第21話 微熱

「お疲れ様です」

「………………僕にも選ぶ権利ぐらいあるけどね」


 神宮寺の手から「受け取れ」と言わんばかりに突き出された炭酸飲料を手に取って、元の棚に戻して隣の炭酸飲料を取る。お前も変えんのかい。


「行かねーぞ」

「知ってますよ」

「じゃあ何が狙いだ」

「いや〜、一緒に会計したらワンチャン奢ってもらえるかもと思いまして」

「んなわけねぇだろ。自分で払え」


 レジカウンターにペットボトルを置き、「お疲れ様です」とレジの店長に。すかさず同じ商品を横に置く神宮寺。とても笑顔。


 一ミリたりとも奢りたくならない顔を見てから、「会計、別でお願いします」と言って100円玉一枚と10円玉3枚を渡して、シールを貼ってもらう。おい、お前。「信じられない!女の子が媚びてるのに!」みたいな顔すんじゃねぇ。


「お先失礼します」

「お先でーす」

「2人ともお疲れ様」


 相変わらず寝不足らしく、目の下のクマがさらに深くなってる店長に、何故か若干の申し訳なさを感じながらお釣りを受け取る。


「…………行かねーぞ」

「緊急集合ありますけど基本的に自由参加なんで大丈夫ですよ」


 何がどう大丈夫なんだよ。自由参加なら入団も自由にさせろよ……。


「じゃあ何で着いてくるんだよ」

「お話があるからです」

「話?」

「そうです」

「…………………………」


 話。


 その言葉に、嫌でも反応してしまう。


 昨日の今日で敏感になってるとか、最近その『話』に振り回されてるからとか、そう言った訳ではなく(それもあるかも知れないけど)。


 ただ、僕としては、現状の僕としては、


 傾けなくていい話もあると思っているから。


「………………………………」


 美彩のメッセージに返事はした。なるべく当たり障りのない内容と、刺激を与えないような口調で。たしか、『すまん寝てた』と『バイトしてるぞ』だったはず。


 それでも反応は乏しく、『そ』の一言だった。いや、一文字か。


 聞いた理由を聞きたかったが、墓穴を掘る気がしてやめた。今はお互いデリケートな状態だ。熱が冷めるまで、焼石が常温に戻るまで、待つのが一番安全だと思った。


 という建前で、本音は関わりたくないだけなのかもしれないけど。無意識のうちに壁を作っているのかもしれないけど。


「先輩聞いてます?」

「……あぁ、悪い。考え事してた」

「何考えてたんですか?」

「……………そういう事聞く奴お前ぐらいだよ」


 変人の中の変人。


 だからこそ、その『話』は……『話』と銘打って話される『話』は、考え事で聞きぞこねていい物ではないから、耳クソかっぽじってよく聞くべきなんだけど。


「で、何の話?」

「だから………あ、ミサじゃん」


 不意に、心臓が飛び跳ねる。


 開いた自動ドアの反対側には、神宮寺の発言通り美彩がいた。


「あれ?いま上がり?あっちゃ〜惜しかった!まぁ、帰る前だしギリギリセーフっしょ」

「ミサ昨日ぶり〜、これから部活?」

「いんやさっき終わった」


 妙な汗をかいていると、美彩はそれに気づいたのか、


「おっす彰平!昨日ぶり!!」

「………おっす」


 昨日とは打って変わって、ケロッとした美彩が、屈託くったくない笑顔を浮かべて挨拶をする。それに拍子抜けして、僕は少しぎこちない挨拶になった。


「しっかしあっついねー、歩いてるだけで汗ダラダラ。もう夏かよって感じ」

「わかる〜。アイスめっちゃ美味しいもん」


 美味しくない時があるみたいな言い方すんな。アイスは年がら年中美味しいよ。


「でもなー、あたし今アイスよりアク○リって感じなんよ」

「暑いから炭酸も沁みるよ〜」

「炭酸は家帰ってから飲みま〜す。とりま、流した分の汗取り戻してきまする〜」


 そう言ってドリンクコーナーへ向かう美彩。手に取るのは炭酸飲料水ではなく清涼飲料水。ノーマルではなくレモン味。


 それでもなんだかんだで、アイスコーナーに目を奪われてる彼女を目で追っていた神宮寺は、


「アイス買おっかな……」

「唐揚げと一緒にしたら秒で溶けるぞ」

「…………たしかに」


 ペットボトルを持ってない方の手には、先程奢ってもらった唐揚げが、ビニール袋の中で熱気を放っていた。


「先輩。唐揚げ食べませんか?500円でお譲りしますよ?」

「倍以上のお値段で誰がお譲りされるんだよ」

「あたし食べよっか?ちょーど小腹空いてるし」


 無駄話をしてる間に会計を済ませた美彩は、結局誘惑に負けたのか、アイスを一本買っていた。いや、商品の分類的には氷菓だから、アイスという表現は正しくないのだけど。


 まぁ何にせよ、「よく食うね君ら」で終わりなんだけど。


 店内のクーラーを惜しみながらも、自動ドアが開いて、熱気に包まれる。うわぁ……。


「………ミサ、前も食べなかった?唐揚げ」

「まーね。甘いものと、しょっぱいものと、メインディッシュは別腹よ」

「別じゃない方に何が入るんだよ……むしろそっちがメインだろ……」


 成長期のスポーツ少女恐るべし。


「つーかユキも物好きだねこんな暑い日に」

「違うよ奢ってもらったの」

「誰に?」

「……………知らない人に」

「え、ヤバくね?」

「知らない人て………片淵かたぶちさんな」

「カタブチ?」


 片淵梅。うめと書いて「めい」と読む。


 免許証をまじまじ見た事も、女性に年齢を尋ねたことも無いから、彼女の年齢は知らないけれど、おそらく20代後半だと思う。


 これ以上は、彼女の許可なしに語れない。


「一応常連さんだからな?あの人」


 言えるのはこれだけ。


 確かに神宮寺視点では初めましてだから無理もないけど、それにしたって知らない人は無いだろ。不審者みたいじゃねぇか。


「そう!それですよ!!」

「いきなり大声出すな」

「誰なんですかあの人!めっちゃ仲良さげだったじゃないですか!?」

「だから知り合いだよ……」

「知り合いの後輩ってだけで唐揚げ奢りませんよ普通!どういう関係ですか!?正直に言ってください!!」

「って言ってるけど?」

「…………………………」


 僕は適当な発言や誇張した表現はするけど、嘘やはぐらかすのは苦手だ。


 別に嘘が悪いとは思っていない。気遣いや傷つけないための嘘はあった方がいいと思う。


 だから、触れられないようにする為とか関係のない事を隠す為に使いたいのだが、僕は下手だ。


 つまり、端折はしょって言う事しか出来ない。


「昔やってた家庭教師のバイトの保護者。それ以上でもそれ以下でもねぇよ」

「家庭教師のバイトしてたんですか?」

「すぐ辞めたけどな」


 いい社会経験でした。もう2度としたくないですけど。


 世の中で高校生では出来ないバイトがある。それこそ家庭教師とか居酒屋とか、未成年だと色々不都合な仕事はまあまあ存在して、だからその分給料はいい。


 奨学金があるとは言っても、学費と家賃は別。食費や生活費も別だ。


「それにしたって距離近くないですか?」

「距離感わからない人だからな」


 物理的に。


 あとお前が言えた事じゃないけどな。


「……………腑に落ちなさすぎですが、まぁいいです……」


 へそを曲げて、口をへの字にして、唐揚げを食べる神宮寺。「一口ちょーだい」と口を開ける美彩に、「あーん」と言って唐揚げを一つ差し出す。美彩は目の前に差し出された唐揚げを、人参を差し出された兎のように、その唐揚げをぱくっと噛みつき、モグモグと咀嚼する。


「神宮寺がそこまで突っかかるなんて珍しいな。あーゆータイプの人好きそうなのに…………てか誘うなよ?」

「馬は合いそうなんですけどね……何というか、嫌ですね………」

「生理的に受け付けない、みたいな?」

「そーゆー訳でもないです」

「どーゆー訳だよ」


 何なんだマジで。


 腑に落ちない神宮寺と理解できない僕。もう一個唐揚げを食べる美彩。よく食うね君ら。


「あ、終わった」

「食うのはや」

「ま、そんな量は言ってないですからね」


 小腹を満たすぐらいの量さ入ってると思いますけどね。


 神宮寺は唐揚げのゴミをまじまじと見てから、


「…………………………ゴミ捨てて来ますね」


 来た道を逆走。バイト先のコンビニに後戻り。


「いってら」

「ひょっとして、あたし捨て来た方が良かった?……2個食べたし」

「自主的に行ったんならいいだろ」

「それもそっか」


 炎天下ではないにしろ、熱い日差しが降り注ぐ歩道を、全速力で走る神宮寺を横目に、僕らは軽く道路脇に寄って、木陰で涼みながら、


「昨日は悪かった。ついカッとなって」


 刺すように言われた。


「……………あぁ。……いや、僕こそ……ごめん」

「あれは100あたしが悪いよ」


 ランニングシューズと屋外競技シューズの違いがわからない僕は、その通気性が良さそうなシューズで小石を蹴る美彩に、相変わらずかける言葉が見つからず、それから逃げるように、或いは縋るように、遠くなる神宮寺の背を見る。


「忘れてくれなんて、都合の良い事を言うつもりはない」


 昨日とは打って変わって、涼しい顔をしていた。


「別に理解わかって欲しい訳でも、知って欲しい訳でも無い。わかりっこないし、理解わかっても意味ない。何も変わらん」


 そう呟く美彩は、あの眼をしていた。ガラス玉のような、無機質な眼。


「おいおい話す。だから、………それまでは、猿芝居に付き合ってよ」


 虚ろな顔をしながら、彼女は僕を見た。


 瞳に映った僕の姿は、さすがに見えなかった。

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