僕の願いと、乙姫の望みと、僕の決意――3

 音子の家を出た僕が自転車のスタンドを蹴ると、


「ねえ、啄詩くん」


 乙姫が、僕の後ろの方から話しかけてきた。


「どうかな? 曲作り」


 僕はもう一度スタンドを蹴って、自転車をとめる。


 そして、満面の笑顔を浮かべて振り返った。


「楽しい!」


 それが僕の、嘘偽りのない感想だ。


「なんて言えばいいのかな? 僕の描いた世界が、想いが、少しずつかたちになっていくみたいで……それを乙姫と音子が手伝ってくれていて――」


 そしてなによりも、


「乙姫の力になれているみたいで、嬉しいんだ」


 乙姫がふふっ、と微笑む。


「みたい、じゃないよ? なれてる、だよ?」


 乙姫は引っ込み思案だって音子は言うけどさ? ときどき、それ、嘘なんじゃないかって思っちゃうよ。


 たまに、これでもかっていうほど大胆な発言、してくるからさ。


 またしても僕の胸が、ギュ、ギュウゥゥゥゥ……! と音を立てた。


 くっ、苦しいっ! けど、なんて幸せなんだっ!


「そ、そっか。よかった」


 僕はさり気なく胸元をさすりつつ、笑みを崩さないように注意する。


「うん! それからね? これからアレンジしていくと、啄詩くんの世界がもっともっと明確になっていくよ?」


 両手をいっぱいに広げる乙姫に、僕は尋ねた。


「そういえば、『アレンジ』ってなんなの?」


『アレンジ』って聞くと、なんとなく、『作り替える』っていうか『改造する』っていうイメージがある。


 けれど、改造もなにも、そもそも曲が完成していないよね?


 音子が何度か口にしていたけれど、『アレンジ』っていうものの定義を、僕はまだ知らない。


「アレンジっていうのは、メロディーに音をつけていって、楽曲として完成させる作業のことだよ」


 そんな僕に、乙姫が人差し指を立てて、説明してくれた。


「イントロ・間奏・アウトロを作ったり、楽曲にマッチする楽器構成を考えたりするの。ベースとかドラムとか、曲の一部として入っているでしょ?」

「あ、うん。ほかにもいろいろな音があるよね」

「ああいうのを考えることもアレンジの一部――『編曲へんきょく』ともいうんだよ?」

「へえ、『作詞・作曲・編曲』の『編曲』って、そういう意味だったんだ」

「音子ちゃんはね? 編曲を中心に仕事をする『アレンジャー』になりたいって思っていて、それでわたしのお手伝いをしてくれているの」

「そういえば言ってたね。そんなこと」


 僕は乙姫――上月姫子さんの歌をよく聴いていた。


 だから、わかる。音子に才能があるってことが。


 乙姫の歌が素晴らしいのは、乙姫の歌声はもちろんだけど、それを彩る楽曲も魅力的だからなんだ。


 乙姫の歌声を活かすための伴奏。主張は控え目、かといって、存在感が薄いってわけでもない。


 言うなれば、名脇役みたいな演奏。


 乙姫の歌を陰で支えているのは、音子だったんだ。


「音子ちゃんとわたしはね? 中学のときに仲良くなったの。そのとき、わたしは黒縁メガネをかけていて、前髪もスッゴく長くて、ずっとうつむいていて……とにかく、地味だったの」

「そうなんだ……」


 うわあ、想像できない。


 だって、乙姫はこんなにも輝いていて華やかで、まさに天使というか女神と呼ぶべき美少女なのに……


 でも、乙姫が自分の容姿を鼻にかけたり、ひけらかしたりしないのって、そういうことが背景にあるのかもしれない。


 乙姫って、謙虚で大人しい子だからなあ。


「わたしを変えてくれたのは音子ちゃんなの。コンタクトにしたらいいってアドバイスしてくれたのも、ヘアスタイルを変えたらお洒落になるって励ましてくれたのも――歌が上手いから歌手を目指したらいいって勧めてくれたのも、唄っている動画を投稿したらいいって言ってくれたも、音子ちゃんなんだよ?」

「そっか。音子は、乙姫の恩人なんだ」

「うん!」


 乙姫の顔はほころんでいて、本当に幸せそうだった。


 僕も音子に感謝しないとなあ。


 だってそうでしょ? こうしてキラキラしている乙姫と出会えたのは、乙姫の歌声に力づけてもらえたのは、音子がいたからなんだから。


「――あのね?」

「うん?」

「啄詩くんもだよ?」

「え?」

「啄詩くんも、わたしの恩人なの」


 ポカンとした僕に向けて、乙姫がはにかむ。


「嬉しかったの。わたしが、歌詞を作ってほしいって啄詩くんにお願いしたとき、『いいよ』って言ってくれたこと。――啄詩くんが、わたしの歌を作ってくれていることが、嬉しいの」


 口を開けたまま固まっている僕に、


「これからも一緒に頑張ろうねっ! わたしも啄詩くんのこと、もっともっと考えるからねっ!」

「――うん」

「じゃあ、気をつけてねっ」


 そう言いながら手を振って、乙姫が背中を向けた。


 帰路へとつく乙姫の姿が見えなくなるまで、僕は手を振り続けて、


「――――かっ、かわいい……っ!!」


 その場にへたり込んで、顔を覆った。

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