Low~ルールとか法とかいうやつ~

 狼流ロウルにとって、怒涛どとうの一日が終わった。

 ローダボット研究同好会の部室で、彼は年代物のソファに沈む。

 もう動けない。

 動きたくない。

 その元凶は、今も涼しい顔でアイネや蘭緋ランフェイとお茶を飲んでいた。


「どうだったかね、真心マコロクン。初めての学校は」

「はい、楽しかったです。とても、楽しかった」

「ところであれ、狼流先輩はなんでそこで死んでるんスかねえ」


 今日は一日、真心のフォローにてんてこ舞いだった。

 はっきり言って、真心はおかしい。

 前から知っていたが、常識が通じない。狼流たちが常識として共有している概念の、その多くを持ち得ていないのだ。

 授業用のタブレットも持ってないのに、出された問題にはマッハで正解を答える。

 体操服を持ってないので、担任教師から借りた年代物のブルマで学生新記録。

 昼食時にはジャラジャラと錠剤を取り出したので、慌てて狼流は弁当を半分やった。


「パトラッシュ、僕もう疲れたよ……うう」


 のっそりと起き上がって、狼流は矮躯わいくを引きずるように英雄号へと向かう。

 こんなにへとへとでも、コクピットに座りたい。

 今日も、少しでいいから操縦に習熟したいのだ。

 それに、ローダボットに乗れば元気が出る気がした。

 そんな狼流を振り返って、真心が小首をかしげる。


「狼流君……疲れて、ますか? どうしたのでしょうか」

「真心、お前なあ。でもま、よかったぜ。楽しかったろ? 学校」

「はい、とても。また是非ぜひ、訪れたいです」

「いや、毎日あるから。土日祝日以外は通うんだから」


 狼流の言葉に、真心は僅かに目を見開いた。


「毎日来ても、いいんですか?」

「おうよ。ただ、明日は制服以外も揃えて持ってきてくれ。弁当は……俺、姉貴あねきに明日は二つ作ってもらうよ。きっと姉貴も喜ぶ」」

「……う、嬉しい、です。でも、トレーニングが」

「いやお前、それ以上超人じみてどうすんのって。どうしてもって言うなら、そ、そうだな……俺とやるか? 朝とか放課後とか、トレーニング」


 狼流も最近、再び日課のトレーニングを再開した。

 真心の苛烈な特訓メニューに及ぶべくもないが、パイロットの基本は体力である。

 そんな二人を見て、アイネと蘭緋が揃って微妙な顔で額を寄せ合った。


「ちょっとちょっと、アイネ先輩。あの体育会系のノリ、なんスか? アオハルなんスか?」

「おおやだ、やだねえ。汗臭い話はボクはパス。あ! それより、ちょっといいかい真心クン」


 眼鏡めがねのブリッジをクイと指でお仕上げ、アイネが真心へ声をかけた。


「キミの家にベコがいるだろう? ほら、キミが名付けた柴犬だ」

「それが、会長。家人総出で捜索したのですが、邸内にはいませんでした」

「……彼はボクたちロダ研の会員だぞ? 会長のボクがそう決めたんだからな」

「あの子、メスです」

「とにかく! ボクだって彼女をモフりたい! 明日は連れてきたまえよ?」


 アイネはどうやら、そろそろモフモフ中毒が限界らしい。そんなに動物が好きだったなんて、狼流は知らなかった。

 代役のつもりなのか、アイネは蘭緋の頭を撫でている。

 だが、ワンコ系後輩ではやはり物足りないようだ。

 そして、不意に彼女は質問を変えた。


「真心クン、どうしてベコなのだね。北海道の方言で、牛という意味だが」

「牛という生き物に毛並みの色が似てました」

「うんうん、それはわかる。……北海道にいたことは?」

「わかりません。でも、そういう知識は学習済みでした」

「物知りだね、それも父上が?」

「はい」


 容姿端麗、才色兼備、文武両道……メイデンハートはパーフェクトな美少女ロボットなのだ。その中の人である真心は、超人じゃないのにヒーローをやっているのだった。

 狼流は英雄号のハッチを開きながら、呑気のんきに二人を眺めていた。

 だが、ふと妙な緊張感に部室が支配される。

 アイネの言葉が、ほんの少しだけ語気を強めて放たれた。


「それと、真心クン……どうしてベコを助けたんだい?」

「それは」

「ヒーローは災害や事故、ヴィラン犯罪以外への干渉を禁じられている。国家間の戦争にも、人間同士のいさかいにも介入しない。勿論もちろん、捨て犬を拾ったりもしないものだ」


 遺伝子変異体いでんしへんいたい、いわゆる超人たちは特別な制限の中で管理されている。

 たまたま人間を凌駕する能力を持って生まれた者が、好き勝手に生きてては社会構造が壊れてしまうからだ。

 そして、狼流は初めて見る。

 あの真心が、言いよどんで言葉に詰まっていた。

 そのまま彼女は、腕組みウーンと真顔で考え込む。

 やがて、真心は俯いていた顔をあげた。


「父様から、国際超人機構の条約については説明を受けています。しかし」

「しかし?」

「ベコは雨の中、泣いていました」

「そりゃ、犬だから鳴き声くらいはあげるだろう」

「法には反していますが、助けたいと……自分でも不思議ですが、助けねばと思いました」


 真心にしては歯切れの悪い言葉だった。

 そして、これまたらしくない問答が続く。

 今日のアイネは何故なぜか、妙に言葉の切れ味が鋭い。


「真心クン、キミは超人じゃない。けど、最強ヒーローのメイデンハートだ。……妙だと思わないかい? 何故、キミがそんなことをしなきゃいけない」

「父様の命令だからです。……それに、父様の夢も継ぎました」

「親子と言えど、親と子は別人格だ。それに、互いに親は子を、子は親を選べないのだぞ? なあ、真心クン……よく考え給えよ。そもそも、メイデンハートとは、なんだね?」


 たまらず狼流は、英雄号から飛び降りた。

 蘭緋も、突然のことに目を白黒させている。


「ちょっと、会長! 真心にそんなに絡まなくても」

「ん、少年。キミはおかしいとは思わないかい?」

「や、真心んちの事情は確かにおかしいですよ。でも、真心がやってることはおかしいとは」

「彼女は超人ではない、ただの普通の人間だ」


 思わず真心が「鍛えてますので、普通では」と言葉を挟んだ。

 だが、アイネは構わず言葉を続ける。


「なにも、条約の徹底した遵守を言ってるんじゃない。少年、キミだって英雄号で公道を走る時はそうだろう? 現在の道交法を基本的に守りつつも、TPOだって大事だ」

「そりゃ、交通の流れなんかも大事ですし……でも、それとこれとは」

「同じだよ、少年。何故、どうして……超人の遺伝子変異を持たなかった娘に、親がヒーローを強要するのかってね」


 真心は黙ってしまった。

 だが、狼流は黙ってはいられない。

 自分だって柊家のことは心配だが、真心は自ら望んでメイデンハートをやっているように見える。でなければ、過酷なトレーニングにも、トップヒーローの重圧にも耐えられる筈がない。


「道交法も条約もこう、あれですよ会長。法を守ることで、俺たちは法に守られてる気がします。でも、本質的にこぉ、上手く言えないんですけど」


 ついつい、言葉を脳裏に探せば手がわきわきと見えないろくろを回してしまう。陶芸家のように、想いを言葉に練り上げてゆく手付きだ。


「人は皆、法を守ることそのものが目的じゃないと思うんですよ」

「ふふ、なかなかに過激な話だな、少年」

「法を守ることは手段で、目的じゃない……法さえ守ればいいというのは本末転倒です。それに」

「それに?」

「俺の推しが、メイデンハートが困ってる人を見捨てる訳がないッス!」

「……犬だけどね、ベコは」


 はあ、と小さく溜息をついて、アイネが苦笑を浮かべた。

 どうやら、彼女なりに満足した言葉が得られたようだった。


「済まないね、真心クン。なに、ちょっとした思考実験みたいなものだ。気を悪くしたなら謝るよ」

「いえ、会長。わたしは大丈夫です。ただ」

「うん? ああ、気にすることはない。国際超人機構の条約は、全て人間を対象にしたものだ。捨て犬を助けたとて、大きな問題はない筈さ」


 蘭緋がげげげと口元に手を当ててドン引きしていた。

 アイネは知ってて、先程の論争を持ちかけたようだ。

 そんな彼女にもまた、事情があるのだろう。

 ただ、ニヒヒと笑ったアイネは鞄を手に歩き出す。


「さて、今日はボクはお先に失礼する。真心クン、明日は、明日こそはベコを連れてきてくれたまえ。……そうだな、見つからないのなら一緒に探そう」

「はい。わたしもベコは心配です」

「うんうん。では、また明日な」

「はい、さようなら」


 アイネは行ってしまった。

 なんだか、今日は彼女の意外な表情ばかり見せられる。

 無邪気な笑顔と、妙な湿度を持った不思議な論調……なにを言いたかったのか、結局はわからなかった。ただ、伝えたいなにかがあるのが感じられた。

 結局その日は、狼流は英雄号に乗る機会を逸して、真心と蘭緋との三人で早めに帰宅することになるのだった。

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