第4話

 友人の顔を見にいくために支度をした。子らは連れていくことにしたが妻は行かないという。

「私がいると昔話も捗らないでしょう」

 そんなことはないと思うが。

「子供たちは許すのに、自分も来てくれていいのに」

「子供は放っておいても遊ぶもの。友達にもお子さんいるんだし」

「気にしなくていいのにな」

 べつに強いるつもりはなかったからそれ以上言わなかったが、少し残念な気もした。

 友人の家まではそう遠くないので歩いていくことにした。子供たちにしても、そちらのほうが喜びそうだ。道も知らないのに私の二十歩も三十歩もさきを歩く。いや、コロイド粒子みたいにジグザグに走り回っている。「車道に近づいたら危ないよ」二人とも私の目的などそっちのけで脇道を見つけるたびに興味を示して右に左に動き回る。まあ、都会のようにひっきりなしに車が通るわけでもない、歩道に収まっている限りある程度好きにさせた。何度か道を指示するうち、私の後ろで遊びながらついてくるようになった。彼らは私のあとを追いながら、追いかけっこをしている。これまでにない街並みに興奮して、みなぎるものを持て余しているようだ。慌しい足音がはたと止み、しばらくしたらまた鳴りだしてを繰り返す。知花といると良太はお兄ちゃんをする。危ないことは私が口を挟まずとも良太がしてくれるから、振り返って視線を送ることはなるべく控えた。ときどき庭に出ている人や畑をやる人が、誰だったかねと尋ねた。そのとき二三の挨拶を交わすあいだも、子らの賑やかさに眉を顰める人はいない。それどころか、子供の姿を見て口元を綻ばせるのだった。

 そんな風に、子供は自分たちで遊びを見つけるにまかせ、その音や声を聴き、ひとり私は楽しんでいた。見えないものが聴こえる、といった風だ。この土地より外を知らなかったあの頃から変化のない風景が目の前には展開している。後ろの声だけがその頃はなかった声だ。それが寂寥とも幸福ともとりかねる心境に私をさらっている。これにはまだ名前がない、どうやって言えばいいだろうなどと考えていると、いつかふたりの声が聴こえなくなったのに気づかなかった。振り返ると、路傍の草むらを見つめて丸くなっているふたりの姿があった。気づくのが遅くなった時間量が、ふたりまでの距離となって現れる。「良太、知花、いくよ」そういっても返事はない。良太がおもむろに腕を持ち上げた。一点を見据えたまま、そのピントを合わせた位置に向け、慎重に手を運んでいく。「アッ」と漏らしてしまった声に一瞬遅れて両手は素早く空を包んだ。——草むらから小さい影がひらりと飛び立った。「あー……」と知花がその影を目で追う。とんぼのようだ。

 ふたりがいるところがとても遠い。

 その距離はとても澄んでいる。子供たちより背の高いすすきの穂のあたりでつん、つんと滑るように飛んでいるとんぼと、口をあけて目で追うしかないふたり。その光景のほうへ、さっきまでのように声を挟むことに強い抵抗が生じて、私も立ち尽くすしかなかった。何が壊れそうなのか、こみ上げてくる寂寥はどういうわけか。どうしてこの距離はこんなにも純度が高いのか。遠いところにふたりがいる。ふたりしてマヌケな顔して空中のものを追っている。このふたりの子供は誰なのか。

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