ただいま日常、いらっしゃい学園生活

 狼流ロウルの停学が明けた。

 正義感ゆえの暴走ということもあって、温情措置が取られたのだ。なにより、各種ヒーローから「キツく言っといたし、勉強もあるからあまり、ね?」と口添くちぞえがあったらしい。

 嬉しい。

 滅茶苦茶めちゃくちゃ嬉しい。

 それで狼流は、早めに登校して英雄号を部室のケイジにまずは戻した。


「じゃあなにか、少年。ベコは真心マコロクンの家に連れてったら、行方不明になったと?」

「デカい屋敷でしたからねー。でも、ベコは真心が拾ったし、真心になついてて」

「ほう? それでキミは、ボクの朝のもふもふタイムを奪ったという訳かい?」

「なんです、それ……え、会長って意外と」

「はっはっは、かわいいものが嫌いな女子などおらんよ」


 部室には既にアイネがいて、二人で校舎へと歩く。

 相変わらず今日も、アイネは真っ赤なマフラーをひるがえしていた。だが、眼鏡めがねの奥の瞳はフラットに怒りを浮かべている。どうやら、ベコがいないのが気に食わないらしい。

 だが、すぐに彼女はいつもの冷静でミステリアスな雰囲気をまとい直した。


「それで? 真心クンの私生活、プライベートはどうだったかね」

「いや、その……そういうのって、あるんですか?」

「ボクに聞かないでくれたまえよ」

「なんていうか、あいつにはメイデンハートになって戦うだけの日々しかないんです」

「……だろうね。そんなことだろうと思ったよ」


 アイネには想定内、予想できてたことらしい。

 真心には、おおよそプライベートと呼べるものがなかった。それは、彼女自身の自我や意思が希薄なことにも起因しているだろう。

 元ヒーローだった父親の命令で、ひたすらヒーローとして活動する日々。

 そのためのトレーニングと、適切な栄養を摂取するだけの毎日なのだ。

 遊ぶ時間もオシャレもない。

 服も必要最低限しか持ってないのだ。

 そのことをアイネに告げたら、意外な言葉が返ってきた。


「それで? 少年、キミはどうしたいんだい?」

「へ? どうしたい、って」

今更いまさらだが、キミは踏み込み過ぎてるのかもしれんぞ? 推しヒーローのメイデンハートよりも、その中の真心クンにね」


 言われて思い出せば、何故なぜか記憶の中の真心はいつも無表情だ。

 そして、必ず別れ際に「さよなら」を告げてくる。

 昨日もそうだった。

 そんな彼女がどうしても、狼流は見てられないのだ。


「……ひょっとして俺、ウザがられてるんですかね」

「いや? 真心クンに限ってそれはないだろう。そもそも、意識されてるかどうかという問題はあるが。だがね、少年」


 不意に、並んで歩いていたアイネが一歩踏み出る。彼女はそのまま、振り返るなり真剣な眼差まなざしを注いできた。

 いつも飄々ひょうひょうとしているアイネだが、その目は今日は笑っていない。


「キミの干渉がキミ自身の善意と好意であっても……人の生き方に踏み込むからには、覚悟が必要だ。わかるかい?」

「……わかりますよ、それくらいは。まだ、ちゃんと理解はしてないかもですけど」

「ん、ならいいんだがね。どんな形であれ、一定の責任が生じることを覚えておき給え。その上で……覚悟があるなら、色々思うようにやってみるといい」


 ヘラリと笑って、いつものアイネに戻る。

 そうして前を向き、彼女は何事もなかったように歩き出した。

 その横に追いつき、再び並んで狼流は告げる。

 実はもう、、と。

 思っていることを真心の父親に言ってやったと明かしたのだ。

 すると、アイネは一瞬だけ目を点にして……そして、眩しい笑みを浮かべる。不思議で謎なアイネの笑顔を、狼流は初めて見た気がした。


「それはまた……ハハッ! いいじゃないかあ。やるね、少年!」

「でも、人様の家庭の事情に俺は踏み込みました」

「よかれと思って、だろう?」

「それは当然です! でも……今になって思うのは、お節介せっかい、余計なお世話だったのかなって」


 周囲に登校する生徒たちが増える中、下駄箱げたばこで一度別れて内履きに履き替える。

 再び合流すると、アイネはトントンと靴の爪先つまさきで床を叩いて鼻を鳴らした。


「おいおい、今更いまさらだろう? ……こんな言葉があるのを知っているかい? 

「やな言葉だなあ。って、まあ、うん……少しわかりますけど」

「なに、キミはわかってなどやるな。無視しろ。少年、悪気がないのがなおも悪いなんて言う奴もいるがな……人間は基本的に、よかれと思うことを頑張ってみるしかできんよ」


 妙に達観たっかんした、酷く老成した言葉だった。

 たった一つしか違わない先輩が、狼流には酷く遠い存在に思える。それが、先程の満面の笑顔と妙にミスマッチで、ますますアイネのことがわからなくなった。

 アイネはマフラーで口元を隠しながら、静かに言葉を選ぶ。


「少年、ボクはキミの良かれと思う善性を信じているよ。大丈夫、キミなら真心クンを救える。そこまで大げさな話じゃなくても、きっといい結果を引き寄せられるさ」

「そう、ですかね」

「ただ、失敗したら責任はキミにある。最後に尻を拭くことまで考えた上で、善処することだね」


 それだけ言うと、アイネは歩き出した。

 階段までは一緒だが、二年生と三年生では教室のフロアが違う。

 賑やかな朝の雰囲気は、そこかしこで学生たちが華やいでいた。

 中等部の子たちもチラホラ散見されるし、小さな青春が咲き乱れている。

 そんな中で、先を歩くアイネの背中だけが浮いて見えた。

 それが不思議と、真心を思い出させる。


「アイネ会長っ! あの……お節介ついでですけど、ひょっとして会長も」

「おいおい、ボクはついでかい?」

「あ、いや、それは言葉のあやですって。でも……俺、なにか会長の力になれます? なんか会長ももしかして、困ってません?」

「ほう? そう見えるのかい?」

「わかりません。でも、もしそうだったらと思いました」


 ふむ、と唸ってアイネは目を細めた。

 隣の狼流は、妙な緊張感に汗をかく。

 だが、アイネは悪戯いたずらっぽく笑って舌を出すだけだった。


「おこがましいぞ、少年? そういうのは真心クンと、あとはたまにでいいから蘭緋ランフェイにやってやり給えよ。ボクはそうだなあ……ベコと遊びたかったんだが、わかるかい?」

「真心に言っておきます。多分、あいつの家にいるから」

「うんうん。さて、時間のようだね」


 予鈴よれいベルが鳴った。

 それでアイネは「それじゃ」と言って、しゅたっと行ってしまった。彼女の背が階段の踊り場を曲がって消えると、狼流も教室へと急ぐ。

 僅か数日の停学だったのに、なんだか酷く懐かしい。

 教室に入ると、クラスメイトたち全員が振り返った。


「おっ、来たな! 停学小僧!」

「お前さあ、なにやってんのって。ヒーローバカもここまでくるとあきれるぜ」

「で? それで? なあ、話を聞かせろよ!」

「ちょっと男子ー? ホームルーム始まるっての!」

「あ、飛鳥アスカ君。これ、停学中のプリント。それと、ノート見る?」


 いつもと変わらない光景だが、なんだか酷くジンと来た。

 そして思った。

 今度からはもっと、やり方や手段も考えよう。正義の心だって善意だって、その方法論を間違えれば周囲に迷惑だ。増して、自分のささやかな幸せすら失ってしまう。

 停学は痛かったが、ちょっぴり色々学べた気がした。

 そして、やっぱりクラスの仲間が眩しい。

 バタバタと皆が席に着く中で、狼流も自分の机に向かう。

 担任の女教師が入ってきたのは、そんな時だった。


「おらおらー、座れ座れー! あと狼流、停学明けたか……今度バカやったら退学もあるからなー? んー? わかってんのかオイ」

「ウス! 先生、御迷惑ごめいわくをおかけしました!」

「ああ、とんだ迷惑だよ。お前のおかげで合コン逃したんだからな?」


 美人だが、妙にサバサバとぶっきらぼうな女教師だ。

 そんな彼女は、出席簿を教壇の上に置くと、いましたが入ってきた扉を振り返った。


「喜べお前ら、転校生だ。おい、入れ!」


 そして、息を呑む気配が周囲を席巻する。

 誰もが驚く美貌びぼうが、静かに教室へ入ってきた。

 長く黒い髪が揺れて、真っ白な肌の制服姿は長身だ。姿勢良く彼女は、教師の横で気をつけの姿勢で直立不動。それは、目も覚めるような美少女だった。

 勿論もちろん、その名を狼流は知っている。

 クラスがざわめき立つ中で、先生はチョークを手に取り真心に渡す。

 そう、転校生はあの柊真心ヒイラギマコロだった。


「はい、黒板に名前! あと、自己紹介」

「了解です」

「了解です、じゃないっての。返事はハイだ!」

「は、はいっ」


 おずおずと真心は、チョークで黒板に名前を書く。

 どういう訳か、無闇むやみやたらとデカく書く。

 黒板いっぱいいっぱいに、柊真心と達筆たっぴつな字を描いて、彼女は振り向いた。


「柊真心です。みなさん、宜しくお願いします」

「うーし、わかったかお前ら! 仲良くしろ、以上! 席は……狼流の前が空いてるから、そこに座れ」


 女教師に指さされ、全員の視線が狼流に刺さる。

 澄ました顔で真心だけが、いつもの無表情を律儀に引き締めているのだった。

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