第53話 白雪姫とお揃い




「はっ、はっ…………!」



 晴人は駆け足気味に約束の場所へ向かうも、玄関から裏庭までの距離は然程遠くはないので大して時間も掛からず無事に到着した。動揺していたということもあり慌てて足を運んだ所為で僅かに息を乱してしまうが、きょろきょろと視線を巡らせながら由紀那の姿を探す。



「良かった。いた……!」



 ほっ、と安堵を洩らした晴人は、日陰のベンチに座って何やら本を読んでいる由紀那を見つける。そよ風に靡く濡れ羽色の長髪に、本に視線を落とす儚げな瞳。遠目から見ても相変わらず絵になる美少女っぷりだ。


 予定の時間から十数分過ぎてしまっていたので、この場所に向かうまでの間由紀那が帰ってしまうのではないかと冷や冷やしていたのだが、一安心である。


 ———元々、晴人の方から渡したい物があると昨日由紀那にメールで伝えて時間を都合して貰っていた。

 恩人である仙元と久々に会ってつい話し込んでしまったとはいえ、由紀那に会えていなかったら流石に目も当てられなかった。もしそうなっていたら、ショックで数日間食事が喉を通らない自信さえある。


 まぁ晴人が約束の時間に遅れてしまったのはもはや言い逃れ出来ない事実だ。もし責められても甘んじて受け入れようと覚悟を決めて、呼吸を整えた晴人は由紀那が座るベンチの方へ歩き出した。



「ごめん由紀那、遅れた」

「ううん、本を読んでいたから気にしないで」



 驚かせないように晴人がそっと声を掛けると、由紀那はぱっと顔を上げながら言葉を紡ぐ。その表情は普段通り変わりないが、その瞳の奥には分かりやすく安堵した様子が見受けられた。


 それもそうで、全く人気のない裏庭でたった一人晴人を待っていたのだ。しかも約束の時間を過ぎた状態で、だ。きっと寂しい思いをさせてしまったようで申し訳ない。


 由紀那は今まで読んでいたであろうレザーブックカバー付きの本をパタンと閉じると、座ったままの上目遣いで晴人を見上げた。



「それにしても珍しいわね? はるくんが約束の時間より遅れるだなんて」

「あぁ。その、俺が一年生の頃お世話になった先輩と久々に廊下で会ってさ。つい話し込んでたら遅れちゃったんだ」

「……そっか」



 一言そのように返事を返すと、由紀那は自身が座るベンチの隣をぽんぽんと軽く叩きながら「ここ、座って?」と淡々とした声で晴人に促す。


 どうやら遅れてきたことに対し怒ってはいないようだが、晴人を見る真っ直ぐな瞳にどことなく圧を感じるのは気の所為だろうか。ひとまず言われた通りに由紀那の隣に座る晴人だったが、彼女の視線はじーっと晴人を見つめて離さない。


 最近では由紀那と一緒にいる機会が多いとはいえ、彼女は端正な顔立ちをした紛れもない美人さんである。そんなにまじまじと見つめられると、どうしても落ち着かなかった。



「ねぇはるくん」

「な、なんだ!?」

「その先輩って、もしかして女の人?」

「ど、どうしてわかったんだ……?」

「ん……女の勘?」



 由紀那はこてん、と可愛らしく小首を傾げるも、晴人としては事実なのでただただ驚愕に目を見開くしかなかった。女の勘はよく当たると言うが、実際に目の当たりにすると動揺を隠せない。突然秘め事を見透されたカップルの男性側はきっとこんな気持ちなのだろうか。


 いや、そもそも由紀那とはまだ付き合ってはいないのだが。



「ごめん、別に隠すつもりじゃなかったんだが……」

「いえ、責めてる訳じゃないの。はるくんの交友関係に私が口出しする権利はないから。わざわざその事を言わなかったのも、きっとはるくんなりの私への配慮なのでしょう?」

「ん……まぁ、そうだな」

「うふふ、具体的にそれがなのか貴方の言葉で聞きたいところではあるけれど、聞かないであげるわ」

「お気遣い頂きありがとうございます……」



 別に晴人より一学年上の先輩である仙元と縁があることが恥ずかしい訳ではないのだが、思いを寄せる由紀那へわざわざ異性と話し込んでいたことを伝えるのはどうしても憚られた。


 気になっている人に対して他の女性の話をする程無粋ではないし、由紀那を支えたいと決意した手前、他の女性の影をチラつかせるのも気が引けた。

 何より、由紀那には余計な心配を掛けさせたくはなかった。


 これまで晴人が由紀那を見てきたように、どうやら彼女も晴人の人柄への理解を深めつつあるようだ。由紀那が優秀なのもあるのだろうが、なんだか心の中を見透かされているみたいで気恥ずかしい。



(って、そうだ。由紀那に渡したいやつがあったんだ)



 果たして彼女が気にいるかは不明だが、今日ここで待ち合わせをしたのはそれを渡したかったからだったと今更ながら晴人は思い出す。とはいえ現在では完全に自分から話題にして渡すタイミングを逃してしまったのだが、一体どうしたのものか。


 思い悩みながらもこの焦れったい空気感に口から飛び出たのは、こんな言葉だった。



「そ、そういえば由紀那。さっき読んでいた本ってどういうのなんだ?」

「えっとね、これは『ぶちかませ! テンション爆上げコミュ力向上バイブル 〜え、孤立したこの状況からでも入れる保険ってあるんですか?〜』よ。この前本屋さんに立ち寄ったらたまたまこの本を見掛けて購入してみたの」

「……それ、面白いか?」

「実践するのは躊躇してしまうけれど、見てる分には案外面白いわよ」

「そうか……」



 由紀那が本で口元を隠しながら隣にいる晴人に見せてくるが、その瞳の奥がきらきらしているのは気の所為だろうか。晴人としては頷くしかない。


 今までブックカバーをしていたのでタイトルがわからなかったが、まさかそんな地雷臭のするハウツー本を読んでいたとは。まぁ内容に納得して由紀那が面白いと感じているならば問題はないだろう。もし切羽詰まった場合、その方法をクラスメイトや他の人に実践するとしたら是非とも晴人に一声掛けてほしいものである。


 さて、晴人が遅刻した所為で待たせてしまったのにこれ以上目的を先延ばしにしてタイミングを待つ訳にはいかない。十秒にも満たない間無言の状態が続くも、晴人は意を決して口を開いた。



「あのさ、今日由紀那をここに呼び出した理由なんだけど」

「うん」

「これ、いるか?」

「わぁ……」



 晴人が鞄から取り出したのは、昨日渡と一緒にゲームセンターで遊んだ際にたまたま目についたUFOキャッチャーで獲れた景品。眺めるのも手に持つのも可愛らしい、手のひら程の小さなクマさんのぬいぐるみである。



「可愛い……。このクマさん、私に?」

「あぁ。昨日渡と一緒にゲームセンターに行ったらたまたま見つけたから、試しに挑戦してみたら獲れたんだ」

「触ってもいい?」

「どうぞ。そもそも由紀那にあげる為に持ってきたんだし」



 おずおずとそれを受け取った由紀那は、小さな声を洩らしながらその瞳を丸くさせる。彼女はまじまじとぬいぐるみを見つめており、どうやらそのキュートさに心撃ち抜かれて普段よりもその目尻は緩んでいるようだ。


 そのクマのぬいぐるみはつぶらな瞳をしたふわふわな体毛に包まれているのが特徴的で、ポップに紹介されていたそのカラーはホワイト、ブラウン、ピンク、パープル、グレーといった計五種類の色合いが存在している。どうやら人気のぬいぐるみらしく、残念ながら一人二つまでの回数制限があったので淡いピンクとグレーの二種類しか獲れなかったが、どうやら喜んでくれているようで何よりである。



(良かった。獲れるまで何回も挑戦した甲斐があった)



 初めはUFOキャッチャーの景品が置かれている位置的に、ツメで引っ掛けてもどうしても動きにくいところがあったので数十回もプレイしたのだが、それでも現実は非情で中々獲れなかった。最初こそにやにやと渡に見守られながら挑戦したが、最後辺りなんかは引き攣った顔で「もう諦めようぜ……」と呟く程。もはや途中からは執念というか、由紀那に喜んで貰いたいという晴人の意地でUFOキャッチャーをプレイしていた。


 しかしそれでも落ちずにこれがラストチャンスと半ば諦めに最後の百円でプレイしたところ、なんと奇跡的に二つぬいぐるみが受け取り口に落ちてきたのだ。時間や体力、お金など色々なものをすり減らしながら獲得出来たので、喜びもひとしおである。


 何はともあれ、由紀那が嬉しそうで良かった。晴人もじんわりと温かな気持ちになり、つい表情が綻んでしまう。



「ありがとう、はるくん。大事にするわね」

「どういたしまして」



 晴人を見つめる瞳にいっぱいの嬉しさを滲ませた由紀那。すると何か思いついたように何故か二つのぬいぐるみへ彼女はそっと視線を向けた。



「……ね、はるくんはどっちのクマさんが好き?」

「うん? どっちも可愛いが、強いて言えばグレーの方かな」

「そう。……それじゃあ、この子ははるくんが持ってて」



 そういうや否や、すっ、とグレーのクマのぬいぐるみを晴人に差し出す由紀那。もしや二つもぬいぐるみを渡すなど迷惑だっただろうか。どうして、と訊ねようとした晴人だったが、由紀那はそのまま言葉を続ける。



「これでお揃いね」

「——————。あぁ、そうだな」



 表情と声の抑揚こそ変わらないが、喜びを隠しきれないように晴人にそう言葉を紡ぐ由紀那。



(……ほんと、これは卑怯だろ)



 彼女への想いがさらに色濃くなるのを感じながら、晴人はそっと優しくぬいぐるみを受け取ったのだった。



















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