第10話 死体と灰と罠の中の男


「行方がわからない四人の吸血鬼被害者ですが」


 万象は研究室の中を歩きまわりながら、忙しない口調で言った。


「三人はごく最近まで姿を見られていることがわかりました」


「警察でもないのに、よく調べることができましたね」


「私には独自の情報源があるのです。……唯一、目撃情報のない女性、神崎美香はすでに死亡していると私は考えます。つまり、最初の殺人事件の犯人として、事件後に死亡したのです」


「死亡と言うと……自殺?」


「そうではありません。事件現場に残されていた灰……それが彼女の『遺体』なのです」


 俺は思わず「おいおい待ってくれ」と言いそうになった。いくら吸血鬼に血を吸われたからと言って、灰になって死ぬなんてサービスのし過ぎ、演出過剰だ。


「よって、次の殺人は残りの三人のうちの誰かが行うと考えていいでしょう」


「その三人の消息は?」


「それは私にもわかりません。ただ情報は逐一、収集しているので手がかりがあればあなたにもお教えするつもりです」


「頼むよ、教授。なにせ標的になった女みずから「止められるなら止めて見ろ」と豪語してるんだ。これでみすみす殺人鬼の餌食になるのを見過ごしたら、俺の沽券にかかわる」


 俺は万象にせがんで、吸血鬼の被害に遭った四人の女の写真を見せてもらった。いずれも美人揃いで、不謹慎な言い方をすれば被害者にふさわしい顔だちと言えた。


 ――こんなきれいな顔をマスクで隠して人を殺す、か。わからないな。


 俺は写真の表示を消すと、教授に礼を述べて研究室を出た。


               ※


 それからさらに二日間、逸美のマンションを張りこんだが、これと言って不審な動きは見当たらなかった。


 翌日には夫と見られる男性の出入りも認められ、ますます死とは縁遠い空気が漂い始めた。俺は張り込みを、夫のいない夜と日中の動きを追うだけの限定的な物に切り替えた。


 逸美の周囲に、それまでにはなかった動きが現れたのは四日目の夜のことだった。


 夫が帰宅の時間になっても現れず、残業かなと思っていたところ、逸美が黒を基調としたよそ行きのいでたちでマンションから現れたのだった。


 彼女は俺がマンション前で張り込みをしていることを知っている。……つまり、尾行られるなら尾行てみろという挑発なのだ。


 ――畜生、なめやがって。


 俺は逸美が車の脇を行き過ぎるのを見届けると、後ろ姿が通りの向こうに消える前に車を降り、尾行を始めた。


 逸美が入っていったのは、繁華街の外れにある廃業したカラオケ店のテナントだった。


 営業している店ならともかく、昼間の主婦がわざわざ足を運ぶ場所うではない。俺はもはや形だけになった尾行をかなぐり捨てると、旧テナントのレイアウトそのままの建物に入っていった。


 レジカウンターの前を通り過ぎ、一階の部屋を一通り見て回った俺は、階段を上って二階へと向かった。はたしてここは殺害実行のための場所なのか、それとも俺を脅すための罠なのか。


 二階の部屋を片っ端から改めても、逸美の姿は見当たらなかった。やれやれ、こいつはたちの悪い悪戯につき合わされたかな、そう思った時だった。


 突き当りのパーティールームのガラス戸に、人の動く影が見えた。近づいた俺が見たものはソファーに横たわる逸美と、細身の人物の背だった。


 ――くそっ!


 俺がパーティールームに飛び込むと、人影が振り返った。白い片目の顔と手にしたナイフを見た瞬間、俺は思わず身構えた。だが次の瞬間、なぜか背後の空気が動き、誰かが俺の脳天を硬いものでどやしつけた。


 前のめりに倒れながら、俺は十分に警戒しなかった己のうかつさを呪った。


 ――二人じゃなく、三人……どういうことだ?


                ※


 目が覚めた時、俺を真っ先に現実に引き戻したのはひどい頭の痛みと吐き気だった。


 だが次に俺の目に飛び込んできたものは、身体の苦痛も吹っ飛ぶほどの悪夢だった。


 ソファーの上では逸美が胸にナイフを突き立てたまま絶命しており、その下の床には、たき火でもしたのかと思うほど大量の灰が残されていた。


 ――契約はとっくに履行済みってわけか。……くそっ。


 俺はあちこちきしむ身体を立て直すと、逸美の死に顔を眺めた。冷え始めているだろう彼女の中の血が、おれの愚かさを嘲笑っているように思えた。


「――動くな。おとなしくしろ」


 ふいに背後から声を浴びせられ、俺は一瞬、硬直した後、大げさに両手を上げてみせた。


「なんだこれは。……お前がやったのか?」


 警官と思しき人物の威嚇に対し、俺は「やられたんですよ、お巡りさん。『顔なし女』にね」と返した。


「なんだと?」


「私を連行するより、連続殺人犯を探した方が早いってことですよ。まだその辺にいるかもしれませんよ」


「ふざけるな。言い分があったら署で言うんだな」


 俺は黙って警察官の指示に従うことにした。この状況ではさすがに職質だけで無罪放免とはならないだろう。


 おそらく逸美と向き合っていた『顔なし女』は囮で、もう一人の敵が俺の背後で控えていたのに違いない。つまりこの猿芝居は、初めから俺を容疑者にするよう仕組まれたものなのだ。


 パトカーに乗り込んだ俺は、探偵の名刺を警察官に渡した。警察手帳を出してもいいのだが、ただでさえ職務で忙しい彼らを余計に混乱させるだけだと思い、本職については言わずに置くことにした。


 ――まあいい、どのみち調べればわかることだ。


 それにしても、と俺が思った。四人の契約者のうちすでに二人を死なせてしまった。果たして残る二人を悲劇から救うことなど可能なのだろうか?


 真犯人に聞けるものなら聞いてみたいところだが、聞こうにも容疑者の『四人の吸血鬼』のうち二人はすでに殺害現場で灰になっているのだった。





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