第36話 白雪姫の母親の後悔



 やはりというべきか、冬木さんが副店長になった経緯には何か複雑な事情があるのだろう。明るくて気さくな性格である奈津美さんが打ち明けるのに躊躇するなんてよっぽどだし、もしかしたら晴人とは初対面なので言いたくないという気持ちも多少あるのかもしれない。


 いずれにせよ、逸る気持ちを優先してしまいずけずけとプライベートに踏み込んでしまったのは不躾だった。

 晴人は慌てて謝罪の言葉を口にする。



「あ、あのすみません。気になったから訊いただけで、無理に話さなくて大丈夫、です……!」

「あはは、うーん……別に言いたくないってワケじゃないんだけどねー……。これは、由紀那自身に関わる事だから」

「と、いうと……」



 奈津美さんが口にする、冬木さんに関わる事。もしそれを『悩み』と言い換えるのならば、思い当たる節があった。



「元気しか取り柄がないけれど、こんなでも私、あの子の母親だからさ。口には出さなくとも、小さい頃から由紀那なりに悩みを抱えていたのは知ってるのよ。それを改善する為に頑張る姿も陰ながらずっと見守ってたわ。……晴人くん、君ももう気付いているわよね?」

「……表情が顔に出ないこと、ですよね。以前、彼女が打ち明けてくれました」

「! ……そっか」



 奈津美さんは驚いた表情を浮かべるも、安堵するようにふわりと瞳を細めた。とても嬉しそうに口元を緩ませるが、ふいに泣きそうに見えたのは気のせいか。


 冬木さんが高校で白雪姫と呼ばれる所以でもある、表情の出にくさ。

 彼女にとってその深刻な悩みを前提に、どのようにして奈津美さんの副店長という立場を譲って貰うに至ったのだろうか。


 奈津美さんは柔らかい眼差しでこちらをじっと見つめると、再び話を続けた。



「由紀那からの申し出で、中学の頃にバイトの子と一緒にデ・ネーヴェで働いてくれるようになってね。元々感情が出にくいだけで、パパに似て優しくて要領も良いし、他の子供よりとっても大人びていたわ。仕事内容を覚えるスピードも早くて、お客様への配慮も行き届いていて……今思えば、その優秀さに甘えていたのかもしれない」

「………………」



 振り返るようにして話す奈津美さんの表情には、柔和な笑みが弱々しく湛えられていた。彼女の瞳の奥に潜む寂しさと後悔は、いったい誰に向けてのものなのだろうか。


 ……いや、そんなのは分かりきっている。



「高校に入学して少し経ったくらいの頃かな。ある程度、教室の中でお友達が出来てる時期。ある日、普段通り家族で夕食を食べていると、突然こんな言葉をぽつりと漏らしたわ」



『ねぇ———私、ずっとこのままなのかな?』



「頑張り屋なあの子が、初めて弱音を零したの。情けない話、思わず泣きそうになっちゃった。当然よね。普通ならみんな当たり前に出来ている事が由紀那だけ出来ないんだもの。大丈夫よ、って咄嗟に慰めたけど、私の心は罪悪感でいっぱいだったわ」

「…………罪悪感、ですか?」

「えぇ。どうして感情豊かに笑える子に産んであげられなかったんだろう、って」

「!!」



 気を取り直すように「うふふ、由紀那には秘密ね」と言いながら唇に人差し指を当てると、奈津美さんは可愛くウインクをした。

 雰囲気が悪くならないように奈津美さんが強がっているのはもはや明白。


 これまで通りだったら愛想笑いをして受け流すところなのだが、彼女が抱える冬木さんへの後悔や罪悪感を知ってしまった手前、晴人はどう反応して良いのかわからなかった。それが相手にとって最も引け目に感じている事ならば尚更だ。


 奈津美さんはきっと、そんな晴人の様子を見抜いていたのだろう。笑みを深めた彼女は自らの自虐さに蓋をするようにして綺麗な唇を開いた。



「ふふっ、ちょーっと話が脱線しちゃったわね〜。ごめんちゃい♪」

「……いえ」

「ま、そんな事もあって由紀那にデ・ネーヴェの副店長をやってみない? って私が話を持ち掛けたのがあの子が副店長になるきっかけなのよ〜。新しい事にチャレンジするのは良い刺激になるし、必然的に従業員やお客様と会話する機会も増える。それでもし由紀那の悩みを解決する糸口になれば万々歳!…… って思ってたけど、まさか初めて仲良くなったのが同級生の男の子だなんて、ね?」

「あー、すいません。こんな全然パッとしてない陰キャで」



 真っ直ぐに向けられた小悪魔的な視線に対し、困った表情を浮かべた晴人は首筋をそっと片手で撫でる。


 白雪姫と呼ばれている美少女の友達がこんな冴えない野郎で、奈津美さんは内心幻滅してないだろうか?


 思わずネガティブな返事をしてしまう晴人だったが、返ってきたのは思いも寄らぬ言葉だった。



「そんなの関係ないわ〜。むしろとっても感謝してるのよ〜?」

「感謝、ですか?」

「由紀那、最近本当に嬉しそうにしてるの。以前のような大人びているだけじゃない、女の子らしい年相応の感情も見せるようになった。それはきっと———晴人くん、貴方があの子の心に歩み寄ってくれたから」

「………………」

「だから今日は、どうしてもありがとうって言いたくて家に来て貰ったんだ♪」



 折角の休みなのにごめんね、と微笑みつつ可愛らしく首を傾げる奈津美さん。初めはどうしてわざわざ冬木さんに買い物をお願いしたのだろうかと不思議だったのだが、ようやく納得がいった。


 彼女は、感謝を伝えたくて二人きりになりたかったのだ。気さくな性格とはいえ、冬木さんがいる前ではきっと恥ずかしかったのだろう。

 

 やはり親子だな、と目を細める晴人だったが、先程の会話を訊いた上でどうしても伝えなければいけない事があった。



「こちらこそ、冬木さんに出会えて良かったと思ってます。表情に出ずとも彼女と一緒にいると楽しいですし、なにより……心が暖かくなりますから」

「そっかそっか」

「それと、冬木さんは優しくて芯の強い女の子ですよ」

「?」



 奈津美さんはきょとんとした表情になるも、晴人は言葉を続ける。



「普通だったら、唯一冬木さんだけが抱える悩みが原因で周囲から距離を置かれるなんて、耐えきれなくなって塞ぎ込んでしまうと思うんです。でも彼女は、そうはならなかった。人見知りで目立つのが苦手なのにどうして時折前向きさを見せるのか不思議だったんですが……今日初めて奈津美さんと話してようやくその答えがわかりました」

「わかったって、何を……?」

「冬木さん、貴方にとてもよく似ているんですよ」

「私に……?」



 親子なので当然ですが、と付け足すも、奈津美さんの顔は未だ呆けたまま。その様子が冬木さんとそっくりだったので、思わず頬が緩んでしまう。



「容姿もそうですが、特に前向きな性格でしょうか。どんな状況でも奈津美さんがひたむきに明るく接し続けたからこそ、冬木さんは悩みこそすれ塞ぎ込まなかった。そして周りを傷つけないようにと他人を思い遣る事が出来る優しい子に育ったんじゃないかと、俺は思います」

「………………」

「奈津美さんが居てくれたから、今の冬木さんがあるんだと思います。だから、その……奈津美さんが自分を責める必要なんて、これっぽっちもないです」

「—————!」



 気が付くと、奈津美さんの頬には一筋の涙が流れていた。

 あまりにも突然の事に思わず晴人はぎょっとして身体を強張らせてしまうが、彼女も自分が涙を流している事実にたった今気付いたようだった。


 奈津美さんは慌てた様子で涙を人差し指で拭うも、堰を切ったかのように次から次へと溢れ出る。



「あれ、なんでだろ……っ。こんなつもりじゃなかったのになぁ……っ!」

「え、あの……っ、と、取り敢えずこれ使ってください」

「うふふ、ありがと〜……」



 近くにあったボックスティッシュからティッシュを数枚取り出して奈津美さんに渡すが、晴人の心中は穏やかではなかった。


 励ますつもりが、逆に泣かせてしまったのである。しかも歳上を、人妻を、だ。もしこんな状況を夫である冬木さんの父親が知ったらと思うと思わずゾッとしてしまうが、何より冬木さんがこの場にいないのは救いか。


 とにかく、静かに泣き止むのを待つしかないかと考えて奈津美さんの様子を見守ろうとした晴人だったが———後ろの方で、どさっと音がした。


 まるで、買い物袋を落としたような鈍い音。


 振り向かなきゃいけない、けど振り向きたくない。そんな葛藤を抱きながらもじわりと冷や汗が浮かぶのがわかる。


 どう行動に移すのが正しいのか、と頭をフル回転させて静かに震えながら固まっていると、晴人の背後から抑揚の無い声が投げ掛けられた。



「ねぇ、風宮くん」

「お、おかえり冬木さん……! は、早かったな……!」

「えぇ、ただいま。ねぇ風宮くん、どうして振り向いてくれないのかしら?」

「あーっと、それはだな……」

「こっち見て」

「は、はひっ」



 有無を言わせない声だったので、思わず声が裏返ってしまった。


 冬木さんが買い物に出掛けて精々三十分程度。額にうっすらと汗を掻いているのがここから見ても分かる程、急いで買い物を終えて帰ってきたのだろう。


 冬木さんの事だ、きっと晴人が気まずい思いをしないように早く帰って来てくれたのだろうが、今回ばかりはそれが裏目に出たようだ。


 彼女は一度奈津美さんへ視線を向けるが、すぐにこちらへと戻す。無表情なのは変わらないが、その瞳には冷たい感情が込められているように思えた。



「状況を、説明してくれるわよね?」



 逃げられないと悟った晴人は、こくこくと頷くしか無かった。

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