦場に送る言葉。アバカスも耳にタコができるほどに聞いた言葉。魔法職によって構成された聖歌隊の中でも、治癒魔法などを得意とする聖職者が主に口にする常套句。


 タオに裏取りの結果を聞く必要はない。魔女の言葉自体が大戦帰りの者も在籍する第八研究室との接触を物語っている。魔女が自ら口にするような言葉ではないからこそ。


 宮殿を後にし、タオの呼び掛けにも答えず歩き続けるアバカスに業を煮やし、宮殿の鉄門を越えると同時にタオはアバカスの肩に手を置くが、それでも足は止まらない。


「おいアバカス! 聞いているのか?」

「聞いてるよ。第八研究室の奴らはマタドールと随分親密だったらしいな。大戦時代の常套句をわざわざ教えるぐらいには。マタドールは帝国が大戦末期に手にした帝国で最も新しい魔女だ。嬢ちゃんもそれぐらいは知ってるだろうが、他の魔女と違って戦場に足を運んでいないはずのマタドールが騎士や兵士を送る言葉を知っているとは考えづれえ」

「あ、ああ、それで?」

「仲良しな第八研究室との共同研究の詳細を魔女の口から聞き出すのは不可能だ。上から圧力が掛かってやがる。が、聞き出せねえなら、逆にそこにこそドランク=アグナスが殺された理由があるはずだ。沈黙は金とはよく言ったもんだぜ。語られないそこにこそ隠された財宝が眠っている。ただそりゃ禁忌の宝箱だ。ここまで分かったなら普通は手を引く。誰だって死にたくはねえからな」

「ではっ」

「ああ、だが残念ながらこれがお仕事だ。冒険者は命を安売りすんのが仕事とか誰かが教えてくれたっけな。それを言った奴は口にした三日後にモンスターに食われて死んじまったが」

「ば、馬鹿! そんな下手な冗談を言ってる場合か⁉︎ 上が関わっているのが確定しているなら、それこそキアラ団長にでも掛け合って」


 それは無理だと鼻で笑い飛ばし、肩を掴んでいるタオの手をアバカスは払い除ける。例え何をうったえたところで、『そんな事は元々知っている』か、とぼけられるだろう事くらいアバカスには容易に想像できた。


「上の方がしがらみが多い。団長殿がどうにかできるような事なら、ハナから自分でやんだろ。あの人はそんな人だ。暴力魔人だし、力だけで解決する事柄ならさっさと終わらせてる」

「だ、団長でも無理なのならなぜ私に? なぜ私達は動いてる? 私は罪の隠蔽の片棒を担ぐ為に騎士になった訳ではッ」

「忘れたのか依頼の内容を」


 真相を追え。ただそれだけ。単純故に明解。それ以外に与えられた仕事はない。つまりどんな思惑が渦巻いていようと、隠された真実を暴く事が全ての解決に繋がる。


「それだけを考えろ、別のモノを追ってて辿り着けるモノでもなかろうぜ」

「なんでおまえは」

「あの……騎士様?」


 不意に横から声を掛けられ、騎士と冒険者の四対の目がそちらに向く。声を掛けてきたのは困り顔の女性。アバカスには顔を向けず、その目はタオだけを見据えていた。


「向こうの通りで男達が喧嘩を。仲裁していただけませんか?」


 格好を見るに女性は飲食店の従業員なのか、店の前で男達が殴り合いの喧嘩を演じているらしい。タオはこんな時に不要な仕事をと一瞬顔を歪めるも、女性の困り果てた顔を見据えると迷わずに頷いた。


「すぐに行こう、アバカス、少し待っていてくれ。一緒に来てくれてもいいが」

「そりゃ別途料金が掛かるな、手伝うとしていくら払う?」

「このッ、言うと思ったッ。大人しく待ってろ!」


 融通の利かない冒険者への怒りを暴漢への八つ当たりで発散してやるとばかりに走り去って行く騎士を見送り、アバカスは大きく深いため息を吐いた。


「あんたは行かねえのか? 騎士の嬢ちゃんは行っちまったぜ?」

「あ、はい、私がついて行ってもお役に立てなさそうですし」

「そうか? そうは見えねえな? そのふところのやつを使えば、嬢ちゃんに頼まずともあんた自身で喧嘩を仲裁できそうなもんだ」

「あぁ、いえ、これは、これから使うので」


 にっこりと女が笑うのに合わせて、横殴りの衝撃がアバカスを襲った。腕を折り畳み身を守るも、アバカスの体が脇に伸びている路地へと押し込まれる。


 路地を塞ぐように立つ女と、アバカスを殴り飛ばした巨漢の男。殴られた腕を軽く振りながらアバカスが背後に伸びる路地へと目を向ければ、逃げ道を断つように二人の男が立っている。


「あぁ……これも別途料金必要……じゃなさそうだな」


 女がふところから短剣を引き抜いた。今一度ため息を足下に落とし、アバカスはそれを踏み潰す。






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