第18話 憎悪

「お前さ……何でここに来たの…………?」


 一瞬、誰の声かわからなかった。鋭利な刃物の様な言葉が、僕の心臓を突き刺した。


 考えるまでも無く、状況的に、その刃物は美彩の所持品だった。


「……………………………………」


 エレベーターが来るまで、やけに遅く感じた。ちゃんと登って来てるはずなのに、1から10まである数字が順当に光っているのに、一階一階で止まってるぐらい長かった。


 早く来ても、状況は変わらないはずなのに。投げかけられた問いは変わらないのに。


「何しに来たの?何で居んの?」


 動揺で思わず黙ってしまった僕に、美彩は一つまた一つと、質問という刃物を投げる。


 今思えば、質問より尋問に近かった。そう言い表すべきだった。


 初対面では無いにしろ、出会って間もない間柄だが、ステレオタイプに当て嵌めてる訳じゃ無いけど、美彩がどういった人間か、なんとなく分かってきたから、仲良くなったつもりだったから。


 意表を突かれた。度肝を抜かれた。


「………お前は単なるお人好しで、自分が何してるか分からないまま、ここまで来たのかもしんないけどさぁ。自分が何してるのか、ほんとにわかってんの?」

「……………………………………」


 正直わかってはいない。何も知らない。


 でも、とりあえず、彼女が僕に敵意を向けていることだけはわかった。


 何も言えずに沈黙を続ける僕に嫌気が差したのか、


「………………みんな甘っちょろいんだよ……」


 美彩は苦虫を噛み潰したような顔をして呟いた。


 反面僕は、その「みんな」という言葉で指してる人達と、「みんな」という言葉の響きで、ある事を思い出した。


『面白い話』


 彼女は確か、そう言った。


 パズルのピースがはまった瞬間、まだ夏は来ていないというのに、背中に氷の塊を押し付けられた様に、怪談に心当たりがあった時の様に、ゾクッとした。


「……宴会ムードに水刺したくなかったし、優紀とも仲良いっぽかったからヘラヘラしてたけどさ、あたしは一刻も早くお前を追い出したかった。まして、あそこに入れたくも、連れて行きたくも無かった」


 腕組みしていた美彩の手が、自分の二の腕をギュッと掴み、人差し指でトントン叩く。


『ピーンポーン』


 やっとエレベーターが到着して、扉が開くと、


「先に入って」


 レディーファーストをする紳士の様に、美彩は閉まる扉を手で押さえて、中に入る様促される。


 わからない。美彩が言いたい事が、全くわからない。


 エレベーターの中に入ると、美彩は扉の横のボタン付近を陣取り、不機嫌そうに壁に背を預けた。


 不機嫌そうにじゃなくて、不機嫌だ。


「………………………………」

「………………………………」


 睨まれるような事をした覚えはないし、嫌われるような事をした覚えもない。


 女性と2人きりでエレベーターに乗ることは大学とかで度々あるけど、初めてここに来た時だってこのエレベーターで神宮寺と乗ったけど、これ以上気まずい空気になったことは無い。


 何がわからないか、わからない。


 歯軋りをする美彩。


「…………よくわからんが、落ち着け美彩」


 下手に嘘をついて油を注ぐくらいならと思い、僕は思った事を、正直に話した。しかし、それは逆効果だった。火に油を注いだ。


「馴れ馴れしく呼ぶんじゃねぇっ!!!」


「…………………………………」


 密閉されたエレベーターの中で、少女とは思えない声が木霊こだまする。壁や天井に跳ね返って、響き渡る。


 威嚇のような美彩の声に、僕は怯みつつも、黙ってしまったら、何もわからないからと、わからないままだからと、半開きになる口をちゃんと開いて、言葉にした。


「…………誤解っつーか勘違いっつーか、僕は別に優紀達に危害を加えるつもりは……」


「ッ!!!」


 虎の尾を踏んだ。


 それを知った時には、鬼の様な顔をした美彩に、胸を殴るように胸ぐらを掴まれ、壁に押し付けられていた。


「口では何とでも言える……………」


 今思えば、愚行も愚行。愚かな行動だった。


 そもそも、人間ひと他人ヒトに言いたく無い事の一つや二つ当然ある。秘密も隠し事もある。それは僕も同じで、彼女も同じだ。ましてやこのメンバーは……。


 「わからない」と言えば教えてもらえるという公式は、聞けば教えてもらえると勘違いしている、義務教育のガキの行動だった。


「……キメェんだよ…………土足で入って来んな…………」


 間違った選択をした実感はあった。後悔も感じる。


 でも、踏み込んで欲しくないと言う意思だけは、知ることが出来たから、収穫はあったんだと思う。


 わからない事は、わからないままで終わってしまった。だけど、また別の事がわかったから、それでいいと思わないと、そう言い訳をしないと、彼女に申し訳が立たない。


「薄っぺらい言葉並べやがって、そんなんで信頼勝ち取ると思ってんじゃねぇよ。………信用できるわけねぇだろうがよっ!!!」


 彼女が言う通り、僕は傲慢だ。


「……………あの場所はな、お前みたいな奴がのこのこと入っていい場所じゃねぇだ………」


 美彩は苦虫を噛み潰したというより、涙を堪える様に、僕の服をさらに強く握った。


 服の皺が深くなる。眉間の皺も。


 目を見開いて、歯を剥き出して、刃を剥き出して、敵意を剥き出して、僕を睨む美彩に、僕は、視線を逸らさなかった。


 もし逸らしたら、それは逃げるという事、腫れ物に触る事をやめるという事、彼女の意思を尊重したいというのが嘘だったと、公言することだと思ったから。


「………………………………………」


 あと、もう一つ本音を垂れ流すとするなら。


 顔が良ければ、例え怒っていても、綺麗だと感じるものなんだなと、そう思った。これ以上油を注ぎたくないから、言わないけど。


「2度と来るんじゃねぇ!!!もう2度と、私達の目の前に現れんじゃ…」

「美彩ちゃん。もう夜中だから、静かにしないと……ね?」

「………………………牡丹っち……」


 気が付けば、エレベーターは一階に到着していた。


 そして開いた扉の奥には、人差し指を口の前で立てて、「しーっ」とジェスチャーする折坂さんがいた。


「あまり怖がらせちゃダメ。新入部員だって新入社員だって丁重に扱わないと、組織は存続しないよ?」

「……………………チッ………」


 僕にしか聞こえないぐらい小さな舌打ちをして、美彩は握った拳を緩めた。


「…………命拾いしたな」


 吐き捨てるように呟いたセリフをエレベーターの中に残して、折坂さんの横を通ってエントランスに向かう美彩。


 腰が抜けた僕は、エレベーター内の手すりに腰掛けて、なんとか緊張を解く。


「グッドタイミングかバットタイミングか、酔いが覚めちゃったな〜」

「あ、ありがとうございます………助けてくれて……」

「いいのいいの。これもお姉さんの務めだから」


 メンバー最年長の義務という事だろうか。よく手入れされてる爪が生えた指で、開閉ボタンを押し続ける。


 正直、今の美彩に何をしても癪に触ると思うから、一緒に電車に乗って帰るのは気が引けるが、そうも言ってられない。


 歩み寄る事しか、僕には出来ないから。


「けど、彰平くんも、美彩ちゃんを刺激しちゃいけないよ?彼女も女の子なんだから」

「……………わかってます」


 直接的な暴力は振るわれてないけど、彼女に『そういう面』がある事は痛いほどわかった。藪をつついて蛇を出すようなマネはしないし、男勝りな性格ではあるけど、ちゃんと女の子である事は理解している。


 「また遊びに来てね」と手を振る折坂さんに、「あなたの家じゃないでしょ」と、苦笑混じりの軽口を叩いて、エレベーターから降りる。


 エントランスを抜けて、駅の方面に足を向けると、十数メートル先に美彩の後ろ姿があった。


 駅への道のりも、ホームで待っている時も、電車に揺られている時も、僕らは一言も会話をしなかった。まるで赤の他人みたいに、一言も。


 電車から降りる際、盗み見るように伺った美彩の顔は、仏頂面というか、魂を抜かれた人形のような、そんな顔をしていた。


 焦点が合っていない、虚な顔。


 僕の目線に気づいたのか、一瞬目が合うと、美彩は何も言わず、表情の変化も無く、目線を元の位置に戻した。


 無機質な光が照らす、深夜の駅。終電で降りたのは僕だけだった。

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