第35話 白雪姫の母親へ質問




 しばらくして温かいコーヒーや晴人が持参してきたお茶菓子などを準備し終えた奈津美さんは、晴人の座るテーブルの向かい側に座った。よっこいしょういち、とやや反応に困る言葉を口にしたのはご愛嬌だろう。


 彼女は両肘を付いてニコニコと笑みを浮かべながらこちらを見ている。その瞳に込められた優しげな眼差しは、どこか冬木さんと重なるものがあった。親子なので当然なのだが、表情は違っても隠しきれない既視感に、晴人は思わずくすぐったい気分になってしまう。



(き、気まずい……)



 しかしながら、先程まで口数が多い様子を伺わせていた奈津美さんが口を閉ざしたままというのは少々落ち着かない。晴人はほんのりと湯気が立っているコーヒーに視線を落とすと、ざわつく心を悟られないようにゆっくりと手を伸ばす。



(…………あ、美味しい)



 猫舌なのでふぅふぅと冷ましつつコーヒーを口に含むと、深い苦味と芳醇な香りが広がった。よくよく味わってみると、どうやらインスタントではなく奈津美さんが淹れてくれたドリップコーヒーのようだ。


 雑味の無い味わい。すぅっと突然やってきた鼻腔や舌をくすぐる刺激に思わず晴人が目をぱちぱちとさせていると、目の前にいる奈津美さんがようやく口を開いた。



「うふふ、少しは落ち着いた?」

「え?」

「なんだか緊張して身体が強張っているように見えたから」

「あ…………」



 奈津美さんの指摘に自然と呆けた声が洩れる。それと同時に、この部屋に漂うコーヒーの残り香が鮮明に感じた。


 確かに今までその事実に気付かなかった辺り、彼女の言う通り晴人は自分が思っている以上に緊張していたのだろう。冬木さんならばともかく、今この場にいるのは今日初めて会ったばかりの母親。しかも二人きりという状況なので、緊張と不安もひとしおである。


 彼女はきっとそんな晴人の様子を最初から見抜いていたのだろう。

 しまったな、と途端に気恥ずかしくなると同時に、奈津美さんの意外にも鋭い洞察力に舌を巻く。



「その……ありがとうございます。すっごく美味しいです」

「どういたしまして。喜んでくれたみたいで良かったわ〜」



 ホッとしたかのように笑みを浮かべると、彼女はようやく砂糖やミルクを入れて自らのコーヒーに手をつける。


 冬木さんと性格はまるで正反対だが、流石親子というべきか。礼儀正しいというか、変に気取らない律儀さが伺えた。



「晴人くんはコーヒーよく飲むの?」

「そうですね。気が向いた時に自分で淹れる時もありますが、最近はコンビニのコーヒーを買って飲んじゃいます」

「あー、それわかるわ〜! 手軽だし安いし、何より美味しいもんね〜! あ、早速頂いて良い?」

「あ、どうぞ」



 奈津美さんはいただきまーす、と晴人がお茶菓子として持参してきた俵シューを頬張ると、蕩けるような満面の笑みを浮かべた。「やっぱり美味しいわ〜」と頬に手を当てて舌鼓を打っている辺り、喜んでくれているようだ。


 飲食店を営むお宅に、他の店の商品(お茶菓子)を持っていくのは正直気が引けたが、どうやらそんな心配は杞憂だったらしい。


 晴人は安堵から思わず胸を撫で下ろすも、ふとした疑問が頭をよぎる。



(あれ、もしかして俺、最初の挨拶から今まで碌に中身のある会話をしてない……!?)

 


 美味しそうに俵シューとコーヒーを堪能している奈津美さんを見遣りつつも、更なる衝撃的な事実に気付いた晴人は内心冷や汗を掻く。

 

 思えば、これまでを振り返ってみるとすべて奈津美さんが積極的に話を振ってくれていたような気がする。

 元々の性格でもあるのだろうが、緊張している晴人の様子を最初から見抜き、リラックス出来る様に気さくに声を掛け続けてくれたのは、きっと少しでも晴人が心を開けるようにという彼女なりの気遣いと配慮なのだろう。


 不意に冬木さんの姿と重なった。



(……俺も、自分から話さなきゃな)



 ともあれ、このまま奈津美さんの厚意に甘えるわけにはいかない。


 おんぶに抱っこというのはなんとも恥ずかしい話であるし、借りてきた猫のままずっと大人しく過ごすのも気が引ける。なにより、折角自宅に招待してくれた冬木さんやこちらの緊張や不安を見抜き慮ってくれた奈津美さんへの誠意に欠けるだろう。


 奈津美さんが晴人を自宅に招いた理由は未だわからないが、それはひとまず頭の片隅に置いておく。

 そうしてまず会話のきっかけを作ろうと思い立った晴人は、失礼を承知で気になっていた事を訊ねようと口を開く。


 それは、デ・ネーヴェにて海老原さんと別れる前に話した会話の内容。



「あの、一つ聞いてもいいですか?」

「んーなになに、おばさんに答えられる事だったらなんでも教えちゃうわよー♪」

「海老原さんから、奈津美さんは以前デ・ネーヴェの副店長だったと聞きました。でもどうして冬木さ……由紀那さんに、その立場を譲ったんですか?」

「…………あー、それかぁ」



 奈津美さんはゆっくりと息を吸うと、そっと宙へ視線を彷徨わせた。

 返事の声がワントーン下がった辺り、どうやら晴人に伝えて良いものかと悩んでいるようだ。
















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長くなったので分割します!

明日更新予定ですー!!

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