8:白過ぎる

「白だな。真っ白」


 第八研究室の魔法使い達四人の写真が貼られた経歴書を鉄製の丸テーブルの上にアバカスは放り捨てる。


 聞き込みを終え、ニコラシカと二人は別れ学院内のテラスに身を寄せていた。昼時で賑わう学生達に混じり、タオが購入したサンドイッチを経歴書の代わりに手に取ると旨そうにアバカスは口へと運ぶ。


 ちらちらと向けられる多くの視線。王族は別にして、聖歌隊も騎士団も学院に通う帝国民達にとってはあこがれの対象である事に間違いはない。少なくない学生がその地位に着くことを目指しているのだ。


 そんな視線にさらされるのも本来なら内心誇らしいが、居心地悪そうにタオは腕を組み、周囲の羨望の瞳から逃げるように丸テーブルの上へと目を落とす。


「聞いた話と経歴書に食い違いがある訳でもねえ。日々、より効率よく簡単に効果がある治癒魔法の研究に精進してると。犯行時刻にゃ全員揃って研究室に居てアリバイもしっかりありやがる。他の研究室の連中と小競り合いがあった訳でもないときた」

「……振り出しか?」

「んなわきゃねえ」


 騎士に否定を返しながら、アバカスへまた一つサンドイッチを口へと放り込む。


「真っ白過ぎる。如何いかにも悪い事はしてませんと取りつくろってるみてえにな」

「それが悪いのか? 誠実なのは良いことだ」

「世間的にはな。ただ忘れたかよ? 聖歌隊は国お抱えの研究組織でもあんだぞ?」


 一般人からすれば喜ばしい事かもしれないが、元々騎士団の暗殺部隊にいたアバカスからすれば手放しに喜べる事でもない。


 騎士団の中にさえ表立ってできない事を遂行する暗殺部隊がある以上、対となる聖歌隊に薄暗い事がないと断じる事はできない。


 無論そんなモノはないに越したことはないが、一応とばかりに渡された経歴書はただ適当な文言の書きつづられた紙っぺら以上の価値はなく、アバカスは再びその四枚の紙に手を伸ばすような素振りは全く見せない。


「そこまで白いなら、ドランク=アグナスが殺される理由がねえ。現段階でさえ突発的な犯行じゃねえ事は分かってんだ。誰に恨まれてた訳でもねえのにやたら高度な方法で殺されてるなんざおかしいにも程があんだろ」


「それに」と付け加えて、アバカスは指で丸テーブルを小突きながら話を続ける。


「より効率の良い治癒魔法の研究だぁ? んな町医者でもできそうな仕事、腐っても国家機関の仕事じゃねえだろ。モンスターを鏖殺おうさつする為の毒魔法の研究してますとでも言われた方がまだ納得できんぜ。つまりこりゃあ」


 その先の言葉をアバカスは飲み込んだ。


 まるで黒さのない経歴書はこれで納得しろとばかりの警告文も同じ。上が情報を渡してくれたとしてもこれでは全く意味がない。自分が殺ったと口にした魔女を犯人に事件を収束させ迷宮入りさせたいのか。深入りするなとばかりの目に痛い白さ。


 だからこそ、その白過ぎる色の対とばかりに濃い黒色が影の中に潜んでいるのが容易に見えてくる。


「第八研究室は何か表沙汰にできねえ事をやってるのは間違いねえ。それも上層部が関わってるような何かだ」

「おいっ⁉︎ …………それはこんな場所で話すようなことかっ」

「どこでだって変わらねえさ」


 少しばかり空を見上げ、出ようとした悪態を口に詰め込んだサンドイッチで押し戻す。


「じゃなけりゃドランク=アグナスの死に説明が付かねえ。娼館街のみならず孤児院も定期的に回り無料で健診していたらしい善良なイメージをくつがえすだけの何かがあるはずだ」

「間違いないのか?」

「俺達が第八研究室に行った時点でダルク=アンサングが『今更』と口にした。どうせろくな情報ねえと思って深く事件関連の事を嬢ちゃんにゃ聞かなかったが、第八研究室への事情聴取自体今回が初めてだったんじゃねえか? 報告書の類もどうせありゃしねえだろ」

「……悪かったなろくに情報なくて」


 渋々ながらアバカスの予想を肯定し、タオは八つ当たりとばかりに人差し指で経歴書をつつく。


 事件から五日。殺人事件が魔女がらみであると分かっていなかったなら、ここまで事態は停滞していない。


 順番としては、殺人事件が発覚し、被害者の身元が特定される前に世間に事件が公表され、その間に魔女が自供したのだろうとアバカスは予想する。


 騎士団が本格的な捜査に動く前に打ち込まれた魔女という極大なくさび。それが本来の流れを断ち切った。第三騎士団長の口にした誰かが動かなければ迷宮入りさせる腹積りという話に嘘はない。


「これまでに情報がなかったのはまあいいが、魔女の関与だけは匂わせるかのように、第八研究室の連中はここ二ヶ月の間だけでも何度も魔女マタドールに接触している。研究協力の為にな。バム=チャングが三回、ダモン=ハグワスが五回、ダルク=アンサングが二回、アルサ=ドレインが一回。ドランク=アグナスに至っては十八回もだ。その数に間違いないかは宮殿の護衛してる騎士にでも裏を取りゃいい。問題は、ただの治癒魔法の研究で魔女に会いに行く必要がねえ事の方さ」


 魔女の膨大な力や高度な知能と技術は、戦争時の最終兵器として以外に、一般的な魔法使いなどにできない事をやる為にこそあると言っていい。


 国家的に重要そうでもない案件の相談に乗れるほど帝国の魔女は暇でなければ、世間話の相手ぐらいの使い方など帝国側が許すはずもない。


 事件の捜査の為に魔女に面会叶う外部の人間であるアバカスが例外なだけで、魔法使いが魔女を訪ねる行為は、魔女の力や知識を必要とし、それが認められるだけの理由がある事に他ならない。


 白い経歴やアリバイの中にぽつんと置かれた『第八研究室の聖歌隊員達は魔女に会っていた』という一点。その一点が白の中の大きな歪みとして鎮座している。


 アバカスは少し前のめりになると、声量を落とし口端を持ち上げる。


「宮殿の出入りを管理してんのが聖歌隊じゃねえからこそ、隠してもバレると踏んで開示したんだろうが、それだけで白を裏返しうる事実だ。第八研究室の連中は魔女に何の協力をさせていた? そもそも、魔女の自供さえ真実か怪しくなってきたぜ」


 魔女は己の無害さに重きを置くが、必要と判断さえすれば嘘も吐く。今一番望ましくないのは、上も上から魔女に指示が降りている場合。


 皇帝、もしくはそれに続くトップ層が緘口かんこう令でも敷いているのであれば、魔女が動機や方法を『分からない』と口にした事にも説明がつく。


 魔女が殺ったという事実さえあるように見せれば、多くを有耶無耶にできるのだから。


「待て……待ってよアバカス。もしそうなら、そうだとしたなら、聖歌隊は何を隠してる? 私の想像以上に上の存在が動いているのなら、この事件はそれこそ末端の私が関わっていい範疇はんちゅうを超えている。私達はいったい何をやらされてる?」


 顔色を青くして、タオも前のめりに身を屈めた。何が正しいどうこう以前に、上からのしかかってくる見えない重圧。不正を好まぬタオではあるが、身の程をわきまえるだけの理性はある。


 騎士団の数も限られているとはいえ、末端の一人でどうこうできるほど帝国の規模は小さくなく、人材不足でもない。


 アバカスはまた一つ口にサンドイッチを運び、ゆっくりと咀嚼して水を飲み喉の奥へと押し流す。


「ただ一つ言えるのは、俺達の想像以上のナニカだ。いずれにせよ、真相を追えという依頼である以上、追えば何かは分かんだろ。ある程度の情報は知れた。第八研究室の奴らが魔女に面会した裏を取る事も含めて、マタドールにもう一度話を聞きに宮殿に行くぞ。どこまで答えられどこまで答えられないのか。それが分かりゃ俺達の次の動きも決められる」

「………そこまで想像していながら、下りるとは言わないのね」

「もう前金貰ってるからな。給料分の仕事はするさ」


 陰謀論めいた事よりも金の方が大事。そう言うように最後のサンドイッチを咥えながら席を立つアバカスを見つめ、少し遅れてタオも席を立った。


 来た時と変わらぬ足取りで学院を出て行くアバカスを追って、重い足取りでタオは続く。


 不正をゆるさず、正義の執行人として騎士に憧れその地位をタオは掴んだが、想像と現実の差異の摩擦に心がきしむ。護るはずの対象が濃さを増す霧の如く怪しさを深めるばかり。


 少しばかり不可解な殺人事件の捜査のはずだった。蜥蜴トカゲの尻尾を握るだけの役だったはずが、今や裏返してはならぬ危険札を握らされている気分だ。


 頼まれているのは捜査への同行。だが、どこまでついて行けばいいのか定かでない。追う男の背中が死出の旅路を先導する死神に見えてくる。


 たかが金を積まれただけで、何を迷わず進めるのか。目の前を塞ぐ無駄に大きな背中が不気味に揺れる。


 何度も歩いた煉瓦レンガの道が全く別の道に見えてくる。このまま進んでいいものか、好ましくない男であるが、今は沈黙の方が息苦しく、目の前の背中に何か言葉を投げようとタオが口を開きかけたところで足を止めアバカスが振り返った。


「な、なに?」

「なにじゃなくてもう着いたぞ。呆けた顔しやがって、嬢ちゃんは魔女が苦手みてえだからな、他の騎士から第八研究室の奴らの裏を取れ。魔女の相手は俺一人でいい」

「それは」

「別に暴れたりしねえよ、心配だってんなら話を聞いたらすぐこっちに来りゃいい。それぐらいの信用はして欲しいもんだ」

「……おまえは魔女が苦手じゃないの?」

「いいや、苦手だね。嫌いだぜ、とてもな」


 宮殿の第三図書室の前でタオと別れ、その背が視界から消えるのを見送って、アバカスは大扉の取手に手を伸ばした。

 

 扉の先では昨日と変わらず本の塔の上に座って魔女マタドールが待っている。四つの腕でそれぞれ持っている本を閉じる事もなく、来客へと色の変わらぬみどり色の視線を落とす。


 不変的な無表情を見上げて、逆にアバカスは口元に三日月を浮かべた。






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