第29話 あい

「穂乃佳、起きてるか?開けるぞ」


 2回ノックしてドアノブを捻る望月パパ。


「………………………………」


 返事は無い。聞こえない程小さかったのかもしれないけど。


 ドアノブを捻り、ガチャリと開いたその先は、僕の想像圏内で、覚悟以上の光景が広がっていた。


 息が詰まった。


 一見すると、可愛らしい部屋。


 一言で表すと、不気味な部屋。


 ピンクや水色や薄い黄色、その3色をベースに、ベッドもカーペットも机も椅子もぬいぐるみもクッションも、目に入る物全てが可愛らしくって、とてつもなく気持ち悪かった。


 統一された部屋は作り物みたいで、生活感がない。床も天井も壁紙も、全てがメルヘンで、どこか押し付けがましい狂気を感じた。


 夏は目の前だというのに、寒気がする。身の毛が逆立つ。息が浅くなる。呼吸が止まりそうになる。


「具合はどうだ?瑞ちゃん来てくれてるよ」

「穂乃佳、大丈夫?」


 開けるや否や、ベッドに横たわる望月に駆け寄り、その手を握る望月夫妻。


 うっすらと目を開けた望月に、「熱はあるか?」とか「お腹空いてない?大丈夫?」とか、病人を気遣う言葉を投げ掛けていた。


 その様子を黙って見ていた針ヶ谷は、淡いピンクのカーペットを踏み、ゆっくりと望月の側に近づいて、


「思ったより元気そうでよかった」


と、少し笑った気がした。


 僕は望月夫妻や針ヶ谷と違って、望月にかける言葉など持ち合わせていないから、扉の前に立って、部屋には入らなかった。


 否、部屋に入りたくなかった。


 開けた扉から見える、ベッドの横にある勉強机には、綺麗だが少し古い機種のパソコンと、棚に入りきらずに積み上げられた教科書やノート、大小さまざまなぬいぐるみがあった。その内の、大きなペンギンの顔に、初めて会った時に付けてたひょっとこの面がしてある。


 いつもビデオチャットの背景が薄暗く、電気をつけない理由。


「……………………………え…………?」


 視線を下げてギョッとした。


 白っぽい水色のゴミ箱に、溢れんばかりの紙ゴミが捨てられている。それがルーズリーフかノートを破ったものか定かではないけど、一定の間隔で薄緑の横線が入った紙だ。その横線の上には、びっしりと黒い文字が並んでる。


 部屋の中はカーテンを開けていても薄暗く、そこそこ離れているから読めはしないけど、殴り書いたような刺々しく尖った字で、鉛筆を強く押し付けた濃い字で、何か書かれていた。


「食欲ある?お薬は飲めそう?」


 僕は込み上げてくる吐き気をなんとか飲み込んで、腹を括り直して、覚悟の上書きをして、その悍ましくも感じる部屋に踏み込んだ。


 一歩ずつゆっくりとベッドに近づき、針ヶ谷の隣から、望月の顔を覗く。


 熱った望月の顔は以前のそれでは無く、浅く長い呼吸と額に張られた冷えピタが、別の原因の体温上昇を物語っている。頬と鼻の頭だけが赤く、その他はやけに白い。


 うっすらと目を開けたが瞳も首も動かない望月に、僕は少し屈んで、目線を低くして、声をかけた。


 しかし、いつもの口調で話しかけたら、せっかく積み上げたものがハッタリだと両親にバレてしまうから、設定を維持したながら。


「こんにちは、穂乃佳ちゃん。僕の事わかる?」


 言ってから、まるでしばらく会っていない親戚の子に挨拶する叔父さんの様だと思った。


 その挨拶に、僅かに開いたまぶたの下で瞳が動き、2回ほど瞬きをした後、


「……………………しょうへい……さん………?」


と、望月は呟いた。


「よかった、わかるみたい。覚えてもらえてたみたいだし」


 よかった。少しホッとした。


「早く元気になってね」


 今まで無反応に等しかったから、返答された僕に対して「何故お前が」と言った目線を送る望月夫妻に身の危険を感じて、前屈姿勢を直し、


「僕、先にリビングへ戻ってますね」


 と、一言いれて、外へ向かう。後ろから細々と針ヶ谷の名前を呼び、「来てくれたんだ。嬉しい」と声がする。


 部屋から出た瞬間、まるでずっと水中に潜っていて、やっと水面に出て酸素を得た、あの感覚に似ていた。


 振り向くと望月は両親と何か話しているみたいだった。さっきと比べて、語気が荒く感じた。


 あの子の抱えてる影が、何となくわかった気がした。






 人の部屋をあまりジロジロ見るものじゃ無いのは知ってる。けど、あの部屋はあまりに異質だった。


 そしてこの部屋も、よく見れば異質だ。


「………………………………」


 リビングを入ってすぐ横、ティーカップが並んでる机とは逆の入って右側。丸いローテーブルとソファーとテレビがある、家族団欒かぞくだんらんの場。いわゆる家庭のパーソナルスペース。


 そのテレビと向かい合う様に、ソファーの後ろの壁に飾られてる額縁には、家族写真が入っている。今より少し若い望月夫妻と、あまり変わらないその娘と、祖父母らしき老夫婦が並んで、この家をバックに、それぞれ笑みを浮かべている。


 望月以外。


「………………………………」


 テレビの横。写真立てに入っているのは、望月の写真だけ。逆にこっちは笑っている。さっきの捻り出した様な笑顔では無くて、不意にこぼれた様な、自然な笑顔。


 不思議なのは、不気味なのは、他の子がろくに映っていない事。当時のお友達と遊んでいる場面で、その子も一緒に撮った写真をトリミングした様に、写真の端に、黒い髪の毛とスカートの裾が飛び出し、見切れてる。


「……………………………」


 テレビ台の戸棚。流石に家主の許可なく物色するほど、失礼な事はしないけど、ガラスの戸棚だったから、開けずともその中を見る事ができた。


 見る必要の無い物を見たかもしれない。


 その中には、色が統一されたファイルがあって、背表紙に西暦と月と日付が書かれていた。ただそれだけ。


 ザッと数えて20冊はあったと思う。


 中身を想像するまでも無く、僕は目を逸らした。想像したくなかったから、目を逸らした。


「……………渋っ……」


 舌にあふれた感情を洗い流そうと思い、しかし先程飲み干してしまったから、ティーポットの少しだけ残っていた紅茶を、自分のカップに注ぎ、すぐに飲み込む。


 浸しすぎた茶葉から、えぐみと渋みが溢れ出て、少量のお湯に凝縮され、お世辞にも美味しいとは言えない。最初に頂いた紅茶とは思えない程、味が変わってしまった。


「…………………やっぱ面白くねぇよ……」


 誰もいないリビングで、そう呟いた。


 ぼんやりとした影が、くっきりと輪郭を得た瞬間だった。

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