オペレッタ狸神社

 狐火を封じた壺を持って向かった先は、元町にひっそりとたたずむ神社だった。

 拝殿を覗き込むと1匹の狸が布団にくるまり、すぴーぷしゅるるる…と気持ちよさそうにいびきをかいていた。

「たぬおさん、起きて。たぬおさん」

 コンコが揺さぶるとハッと起き上がり、眠い目をこすり「よっ」と、ふてぶてしく挨拶をした。


「リュウ、宮司のたぬおさんだよ」

 たぬおは布団を畳んで神棚の裏に仕舞い、白い着物に浅葱あさぎ色の袴を着ると、からくり人形のようにチャキチャキと掃除をしてから、朝のご挨拶をはじめた。

「こいつは化け狸なのか?」

「たぬおさんは、ただの狸だよ」

 神様へのご挨拶が終わったので壺を預けようとしたが、神棚裏から布団を引き出して、ぐぅー…と眠りはじめた。

「たぬおさん! たぬおさん!」


 拝殿を覗く気配があったので振り向くと、若い巫女が立っていた。何故か嬉しそうな顔である。

「あらコンコちゃん、早いのね。そちらは?」

「リュウだよ、僕の相棒。狐火を捕まえたんだ」

 巫女は、てつきそうな笑顔でリュウに挨拶をした。


 狐火を捕まえた経緯をいくら説明しても巫女は譲らず、コンコちゃん偉いわねぇ、と言って頭を撫でていた。

 リュウの機転で捕まえたので、コンコは複雑な表情である。

「これを拝殿の下に埋めればいいのね?」

 そう言いながら巫女は、たぬおが寝ている布団を端から引き上げた。

 たぬおは勢いよくゴロゴロ転がると、壁に全身を強く打ち起床した。


 たぬおが拝殿下に壺を埋めたところを見届けると、コンコが「そうだ!」と狐耳を立てた。

「リュウは人助けに海へ入ったんだ! 潮まみれだから、水垢離をさせてあげてよ!」

 いいわよコンコちゃん優しいのね、と微笑んだかと思うと、汚物でも見るような笑顔でリュウを水垢離に案内した。

「か、かたじけない……」

「コンコちゃんは大丈夫? お姉さんが洗ってあげようか?」

 慈愛に満ちた笑顔には、よだれがキラリと光っていた。

「巫女さん、私ドロまみれなんですよぅ。洗ってくださいよぅ。うへへ」

 助平そうにすり寄るたぬおを、手水舎ちょうずやめがけて転がした。


 拝殿の裏で潮を洗い流すリュウは、近くの物陰にいるコンコに声を掛けた。

「何故、狸が宮司をやっておるのだ」

「宮司さんがいなくなったときに、たぬおさんがお賽銭に釣られてきたんだよ」

 金が目当てで女好きとは、ろくでもない狸だ。

「いや、待て。あの狸は物を買うのか!?」

「お賽銭箱からお金を出して、お団子とかお饅頭とかを買って食べているよ」

 益々、ただの狸とは思えない。やはり化け狸ではないのか。

 しかし、もしそうだとしても、堕落した助平というだけで、害悪はなさそうである。


「それで、あの巫女なんだが……」

 そこまで言いかけると、コンコが声を殺した。

「リュウ! 巫女さんが来るよ」

 巫女は甘い声を出していた。コンコを溺愛していることは、よくわかる。

「コンコちゃん、朝餉あさげはまだかしら。おいなりさんを作ったから、食べていかない?」

 本当!? という甲高い声を聞いて、巫女が幸せそうにしている雰囲気が伝わった。

「ねぇ! リュウ!」

「コンコちゃん、私がお誘いするわ」

 身体を洗うリュウの元へ、何の躊躇もなく巫女がきた。仮面を被ったような冷たい顔である。


「朝餉は如何いかがかと思いましたが殿方おひとりではお忙しいでしょう、夜を徹しての狐火退治はさぞご苦労なさったことでしょう、お疲れでしょうし家のこともしなければなりませんし、何より眠らなければ身体に毒です。今すぐ帰って寝たいでしょう、ほらほら布団が待っています。朝餉を召し上がってから眠ってしまうのも身体に毒でございますよ、食べてすぐ寝たら牛になると申します、朝餉を召し上がっている場合ではございません、とっとと帰って寝ろと申し上げているのがわからねぇですかコラ。コンコちゃんは私に任せてお帰りください、遠慮なさらずコンコちゃんを預けて帰ってください、コンコちゃんを私にください、さあ今すぐ帰って寝たいでしょう!?」


 小面こおもてのような顔は、いつしか般若の形相になっており、取り殺せるほどの距離にまで迫っていた。

「リュウも食べるよね!? 一緒に食べよう!」

 お、おお、とリュウが返事をすると、ご一緒にどうぞ、とつばでも吐きそうな笑顔で迎えられた。


 山ほど盛られたおいなりさんに、尻尾を立てて大興奮のコンコである。

 そんなコンコをはべらせて、巫女は満足そうにニコニコとしていて、たぬおは彼女にもたれて鼻の下を伸ばしていた。

「はい、コンコちゃん、あーん♡」

 巫女に勧められた大好物を前にして、コンコは石のように固まった。

 たぬおはそれを見て、これは好機と思ったのだろう。巫女の袖をちょいちょいと引いて振り向かせた。

「でへへ、巫女さん、あーん♡」


 たぬおは、おいなりさんを目一杯詰め込まれてもだえていた。

 リュウは、それをひとつずつ抜き取りながら、コンコに尋ねた。

「この神社との付き合いは長いのか?」

「これで2回目だよ。高島さんの紹介なんだ」

 たぬおや巫女の態度から2回目というのが信じられないが、考えてもみればこの神社とコンコが過ごした祠とは、吉田新田しんでんを挟んで向かいにあって、近いとは言えない。

 あやかし退治の様々な手配は、高島嘉右衛門によるものらしい。

 異国や新政府を好かないリュウは、それらに手を貸す高島を良く思っていない。しかし雇われている以上、一度は会っておかなければと考えた。


「うちも稲荷神社に鞍替えしようかしら、コンコちゃんをお迎えして。そうしたら、毎日おいなりさんを作ってあげるわよ」

 今度は巫女が悶えはじめた。

「コンコちゃんが、家にきてくれてもいいのよ。おいなりさんを作ってあげるし、一緒にお風呂に入ってあげるし、添い寝もしてあげるし…」

 口角を上げて目を血走らせ、荒い息を吐く巫女に肩を抱かれたコンコは、顔面蒼白である。


「僕はリュウと一緒にいるから…大丈夫…です」

 それを聞いた巫女はリュウに飛びかかって押し倒し、今にも触れてしまいそうな距離で、襟首を掴んでいた。

「あなた、侍のくせに何と破廉恥なんですか」

 まさかこの巫女に破廉恥などと言われるとは、思いもよらなかった。

 何より武芸の鍛錬を事欠かずにいたリュウが、いとも簡単に隙を突かれたことが衝撃で、コンコもリュウ自身も恐怖に震えていた。

を泣かせたら……」

 巫女の白く細い指先が、リュウの首を撫でた。


 うちで寝てから帰ってもいい、という巫女の気遣いを、これ以上は危ないと思いコンコは丁重に断った。

 たぬおと巫女に見送られ、ふたりはようやく家路についた。

「あやかしを封じるたび、あの神社へ行くのか」

「小さいけど、この辺りで一番霊力が強いんだ」

 納得し、ふたり揃ってため息をついた。

「まだまだ修行が足りないな。ひと眠りして鍛錬に勤しまなければ」

 宜しく頼むよとコンコが言って、ふたり揃ってあくびをかいた。

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