第8話

 実家を出たのは正午だった。朝から彼らの祖父母に遊んでもらっていたからだろう、川原のあたりに差し掛かった時分には、母の膝を枕にふたりとも眠ってしまった。

 私は木々のすきまに覗く川原を、横目に見ていた。川の形が少し変わった。水の勢いもおとといより増しているようだ。


 その夜、床に就いたもののなかなか寝付けずにいた。となりから妻の寝息が聞こえてくる。一度閉じた瞼をまた開いたり、そこにある豆電球の灯りをぼおっと見たりしている。もう一度瞼をおろすと、また渾然と様々なイメージが明滅しながら巡りはじめる。——一昨日の川原の時間。それをその時間と無縁な地点から眺めている。家族という繋がりをもち、また誰がみてもそのようなものと見るだろうこの四人の、しかし、その四人を結ぶ距離が私には奇妙に思われる。

 水辺に入って遊ぶふたりの子と、その母がいて、三つはお互いに関与し合っている。どうして私はひとり、あんなに離れているんだろう。ズボンとスカートをたくし上げた足を水に浸したふたりがつくる水滴に、裾を濡らす妻。それを川原の縁にある陰に腰をおろした私は、妙に満足した微笑をこぼしている。この距離とはなんだろう。

 そういう私になったのはいつのことか。

 また一度瞼をあげる。心細い豆電球の灯りが、さらに過去と感ずるほうへ私を押し流していく。——川原の時間、知花も良太もいない。妻もいない。私と父と母がいる。……この記憶はほんとうにあった過去なのか。あるいは記憶の捏造かもしれない。そこに結局答えのないまま。——ただ、あれは父が言い出したのだ。泳ぎの練習を私にさせるため、あの川原に行ったのだ。でもどうして、海は近くにあったのに。思い出せない。

 父はよく叱った。またよく打った。このときも、私はよく叱られ、よく打たれた。母は叱責する父を咎めて声を投げた。

 叱り、打つ父を、私は嫌っていたのか、恐れていたのか。——どちらでもない。いや、その両方を含んでもいたのかもしれない。しかし、それは私の意識にのぼってこない。それよりも何よりも、私に強く作用していたのは、母の父を咎める一声だった。その瞬間が現実になることを思い、ずっと怯えていた。父が私を叱らないよう、打たないよう、父の指示に応えようと必死になっている。必死になればなるほど、うまくいかない。父の声がさっきより太くなる。「その時」にまた近づいた、と私は思っている。私はまた失敗し、父の声をまた太くする。指導はしだいに叱責の様相をとりはじめていた。その声を耳にしながら、——すればするほど、私の意識は別のほうへ、視界の端でふたりのことを見ているあの母のほうに、気懸りとなって集中していた。

 すこし呻いて妻が寝返りを打った。急にあたりの静けさに連れ戻され、長い息をした。ちょっと、喉が渇いている。布団を出ようかと思うと、そのことがシミュレーションされる。物音が妻の目を覚ます。どうしたの、と寝言のように言う。なんでもないこと。でも、それができない。恒常性が破れることへの怯え、忌避感。目をあけてもとじても、そこには豆電球が灯っている。そこにあってもなくてもいいようにある。叱る者は叱られるべきではないと記憶のなかの私は考えていたのらしい。

 良太が寝返りを打った。そのまま私の腕を掴んだ。血液の運ぶ温度がする。この時間を私だけが知っていて、その記憶もそのうち剥がれ落ちる。通りのほうで走行音がしたのを最後に、この夜の記憶は終わっている。




二〇〇八年九月十三日 了

二〇二一年三月三十一日 改稿

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ただ距離だけが美しい 湿原工房 @shizuki

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