逃亡の夜

 幾分の日が経ち、俺はまっとうな生活をし、世を守った英雄として晴れやかな日々を送っていた。カレロナとの関係も良くなり、俺の生活は充実とした物になっていった。もう、あの日の事を忘れてしまうぐらいには。


 「ねーねーディスペア様ー。俺にけんぎ?ってやつ教えてくれよ」

町の中にある広場で、棒切れを片手に少年がそう言ってきた。

「いいぞー。ほら、その剣で俺に一発でも当ててみろっ」

少年は無作為に剣を振り回すが、俺は横に後ろにひょいひょいと避け続ける。

「くっそー。全然あたらない…」

少年は息切れをし、悔しそうに俺の顔を見た。

「ははは。ただ振り回せば良いってもんじゃない。しっかり次の動きを見切ってから狙うんだ」

「う~ん…。よくわかんねえ…」

少年はやや不服そうな顔をしながらも、友達に決闘を申し込みに行っていた。

「向上心がある奴だ…将来有望だな」

木にもたれ掛かり、腕をくんで涼んでいるカレロナに話しかけた。

「そうねー。もしかしたらあんたよりも努力家なんじゃない」

俺の子供の頃の悪ガキっぷりを知ってるからな…この女は。

「ふん、そう思うんだったらあの少年に教えてやったらどうだい?」

「嫌よ。子供の相手は疲れるもの」

子供たちを遠目で眺めながら彼女は言った。

 広場には子供たちのはしゃぐ声が尽きなかった。


 その日は子供たちを一日中相手にしていた物だから、夜にはすっかり疲れてしまった。彼女の『子供の相手は疲れる』と言う言い分も今なら理解できるだろう。俺はすぐさまベッドに倒れこみ、寝た。


 悲鳴、パチパチという音と共に俺は目が醒めた。やけに外の空気が焦げ臭くて、そして何より熱い。間違いない。火災だ。窓を開け、外を確認する。大通りを挟んだ向かいの家々は燃えていない。だとすると、こちら側の家々が燃えているのだ。


 下に降り、家を見た。幸いここまで火の手は広がっていない。扉を開け、すぐさま大通りに出た。そして振り返り、惨状を目の当たりにした。そこは火の海であった。民の悲鳴が心を締め付けた。急ぎ王に連絡を、と思ったが、既にそれは済んでいるそうだった。複数の消防隊が火消しに励んでいる。私はその惨状を見るなか、カレロナが、彼女がどうなっているかが心配で堪らなかった。俺は大通りを通って、あくまに安全に、彼女の家の近くまで向かった。彼女の家は燃えていた。いや、それもその筈だ。恐らくそこが最初の火の手だ。何故ならその目の前にいたのは、いつぞやかの、あの女だったからだ。


 俺は塀沿いに走り、女をとっちめた。女は俺を見て、狂おしく言った。

「ああ英雄様。あの女は燃やすことにしたの。私の嫉妬の炎を見せ付けてやるのよ。それでも見て、こんなにも美しいわ」

俺は女を乱雑に放し、彼女の家に入った。辺りはまさに火の海という言葉が似合う状態で、見渡すかぎり真っ赤だった。俺はすぐさま這いつくばり、匍匐前進のように彼女の部屋へと向かった。二階にあがると、我慢ならなくなり、俺は鼻と口を布で抑え、部屋へ走った。彼女は倒れていた。しかし幸いまだ息はあった。彼女を担ぎ、部屋の窓を開ける。そして窓の縁に足をかけ、思い切って飛び降りた。その瞬間、フワッとした感覚に襲われ、少し時間がゆっくり流れた。そして間も無く衝撃が諸とも足に来る。手で緩和することも出来ないのだからかなりの痛みだ。しかし今はそんな事どうでも良い。とにかく逃げなきゃならない。ここにいてはまたあの女が復讐に来るのみだ。彼女を担いだまま、門を目掛けて大通りを走り抜ける。走っている途中。民たちは揃って言っていたのだった。


 「助けて!英雄様!」と。




 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る