僕の願いと、乙姫の望みと、僕の決意――4

 七月二四日。この日からアレンジがはじまった。


「ほな、基調にするんは『メジャー』でええか?」

「うん、大丈夫!」


 僕は壁にぶち当たることになる。


「あの……メジャーって、なんのこと?」

「ああ、メジャーいうんはな? 『和音わおん』っちゅう、『三つの音を重ねた音』のなかで、明るい方を指すもんや」

「は、はい?」


 和音? 三つの音を重ねた? 明るい?


「まあ、聞いた方が早いやろ」


 そう言って、デスクチェアに座っている音子が演奏ソフトを起動した。


 キーボード上――三つの鍵盤に、音子の指が置かれる。僕はその様子を肩越しに眺めていた。




 ――ジャーン……




「これが『メジャー』――明るい方の和音で……」




 ――ジャーン……




「こっちは『マイナー』っちゅう暗い方の和音や。どや? 聞いてみた印象、違わへんかった?」

「あ、うん。メジャーっていうのは『晴れ』っていうか、パッとしている感じで、マイナーっていうのは『曇り』みたいにズーンって感じの音だった」

「せやねん。和音いうのは『コード』っちゅうてな? 作曲するにあたって欠かせへんものやねん」

「コードは曲の雰囲気を左右するものだからね」


 机の側に座っている乙姫が、音子の説明を引き継いだ。


「メジャーコードはパーティーソングとか陽気な曲に向いていて、マイナーコードは失恋ソングみたいにしんみりした曲に向いているの」

「メジャーは『長調ちょうちょう』でマイナーは『短調たんちょう』っちゅうねん。明るく聞こえたり暗く聞こえたりする理由はわからんそうやけどな」

「『Blue Blue Wish』はデートして告白するラブソングだから、明るい雰囲気が似合うと思うの」

「どや、啄詩? メジャーコードを基調にしたいねんけど」


 音子がまた、ジャーン……。と鍵盤けんばんを弾く。


 明るい響きだった。雲間から差し込む光みたいに。


「う、うん……いいんじゃない、かな?」


 でも、僕の胸の奥にはモヤモヤがはびこっていた。まるで、ドンヨリとした雲が徐々に群れをなしていくように。


 よくわからないけれど、僕は二人の意見に賛同した。


 けれど、それが――『わからない』っていうことが、不安でしょうがない。


「よーし。ほな、サビの『コード進行』は『イチロクニーゴー』で」

「お、いいね! 王道進行!」


 は?


「『シーAm7エーマイナーセブンDm7ディーマイナーセブンG7ジーセブン』でいこか?」

「うーん……『C』の次は『Am7』よりも『A7エーセブン』の方がいいんじゃない?」

「ああ。そっちのが奥深いかもしれへん」


 はい?


 えっと……いまの会話はなんだろう? イチロクなんとかとか、シー? エーマイナーセブン? エーセブン? 王道? 奥深い?


 さっぱりわかんない! なに? 暗号の類いですかっ!?


「あ、あの……?」

「あ、えっと――」

「楽曲はな? メロディーをコードに乗せて演奏していくもんねん」

「そのコードの流れを『コード進行』って呼ぶの。イチロクニーゴーっていうのは有名なコード進行なんだよ?」

「コードが『一度いちど六度ろくど二度にど五度ごど』っちゅうふうに並んどるやつのことや!」

「音子ちゃんは『C → Am7 → Dm7 → G7』っていう並びにしたけれど、わたしは『C → A7 → Dm7 → G7』の方がいいと思ったの。そっちの方が豊かな雰囲気になるんだよ? ――音子ちゃん」

「あいよ」




 ――ジャーン……ジャーン……ジャーン……ジャーン……


 ――ジャーン……ジャーン……ジャーン……ジャーン……




 音子が、そのイチロクニーゴーっていうのと、乙姫が提案したコード進行とやらを弾きならす。


 うん。たしかに、どことなく違うってのはわかるんだけど……


「コードにも『個性』っちゅうか『キャラ』があってな? 『トニック』・『サブドミナント』・『ドミナント』っちゅうふうに役割分担されてんねん」

「トニックは安定した音色で、サブドミナントはふんわりした音。ドミナントは、一番ガツンッ! ってしているの」

「要するに楽曲にも起承転結があるっちゅうことやな。それらのコードを繋げながら最後まで進んでいくんや」

「え、えっと……そう、なんだ……」


 最後の方、音子がラノベになぞらえて結んでくれたけど、全然ピンとこない。説明してくれてもさっぱり理解できないレベルにまで到達している。


 なめていたわけじゃない。音楽は奥が深い世界だってわかっていた。


 けど、奥が深いどころじゃないよねっ! こんな複雑な世界だなんて思ってもみなかったよっ!!


 僕の不安はどんどん膨らみ、もはや心のなかでは雨が降ってしまいそうだった。


 げに奥深き、音楽の世界。


 そんな高尚な世界に、僕は知識ほぼゼロ――ほとんど非武装状態で踏み込んでしまったんだ。


 僕は恐ろしかった。


 果たして僕は、最後までついていけるのかな?

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