第5話 思わぬ救世主




 さて、料理が到着するまでの間は暇になる。


 ポケットから取り出したスマホで時間を潰そうかと考えていると、ふとどこからか気になる音が聞こえてきた。



「あら、この案外ステーキ美味しいわァ。あっくんもハンバーグ美味しい?」

「うんママー! このハンバーグ最高だよ!」



 くちゃくちゃ。かちゃかちゃ。


 話している内容はまさに微笑ましい親子の会話なのだが、とにかく咀嚼音と食器音がうるさかった。つい先程までは特に聞こえなかったし、店内に流れる穏やかなクラシックのBGMでこの耳障りな音が隠れていたわけでもない。きっと料理が提供されたばかりなのだろう。


 その音が聞こえる方向は晴人が座る席の斜め向こう側。気になって一度だけちらりと視線を向けてみると、母親らしき恰幅かっぷくの良い貴婦人風な中年女性と小学校の低学年、おそらく九歳辺りだろうか、坊ちゃん風な男の子が食事をしている。


 そっと視線を戻して店内にいる他の客の様子を見てみると、やはり晴人同様音が気になるのかちらちらと視線を向けていた。

 当然なかには非難交じりの視線もあるのだが、当の本人たちは気付いていないのか全く意に介していないようだ。



(ま、そういう日もあるか)



 別に晴人は正義感を振りかざして声高らかに注意するタイプではない。むしろ人には無関心な方なので、軽く嘆息しながらも意識を自らのスマホへと向けた。


 品位は人格を表すという。彼女らの食事マナーは一般的に悪癖というか、食事という習慣において品位に欠けた行動なのは間違いない。もしこの場が一流レストランだとしたら即刻注意されるか追い出されるかのどちらかだろう。


 案内された席が悪かったと片付けられれば簡単だが、もちろんそれは店員さんの責任ではない。入店した時には既に店内は満席に近い状態だったし、彼女らのテーブルに料理はまだ運ばれていなかった。誰もこのような状況になるとは思いもしなかったのだ。


 だから、これは運が悪かっただけ。



「お待たせ致しました~。半熟卵のチーズドリアとアンチョビサラダのセットです~」

「ありがとうございます」

「デザートは後程お持ちしますね~。うふふ~」



 何故か口元に手を当ててニマニマしている女性店員さんはともかく、運ばれてきた料理の品はとても美味しそうだった。


 綺麗に焦げ目の付いたチーズドリアの真ん中には半熟卵が乗っかっており、香ばしいチーズの匂いは食欲をそそる。アンチョビサラダはレタスやベビーリーフといった野菜が主のようだ。上には乱切りされた茹で卵、クルトン、アンチョビがあり、仕上げに黒胡椒入りのドレッシングが掛かっているのでとても見栄えも良い。


 思わず咀嚼音や食器音がうるさい彼女らのことなど、一瞬忘れてしまった程見惚れてしまう。



「あの、写真って撮っても大丈夫ですか?」

「はい、『デ・ネーヴェ』は撮影大丈夫ですよ~。でも今どき珍しいですね~、ちゃんとお店の人に断りを入れて写真を撮ろうとするなんて~」

「こういうのはちゃんとしたいので」



 写真を趣味とする以上、まず大事になってくるのは"そもそも写真を撮っても良いのか"という前提条件だ。この手の話題はSNSが普及しだしたときからネットやテレビでもよく物議を醸す問題なのだが、店内や飲食店の料理を撮影する場合、まずお店の人に断るのがエチケットだと晴人は考えている。


 "運んだ料理はすぐに食べて欲しい"とか"カメラの音が店内の雰囲気にそぐわない"といったように各店ごとの方針があるので、断りもせずに勝手に写真を撮るなどの行動は控えるべきだろう。金銭を支払って食べに来るお客様とはいえ、それに従うのがルールというものだ。


 その晴人の言葉を聞いた店員さんは申し訳なさそうに笑みを深める。するとおもむろに晴人の耳元に顔を近づけてきた。



「ありがとうございます~。……あと、お詫びにジュース持ってくるね~」

「あぁいえ、お気になさらず」

「良いから良いから~。お姉さんからせめてもの気持ちだよ~」

「……ありがとうございます」



 店側が悪いわけでもないのにサービスして貰うことに気が引けてしまったが、しぶしぶ彼女の厚意に甘えることにした。


 そうして女性店員さんが惹き付ける笑みを浮かべながら去る。としたのだが件の恰幅の良い中年女性から突如話し掛けられる。



「―――ねぇ貴方、お水下さらないかしらァ」

「えーっと~、当店はセルフサービスとなっています~。よろしければあちらからご利用下さいませ~」

「何よ気が利かないわねぇ。他のレストランだったらすぐに注いでくれるわよぉ?」

「そうだそうだー!」

「それでは今回だけ特別にサービスでお水を注がせていただきますが~、次回からはセルフサービスでお願い致します~」



 ふわふわとした声で笑みを絶やさずに彼女らの我儘を乗り切った女性店員。もし自分だったら無愛想な接客をしていただろうな、と彼女の対応力に感心しつつ、少しだけ溜飲が下がった。


 女性店員が去ってからもブツブツと不満を口にしていた彼女らだったが、すぐさま食事を再開した。咀嚼音と食器音が一段と激しくなったのは先程の女性店員の言葉と態度に納得できていないという現れだろうか。



「さて、早く写真を撮って食べるか」



 スマホのカメラを起動して食器同士をセッティング。半熟卵のチーズドリアを主体に、少しでも見栄えが良くなるように試行錯誤しながら素早く写真を撮っていく。もちろん他の客に迷惑を掛けてはいけないので消音状態で、だ。


 せっかくの窓際の席なのだ。テーブルに当たる日光や食器同士の位置を微調整しながら撮影してみる。ときどき料理を組み合わせず単品だけピントを合わせて撮ってみたりと、様々な方法で何枚も写真を撮るのはとても楽しかった。


 最後の一枚を撮ってそろそろ食べようか、と集中して画面を覗いていると―――、



「―――まぁったく、最近の若者はマナーがなってないわねぇ。あっくんもあんな大人になっちゃダメよぉ?」

「うんー、気を付ける!」

「何でもかんでもカシャカシャカシャカシャ。出された物はすぐに食べるのが礼儀って知らないのかしらァ?」

「………………」



 しまった、と内心頭を抱える。ちらりと見てみると先程の恰幅の良い中年女性と坊ちゃん風の男の子が晴人の方を嘲るような視線でこちらを見ていた。


 他の客の迷惑になると思って消音にして写真を撮っていたのだが、どうやら"写真を撮影すること"自体が彼女らにとって気に障ったようだ。


 もちろん女性店員には撮影する許可を貰ったし、そもそも店内にいる客を撮っていたわけでもない。もし他に自分でも気が付かない迷惑行為をしていたのならば当然謝るが、そうでないのならば何故最低限配慮した側が複雑な思いを抱かなければいけないのか。



(きっと八つ当たりなんだろうな)



 先程の女性店員さんへの不満を漏らしていたことから、その行き場のない鬱憤や小さな怒りが晴人の方へ向いたとみて良いだろう。これは晴人の想像でしかないのだが、ただ単に不満をぶつける手頃な相手が欲しかっただけともとれる。


 ようは完全にとばっちりだ。



「知らない内に私たちまで撮られてるかもしれないわよぉ? 今ってSNSとかに簡単にアップする人多いから」

「えぇー、それはヤダよママー」

「ほんと親の顔が見てみたいわねぇ。いったいどんな育て方をしたらあんな風になっちゃうのかしら」



 無視しようと努めていたが、"親の顔"という言葉が出てきた時点から思わず眉間に皺を寄せてしまった晴人。


 他人ひとの事情を関係のない第三者に語られる筋合いはない、と良い加減我慢の限界に来ていた晴人だったが、落ち着けと何度も自分に言い聞かせることでなんとか感情を鎮めることが出来た。


 自分にも悪いところがあった、と自省しながらスマホをポケットに仕舞う。今度こそ食事をしようとスプーンを手に取るがその瞬間、例の向こう側の席へ向けてとある人物の声が響いた。


 正確には、感情の起伏の無い最近聞いたばかりの少女の声が。



「―――奇遇ですねお客様。私も鏡をご用意しながら訊ねたかったところでしたので」



 そこには水色のワイシャツの制服と焦げ茶のエプロンに身を包む、普段とは違う艶やかな濡れ羽色の長髪をポニーテールに結んだ無表情が特徴的な晴人の通う高校のマドンナ的存在である『白雪姫』こと、冬木ふゆき由紀那ゆきなが何故か立っていたのだった。



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