1 ハード・デイズ・ナイト 03

       *


 〈アナグラ〉とは少々気張った名前にも見えるが、その実は所謂「何でも屋」だった。

 元は暁介と柊人が、表向きには喫茶店という名目で密かに始めた商売であり、実質的に少人数の趣味でしかないようなものだったが、今では正式な構成員は延べ六人――ないし七人となっている。収入の方は非常に不安定で、まれに大きな案件を請け負い大金が舞い込むが、基本的には微々たるものであるため、大半のメンバーはほかに収入源を確保している。

 特殊な技術を強みにしているわけではなく、また積極的な宣伝をあまり行っていないこともあり、〈アナグラ〉の知名度は、世間では皆無に等しかった。

 情報を容易に得られる時代になってもう随分と久しいが、手軽に入手できる情報が多いということは、言い換えれば、膨大な情報に埋もれる有象無象も多いということだ。自発的に発信しなければ、よほど目新しいか話題性に富んだ内容でない限り、重要ではないもの、優先度の低いものとして、取捨選択の過程で淘汰される。いかがわしい自営業の何でも屋をわざわざ調べて、あまつさえそこへ依頼しようと思うほど、大半の人間は物好きではないのだった。

 暁介は、テーブルを挟み自分と向き合って座る、その一人の物好きをまじまじと見つめた。

「朝早くに来ちゃってすみません」と、女子高生は気まずそうに言った。手を膝上に乗せ、背筋を伸ばして座っている。俯き気味なのは、なるべく顔を見せないためかも知れないが、それが却って不自然に見えた。

「場所を確認するだけのつもりだったんですけど、中にいらっしゃったので、つい……」

 そう語る彼女は先ほどから、彼女から見て右側をちらちらと窺っている。その視線の先では、カウンター席に座ったままの柊人が、こちらを見向きもせず頬杖を付いている。不機嫌そうに見えるのは暁介にとっていつものことだが、初対面の人間からすれば不審に思うのは致し方ない。いっそのこと、自室に戻っていてくれればありがたい気もするが、わざわざあとで伝える煩わしさを考えると、この場で依頼主の話を直接聞いてもらった方が楽だ。ちなみに夏芽は、既に仕事に行ってしまってこの場にはいない。

「えっと……柏木かしわぎ梨緒りおさん?」暁介は気を取り直し、手渡された保険証を見ながら訊ねた。「学校はいいのか?」

「構いません。適当に理由付けて遅刻します」梨緒は事もなげに言った。

 暁介は思わず感心した。真面目そうな印象を受けたが、思いのほか大胆な性格らしい。

 それにしても、身分証明として見せたのが高校の生徒証でないのは、なるべく余計な個人情報を知らせたくないからだろうか。用心深いのは悪いことではないが、先ほどからの態度と言い、あまりに警戒されすぎていて落ち着かない。いや、自分たちが胡散臭い人間なのはまごうことなき事実だが。

 気を取り直して話を進める。「じゃあ早速……今回はどういった要件で?」

 彼女は姿勢を正して、はっきりとした口調でこう言った。

「飼っていた猫を探して欲しいんです」

 暁介は渋い顔を作りそうになったのをこらえる。経験上、人探しよりも格段に厄介な案件が、動物の捜索依頼だった。加えて今回は猫と来た。猫は犬に比べて行動領域が広い。距離というよりも行き先の種類が、だ。民家の屋根や塀の隙間に、やつらはまるで隠密のように入り込んで、すぐに姿を消してしまう。そして大きさもあまりなく、鳴き声も犬ほどやかましくないので見つかりにくい。

「橋の下に捨てられていたのを三か月前に見つけて、それ以来世話してたんです。間違ったやり方だとよくないから、自分でいろいろ調べて。でも一週間前に、いつもいた場所から急にいなくなっちゃって。それで心配になって……」

 彼女はスカートのポケットから携帯端末を出した。少し操作をしてからテーブルの上に置き、見つけたときの写真です、と、暁介の方に向けて滑らせて近付ける。

 彼女の指が添えられた画面を、暁介は覗き込んだ。そこには、段ボールの空き箱に入った、一匹の白い猫が映っていた。体は痩せ気味で、毛はかさが少なくぺったりとしている。元々暁介は猫の種類に詳しくないが、それを考慮しても、この形容しがたい顔立ちには見覚えがなかった。ひょっとすると雑種なのかも知れない。調味料が不適当な割合で混ざったときの、締まりのないぼんやりとした味わいを思い起こさせた。

「世話してたから体型とか多少は変わってますけど、見た目はほぼこのままです」そう言って、彼女は端末をさっと引っ込めてポケットに仕舞った。

「一つ訊きたいんだが」暁介は彼女に対し、ここまでずっと気になっていたことを訊ねた。「こういう捜索願いっていうのは、出すならもっとふさわしい相手がいると思うんだ。警察とか、保健所とか。何でわざわざうちへ?」

 具体例を挙げた辺りで、梨緒はわずかに表情を歪め、目線を落とした。そのまま言いづらそうな様子で黙っていたが、やがて徐に口を開いた。

「親に内緒で飼ってたんです。警察とかだと、最悪、親に話が回っちゃうと思うから。だから私だけで、こっそり解決したくて」

 それはそれは……と、暁介は複雑な気持ちになる。自分たちのような素人の便利屋を、大抵の場合真っ先に頼ろうとは思わない。まずは警察や、事情によっては役所など、信頼性の高い立場の人間・組織を当てにするだろう。そうしない理由があるとすれば、警察等に頼るほどでもないと楽観視しているか。あるいは、何かしらの後ろ暗い事情を抱えているかだ。

「専門の探偵とかじゃ駄目だったのか?」と暁介が質問を重ねると、彼女は視線を流したまま、引きつったような苦笑いを浮かべた。

「正直、探偵ってどこに頼めばいいのか分からなくて。この辺りにある事務所を探していたら、〈アナグラ〉って名前が目を引いたので」

 調子に乗って付けた風変わりな名前が、少なからず功を奏したと言えるかも知れない。

 しかし、親に内緒で、とは、動物の飼育を反対されているのか、相談することをためらってしまうような理由があるのか。親切な人間なら、たとえば警官でも、内密にしたままで協力してくれるかも知れない……と一瞬考えたが、すぐに思い直した。そういう行為を親切とは呼ばない。この子は見たところしっかりとしているが、それでも法的にはまだ未成年であり、大人には然るべき協力の仕方というものがあるはずだ。本人から下世話だと非難されようとも。

 だが一方で、内緒で飼育していたこと自体を責めるつもりは、暁介にはなかった。それはまた別途で追及すべき問題である。彼女なりにきちんと調べて世話をし、結果的に無事であったのなら、ただちに論ずる必要ではない。もちろん、あくまでも結果論だが。

 黙って考え事をしていた暁介を見て、梨緒は不安になったのか、再び真正面に向き直り、あの、と口を開いた。

「お金ならあります。私のうち、その……結構太いので」

 そして何を勘違いしたのか、生々しい話を持ち出してきた。暁介は内心で苦笑しつつも、資金面での問題はなさそうだと安心した。歯切れの悪い口振りが少々気になるが、あまり深入りしないことにする。どうもここまでの様子を見るに、家庭の事情には極力立ち入ってほしくないようだ。

「……なあ」

 突然、柊人が話しかけてきた。梨緒は見るからにぎょっとして、彼の方を慌てて振り向いた。暁介も同じ方向を見る。それまで我関せずとばかりにこちらを見向きもしなかった柊人は、いつの間にか体を少しだけねじり、梨緒の方をじっと見ていた。目付きが悪いので睨んでいるように見える。

 彼は口をひらいた。「その猫以外に、何か動物を飼ったことはあんのか?」

「えっ? い、いえ……」面食らった様子で彼女は答える。

「動物は好きなのか?」

「ええと、どうでしょう……別に、好きでも嫌いでもない、かな……」

 柊人は、ほーん、とおざなりに反応しただけで、興味なさげにまたそっぽを向いてしまった。梨緒は彼から視線を逸らして俯く。

 何がしたかったんだ、と暁介は内心で首をひねったのち、少しばかり今回の依頼について検討した。面倒な仕事だが、彼女の「金はある」という発言も踏まえると、やはり貴重な稼ぎにはなる。場合によってはこちらが想定する以上にかも知れない、などと下衆な期待もしてしまう。柊人の同意を得ようかと一瞬考えたが、必要ないだろうとすぐに結論付けた。どのみち、この男は協力するときはするし、しないときはしない。そしてほかのメンバーは元々、引き受ける仕事をリーダーである暁介に一任している。

「さて柏木さん、依頼の方だが」暁介は、改めて依頼主を正面から見た。「まいどあり。快く承ろう」

「本当ですか? ありがとうございます」彼女は取り立てて激しく喜びはしなかったが、それでも安心したのか、わずかに顔をほころばせ頭を下げた。「それであの、お代は……」

「完了次第、追って伝える。とりあえずは、諸々の手続きを済ませてくれ」

 そして十数分後、彼女は一礼して店を出ていった。

 閉まったドアの前で、立って見送った暁介はふう、とひと息つく。

「相変わらず雑な仕事だな。余所が見たら鼻で笑うぜ」と柊人は言った。

 暁介は「ほっとけ」と軽くあしらうと、端末をズボンのポケットから出し、協力を仰げそうな人員にメッセージを送った。朝は予期せぬ出来事に調子を狂わされたが、早起きは案外、本当に徳を呼び寄せるのかも知れない。

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アナグラ:バックビート 亀野 航 @kohkame

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