第6話 白雪姫による論破とフォロー



 急に話し掛けられた中年女性と男の子は少しだけきょとんとしていたが、すぐさま先程までの調子を取り戻す。



「そ、そうなのよぉ。話が分かる店員さんがいて助かるわァ。是非ともあちらの非常識な坊やに鏡を―――」

「勘違いして貰っては困りますが、先程の言葉は貴方たちに向けて言いました」

「なっ!?」



 最初は水を得た魚のように得意げな表情をしていた彼女らだったが、淡々とした口調&無表情な冬木由紀那によりその矛先が明確になったことで茫然とする。


 そしてそれは晴人も同様だった。何故この場にカフェレストランの制服姿で冬木由紀那がいるのかという疑問は当然だが、ほとんど関わったことがない、というかあのとき一度話しただけの彼女がまるで晴人の味方をしてくれたような言動に驚きを隠せない。


 目を見開いている間にも彼女の言葉は続いていく。



「折角この空間と料理を楽しんで頂いている他のお客様に長い間我慢を強いてしまっては『デ・ネーヴェ』の名折れです。貴方達の咀嚼音や食器音ならば仕方ない部分もありますが風み……近くのお客様にまでご迷惑をお掛けしているとなると、流石に見逃すわけにはいかないと判断させていただきました」

「め、迷惑ですってぇ!? ワタクシらのどこがこのお店に迷惑を掛けましたの!? それを言うなら、そこの坊やの方が携帯で……!」

「店内及び料理の写真を撮影していたことについては全く問題ありません。元々店内の撮影は許可しておりますし、今回の場合に至っては私共従業員に確認をとって撮影されております。さらにシャッター音が聞こえないように周囲に配慮して下さっているので、こちらのお客様にはなんの落ち度もございません」

「ぐ、ぐぐっ」



 冷静な口調でそう言い放つ冬木由紀那の口撃に、悔しそうに唇を噛み締める中年女性。まさにぐうの音も出ないといったような感じだが、そこへさらに冬木由紀那は追撃を与えた。



「それに先程お客様のどの辺りが迷惑をかけたのかというご質問がありましたが、特に大きい咀嚼音や食器音、お客様への侮辱といった他のお客様の気分を害する行為がそれに当て嵌まります。ご理解出来たでしょうか?」

「な、何よさっきから偉そうに! 年長者は敬えと教えられてこなかったのかしら!?」

「そ、そうだそうだー!」

「お客様は金銭を支払い、従業員はサービスを提供する。従業員とお客様という対等な取引を行なう関係である以上、そこに年齢の差などございません」

 


 きっぱりと正論を叩きつける冬木由紀那。年長者という優位性のある立場でマウントをとろうとしてきたようだったが、中年女性のその浅い目論見は彼女の前では無意味だったみたいだ。


 彼女もここまではっきりと言われるとは思いもしなかったのだろう。怒りで顔を真っ赤にしているさまはここまでくると逆に面白く感じる。



「生意気な小娘ね……! もういいわ、店長を呼んで頂戴! たかがアルバイト風情が客にこんな無礼なことを言うだなんて、どんな接客教育を施しているのか直接問い質してあげるわ!!」

「その必要はございません」

「はぁ?」

「―――私、この『デ・ネーヴェ』の店長の娘ですから」



 唖然、とした表情を浮かべる中年女性だが、それは晴人も同じだった。いつの間にか冬木由紀那と迷惑客の動向を見守っていた周囲の客からも息を呑む気配が伝わってくる。然程驚いていないカウンターの客はここの常連だろうか。


 いずれにせよ、高校で美少女として有名な冬木由紀那がこの場にいる理由には納得がいった。



「因みに役職は副店長です。つまり私の言葉は店長の言葉と言っても良いでしょう」

「くっ……」

「さて、話を戻しますとこちら側の注意を受け入れずこのまま他のお客様にご迷惑をおかけするとなればお食事の途中でもご退店願いますが、どうなされますか? お支払いは結構です」

「帰るわよ……帰ればいいんでしょ! 行くわよあっくん! こんな店もう二度とこないわ!!」



 最後にそう言い残してずかずかと店を出ていった中年女性と男の子の親子。椅子から立ち上がる瞬間水の入ったコップを握りしめていたので、まさか怒りに任せて水を掛けるのではないかとヒヤヒヤしていたのだが、周囲からカシャリ、ピロンとスマホで写真や動画を撮っている音が聞こえた所為かそのまま何もせずに去っていったようだ。



(ふぅ、何事も起きなくて良かった)



 遠目で出ていく様子を見届けた晴人はほっと胸を撫で下ろす。思わぬ困難に遭遇して最初はどうなることかと思ったが、まさかこうして休日に冬木由紀那と再び顔を合わせるとは思わなかった。しかも助けられるだなんて。


 晴人と同じく『デ・ネーヴェ』を出ていく彼女らの様子を最後まで眺めていた冬木由紀那。彼女はすぐさま周囲の客に向けて綺麗に背筋を伸ばしたのち、深く腰を曲げた。



「みなさま、この度はこちらの対応が遅れてしまったせいでご迷惑をおかけして誠に申し訳ございませんでした。お詫びにドリンクを一杯サービスさせていただきます。何卒これからも『デ・ネーヴェ』をよろしくお願い致します」



 歓声、とまではいかなかったが、小さな拍手と共に「よくやった」「かっこ良かったですー!」という声がちらほらと上がる。


 本来店員として客に向かって強く意見することを許されないのだろうが、それほどまでに先程の冬木由紀那の接客対応は完璧であったし、どんな客相手にしても感情を見せず物怖じしない性格は称賛に値するだろう。流石優秀と言われるだけのことはあると納得しながらも晴人は口元を緩めた。


 この場にいる客が冬木由紀那に向ける暖かな笑み。それに応えるように再度ぺこりと腰を曲げる冬木由紀那の表情は相変わらずの無表情だったが、高校で見かけるときと比べて心なしか表情が柔らかく見えた。


 晴人は何故自分でもそう見えたのか分からず、静かにかぶりを振る。



(……きっと気のせいだろう)



 『氷の~』『クール』と揶揄されることも多い彼女は高校でこれまで一度も笑みを見せたことがないのだ。そんな彼女が店の従業員とてこんな人前で簡単に表情を柔らかくする筈がないだろう。


 未だ後を引くこの場の暖かな雰囲気に影響されたかと、彼女から視線を外して内心くすりとして笑う。それから深呼吸してこれからどうしようかと思案。



「まぁ、挨拶しないわけにはいかないからな」



 結果的に、というか全体的に彼女に助けられたのだ。ここで冬木由紀那を何事も無かったかのように無視してしまっては罪悪感が残るし、なにより不義理だろう。


 それに彼女は高校では『白雪姫』と呼ばれている程までに有名人。晴人の名前が冬木由紀那に認知されている事実は喜んで良いものなのかわからないが、ここで敢えて無視をしてまで彼女が持つ好感度を下げる必要はない。


 もっとも、晴人に対する冬木由紀那の好感度などが存在するのかすら不明なのだが。


 他意はない、と気を取り直して声を掛けようと再び彼女のもとへ視線を戻すも、晴人のその目論見はあっけなく崩れ去る。


 いつの間にか、こちらのテーブルのすぐ近くに『白雪姫』が立っていたのだ。



「っ!?」

「………………」



 驚きを余所に冬木由紀那は無表情でこちらを見下ろす。テーブル席に座る晴人からしてみれば美少女と呼ばれている彼女を見上げる形になるのでいささか圧のようなものを感じてしまうが、普段冷たいと言われているその瞳には何かを思案するような感情が宿っているようにも見えた。


 その感情の正体が何かは分からない。だが晴人の心の中に戸惑いこそあれど、彼女のその眼差しに不思議と不快感を抱くことは無かった。



「………………」

「………………」



 もう一度念を押すが、冬木由紀那は美少女である。


 普段学校で見かける制服姿と違い、現在はカフェレストランの従業員としての格好だが、周囲の目を引く美少女であることには変わりはない。


 晴人も年頃の男子高校生だ。近くに歳の近い異性がいれば緊張もするし配慮もする。しかも相手が高校で『白雪姫』と呼ばれている有名で綺麗な女子だったのならば尚更だろう。


 彼女にただ無言で見つめられる状況は晴人にとって非常に気まずいが、だからこそまず自分の方から感謝の気持ちを伝えなければと考える。


 咄嗟に言葉が出てこないとはいえ、彼女に助けられたのは事実なのだから。



「その……さっきは助かった。ありがとう」

「気にしないで。副店長という立場であのまま注意をしないわけにはいかなかったし、それに……」

「……?」



 不意に言葉を切ると冬木由紀那は晴人からそっと視線を外す。おや、と珍しさを感じつつも、その空白は長くは続かなかった。



「風宮くん」

「ど、どうした?」

「私についてきて」



 そう言うと冬木由紀那は返事も聞かずに背を向けて歩き出した。


 言葉が不意に途切れるにしろ、返事を聞かないにしろ、先程から彼女らしからぬ行動だ。ポニーテールにんだサラサラとした濡れ羽色の長髪が揺れる後ろ姿に、晴人は目を惹かれながらも思わず呆然としてしまう。


 すっかり冷めてしまったこの料理はどうしようか、とテーブルと彼女を交互に目を遣る。数瞬だけ悩んだが、彼女がついてくるようにと口にした以上ここは素直についていくべきだろう。


 そうして晴人は隣の椅子に置いていた自分の荷物を手に取ると、慌てて彼女の姿を追ったのだった。




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